クロムの備忘録的ダイアリー

定年後の日々の楽しみや関心事、具体的には写真、カメラ、観る将あるいは投資の話題などを綴っていきます。

中国地方旅行のギャラリーアップ終了

2020年12月22日 17時42分44秒 | 写真

大急ぎで複数のギャラリーをアップしました。

いつものことですが写真のセレクトに案外時間がかかります。

とりあえず終了したのでホームページの更新も一段落です。

http://chrome.hobby-web.net/

 


大樹寺と岡崎城

2020年12月13日 10時20分47秒 | 旅行

岡山から直行で埼玉まで帰るのは大変なので岡崎に一泊しました。
午前中、大樹寺と岡崎城を見学しました。


大樹寺は松平家の菩提寺で徳川将軍家と関係が深く、大きな山門と多宝塔があります。


また門から岡崎城を望むことが出来ます。

岡崎城は家康が生まれた城で、1959年に復興されました。


5Fの展望室からは岡崎市内が一望できるそうですが時間の関係で内部には入りませんでした。

これで7泊8日の山陰旅行が終わりました。
投入堂と高校修学旅行の再訪という意味合いでしたが、やはり投入堂が印象に残りました。
後者に関しては再訪ということもあるのですが高校のときほどの感動はなかったですね。
やはり若い時に初めて触れるというのは意味があるということなのでしょう。
とはいえ今回は時間的な制約のない旅行でしたので、興味を惹かれたものをじっくり見られたのは
良かったと思います。
予定から漏れたのは映画・砂の器の舞台の亀嵩駅と厳島神社がありますが、それらは今後機会が
あれば訪れたいと思います。


備中松山城、国分寺、吉備津神社

2020年12月12日 16時05分16秒 | 旅行

中国地方旅行も終盤です。厳島神社参拝を予定していたのですが、工事中なのと道路の渋滞が予想以上なので広島には泊まっただけで岡山に移動しました。
備中松山城は山城です。中腹までは車で行けますが、そこからはシャトルバスで8合目まで移動します。


そこからは徒歩で山頂の天守を目指します。
それほど大きなお城ではないのですが、急峻な石垣が残っています。
この城は現存12天守の一つで、個人的にこれで12天守コンプリートとなりました。

備中松山城見学後、麓の武家屋敷街を少し見学してみました。


坂道に沿って立派な屋敷や寺院、それに教会が残っていました。

翌日は備中国分寺と吉備津神社、それに吉備津彦神社を見学しました。


備中国分寺は草原の中に突然現れる五重塔が印象的です。
道路際にコスモスが咲いていて牧歌的な風景を際立たせていました。

吉備津神社は独特な吉備津造の本殿が有名です。足利義満造営と言われ本殿と拝殿は国宝に指定されています。この日は天気も良いので七五三と思われる親子連れが大勢いました。
本殿以外にも長く伸びた回廊沿いもなかなか見応えがあります。

吉備津彦神社にも寄ってみました。
こちらも立派な神社ですが時間の関係でさっと見ただけでした。

 


萩と津和野

2020年12月11日 13時57分52秒 | 旅行

今回の旅行では鳥取砂丘や出雲大社は高校の修学旅行以来ですが、萩と津和野も同様です。
従って40数年ぶりの観光ということになります。
石見銀山から一路、萩を目指しましたが着いたのは15時過ぎでした。
最初に文化財に登録されているレトロな萩の駅舎を見学しました。


次に武家屋敷街を一周りしました。武家屋敷街は萩城に近いエリアの上級武家のエリアも
あるのですが、高杉晋作や木戸孝允邸のある下級武家のエリアを回りました。
高杉、木戸邸には往時の写真が幾枚も飾られていたのは良かったです。
余談ですが木戸の妻は松子(幾松)という売れっ子の芸妓でした。その幾松ゆかりの高級料亭
「幾松」がコロナ禍で閉店してしまったそうです。


武家屋敷見学後、隣接した公園に立つ明倫学舎を見学しました。


最後に日が落ちてしまいましたが、萩城址を見学し宿に向かいました。

翌日は松陰神社と松下村塾に寄り、最後に反射炉を見学し津和野に向かいました。


津和野は修学旅行で最も印象に残っている場所の一つです。民家に隣接して堀が巡らされており
その堀には錦鯉が泳いでいるというのはすごく風情のある場所だと感じました。


今回再訪した訳ですが、通りが綺麗に整理されており記憶とは少し異なっていました。
残念だったのは津和野教会が工事中だったことです。


通りを一巡りした後、鴎外の墓のある永明寺(ようめいじ)に行きました。
ここは紅葉の名所だそうですが、たしかに山門付近は赤と黄に色付いていました。
鴎外の墓は遺言にある通り、戒名もなく質素なものでした。