この日は宿を出て四国霊場の最高標高地、札所66番雲辺寺に寄り、それから高知道で四国を縦断し高知城に向かいました。
雲辺寺には麓からロープウエーで上りました。頂上では人工雪によるスキー場が営業していました。
雲辺寺は根香寺同様山中の古寺を思い描いていたのですが、着いてみると堂宇は新しくコンクリート製で風情があまり感じられませんでした。一応裏手には古いお堂も残っているのですが何となく期待外れ感が漂いました。もっともこれはお寺に罪があるわけではありませんが。
寺には五百羅漢もあり表情が楽しめますが、総じて新しかったです。
雲辺寺を後にして高知道で高知に向かいました。高知道はトンネルが多く、一車線で対向車もあるので気が抜けない道路でした。ようやく着いた高知城は城域も広く見所の多い風情のある古城という趣のお城でした。
さすが現存天守12城の一つに恥じない名城でした。
城の入り口には板垣退助の銅像があります。ガイドによると高知では竜馬より板垣は人気があるそうです。板垣は暴漢に襲われた際の「板垣死すとも~」の名言が有名ですが、これは新聞記者が書いたもので、実際は「俺を殺しても何も変わらんぞ」という意味のことを言ったそうです。またこの怪我で死んだと思っている人が多い(私もそう思っていた)が、実際は82歳まで長生きしたそうです。閑話休題。
土佐藩といえば長宗我部氏の後に関が原の功績で山内氏が入城します。その一豊の妻は賢夫人として有名で、ガイドの女性は高知に嫁ぐ際、当地では山内一豊の妻基準で嫁のふるまいを判定されるのかと少々びびったそうです。もっとも一豊の妻は高知出身ではないのですが。
ところで山内一豊の読みですが、「やまのうち かずとよ」と思っていましたが、最近の研究では「やまうち かつとよ」が正しいそうです。
高知城の特徴として天守、本丸御殿、門、多聞櫓など遺構が多いことです。特に写真手前の本丸御殿はここと川越城しか残っていません。
また天守は四重六階とさほど大きくはありません望楼があり、周りをぐるりと一周できるので非常に眺めが良いです。
また石垣は野面積みも多く、雨の多い高知ならではなのかもしれません。写真右上の板状の物は石樋(いしどい)で排水用の設備です。
ともあれ高知城は苔むした石垣など歴史を感じさせるところが多く残った風情のあるお城でした。
高知城のあとはお約束のはりまや橋と桂浜を見学したのですが、大したものはなかったので割愛します。
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