先週、嵐山町の史跡の博物館に「実相 忍びの者展」を見学に行きました。
主に戦国時代の関東甲信越の忍びの一次資料を用いた展示と考察がなされていました。
特に埼玉県の忍びについての展示が豊富にあり、これまで埼玉に忍びがいたことは知らなかったので、とても意外な展示会でした。
展示は多岐に渡っていたのでとても全てを紹介できませんが、初めて明かされた埼玉の忍び、の中から1番目の葛西城を乗っ取った忍びのふるさと、「深谷市本田」についてかいつまんで書いてみます。
そもそも小田原の北条氏の重要拠点だった葛飾区の葛西城が上杉謙信撤退に伴い里見氏に奪われてしまいます。
その葛西城の奪還に北条氏康が本田どの(忍びの親玉的存在?)に依頼し、その後本田は春秋2度の忍び戦術で葛西城の乗っ取りに成功します。
本田どのそのものは忍びではないようですが、配下の者を使い一日単位の短期間で忍び戦術を実行しました。
本田氏は桓武平氏の流れをくみ上総から安房を基盤としましたが、埼玉県深谷市男衾本田郷に移った、という。本田屋敷は現在深谷市川本に遺構が残っており、周辺で配下の武装集団を育んでいたことが考えられるという。
またこの件とは無関係ですが、幕末新政府軍が忍者を雇ったという記録も残っているそうで、忍者は伊賀甲賀だけではないということがよく分かる展示会でした。