簡単な作者紹介
イユリさん
2020年、30歳のとき、「パルガン ヨルメ(赤い実)」が「京郷新聞」の新春文芸に当選し、作家デビュー。
ファンタジーな小説が持ち味。
韓国の小説、特にこの小説はひとつの段落が長いのですが、翻訳者は勝手に段落を変えてはいけないそうなので、その点、ご了承ください。
「赤い実」つづき
ところで、父も決して与(くみ)し易い人ではないので、私がヒステリーを起こすたびに突き出す、いわば秘蔵のカードを持っていて、事あるごとにうまく使った。あれは、私が五歳のとき、父が私をプールに連れていってくれた、ある夏の日のことだった。私は膝まで浸かる小児用プールで、父は大人用プールでそれぞれ泳いでいたのだが、小児用プールにすぐ飽きてしまった私は大人のプールに行き、足を滑らせ溺れてしまった。平日の午前のプールには、私と父しかいなかった。
私は、三十歳を過ぎた今も、あの瞬間のすべてを記憶している。天井にはめこまれた四角いガラスの縁が、全て乾いた土埃にまみれていたこととか、塩素の臭う水が体中の細胞から入り込み、血管を服従させて私を支配しようとする感覚とか、いつもの床を踏む感覚を求めて全神経を集中し、下へ下へとあてどなく伸ばした足の感覚……。それらすべてを、鮮明に覚えている。そのうえ、あの日のことを思い浮かべるとき、私は、水に溺れている当事者でありながらもプールの天井から見下ろす観察者の視線で、もがき苦しむ自分の姿を眺めることも出来るが、それはそれなりに、やはり鮮明だ。赤い水玉模様のスイムキャップを被った、ぶさいくな女の子がゆっくり溺死していく過程を、スノーボールを覗き込むように、はっきり見ることができるのだ。
ところがその日のことで、たった一つ覚えていないことがある。ほかでもない、父が私を救う場面だ。それは父のみぞ知る唯一のことなのだが、溺れている私を見るやいなや泳いできて救ってくれたという。父の秘蔵のカードとは、まさにそのことだった。父は、私がイライラしたり頼みを聞いてあげなかったりしたときに、毎度この日の話を切り出した。娘の柔らかい身体が自分の首にぎゅうぎゅうしがみついてきたことや、息をするために必死に父の頭をぐいぐい押さえ込んだ、とかという話をしながら、必ず最後に、あのとき俺がいなかったらおまえは溺死していただろうなと、仰々しく話すのだった。もちろん私も、一方的にやられてばかりはいられないので、父親として娘を助けたことが、そんなに自慢することなのか、と言い返すのだが、不思議とそれ以上は何も言えなくなり、身体が重くなるのだ。結局は、ココナッツウォーターとやらを買いに夜中にコンビニに行ったり、製造元に電話をかけ、扇風機の羽はなぜ左にしか回らないのかと尋ねたりした。
我が家のネコと保護している仔猫たちです。
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イユリさん
2020年、30歳のとき、「パルガン ヨルメ(赤い実)」が「京郷新聞」の新春文芸に当選し、作家デビュー。
ファンタジーな小説が持ち味。
韓国の小説、特にこの小説はひとつの段落が長いのですが、翻訳者は勝手に段落を変えてはいけないそうなので、その点、ご了承ください。
「赤い実」つづき
ところで、父も決して与(くみ)し易い人ではないので、私がヒステリーを起こすたびに突き出す、いわば秘蔵のカードを持っていて、事あるごとにうまく使った。あれは、私が五歳のとき、父が私をプールに連れていってくれた、ある夏の日のことだった。私は膝まで浸かる小児用プールで、父は大人用プールでそれぞれ泳いでいたのだが、小児用プールにすぐ飽きてしまった私は大人のプールに行き、足を滑らせ溺れてしまった。平日の午前のプールには、私と父しかいなかった。
私は、三十歳を過ぎた今も、あの瞬間のすべてを記憶している。天井にはめこまれた四角いガラスの縁が、全て乾いた土埃にまみれていたこととか、塩素の臭う水が体中の細胞から入り込み、血管を服従させて私を支配しようとする感覚とか、いつもの床を踏む感覚を求めて全神経を集中し、下へ下へとあてどなく伸ばした足の感覚……。それらすべてを、鮮明に覚えている。そのうえ、あの日のことを思い浮かべるとき、私は、水に溺れている当事者でありながらもプールの天井から見下ろす観察者の視線で、もがき苦しむ自分の姿を眺めることも出来るが、それはそれなりに、やはり鮮明だ。赤い水玉模様のスイムキャップを被った、ぶさいくな女の子がゆっくり溺死していく過程を、スノーボールを覗き込むように、はっきり見ることができるのだ。
ところがその日のことで、たった一つ覚えていないことがある。ほかでもない、父が私を救う場面だ。それは父のみぞ知る唯一のことなのだが、溺れている私を見るやいなや泳いできて救ってくれたという。父の秘蔵のカードとは、まさにそのことだった。父は、私がイライラしたり頼みを聞いてあげなかったりしたときに、毎度この日の話を切り出した。娘の柔らかい身体が自分の首にぎゅうぎゅうしがみついてきたことや、息をするために必死に父の頭をぐいぐい押さえ込んだ、とかという話をしながら、必ず最後に、あのとき俺がいなかったらおまえは溺死していただろうなと、仰々しく話すのだった。もちろん私も、一方的にやられてばかりはいられないので、父親として娘を助けたことが、そんなに自慢することなのか、と言い返すのだが、不思議とそれ以上は何も言えなくなり、身体が重くなるのだ。結局は、ココナッツウォーターとやらを買いに夜中にコンビニに行ったり、製造元に電話をかけ、扇風機の羽はなぜ左にしか回らないのかと尋ねたりした。
我が家のネコと保護している仔猫たちです。
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