二尊院を後にして祇王寺に向かいました。
祇王寺は平清盛の寵愛を失った白拍子・祇王が母・刀自、妹・祇女とともに出家した往生院が後に祇王寺となったものです。
祇王寺は平清盛の寵愛を失った白拍子・祇王が母・刀自、妹・祇女とともに出家した往生院が後に祇王寺となったものです。
悲恋の尼寺の名にふさわしく山の懐に抱き込まれたような立地に、竹垣に囲まれた苔の庭に建物がひっそりと佇んでいます。
寺の建物は元京都府知事北垣氏が祇王の話を聞き嵯峨の別荘を寄付したもの。
この寺の魅力はなんといっても苔に覆われた庭の美しさだと思います。
竹垣の外には竹林が広がっています。
境内では苔や菊の展示を行っていました。
ししおどしに赤いモミジが散っていました。
控えの間の窓は吉野窓といい、影が虹の色に見えることから虹の窓とも称しています。
仏間には大日如来、清盛、祇王、祇女、刀自、仏御前の木造が安置されています。
建物の裏手には清盛の供養塔と祇王、祇女、刀自の墓が並んでいました。
祇王寺のさらに奥に滝口寺があります。
滝口寺は元は往生院三宝寺といいましたが、廃寺から再建される際に高山樗牛の「滝口入道」にちなみ、滝口寺と名付けられました。
滝口入道は平重盛の配下で斎藤滝口時頼といい建礼門院付きの女官の横笛に恋をしたのを父に咎められ往生院に出家しました。
後日、往生院を訪ねてきた横笛に対し、修行の妨げになると会わずに返し、高野山に移ります。
横笛も法華寺に出家し程なく死亡、伝え聞いた滝口入道は仏道に邁進し高僧に至ったという悲恋のお話です。
滝口寺の入口付近は紅葉が見事でした。
本堂の回りも紅葉が綺麗です。
本堂からの眺め。
本堂内にはかなり傷んだ滝口入道と横笛の木造が安置されています。
境内には新田義貞の首塚があります。
祇王寺、滝口寺、どちらも別世界に誘われたような静かなお寺でした。
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