ある大学教授のもとに学生の母親が訪れた。闘病中の学生が亡くなったという報告だった。だが、教授は意外に思った。平静な口ぶりで笑みさえ見せる母親からは、息子を失った悲哀が感じられない――。芥川龍之介の短編「手巾」(岩波文庫)である▼話の途中、うちわを落とした教授が、拾おうとかがんだ時、膝に乗せた母親の両手が見えた。手巾を引き裂かんばかりに、手は激しく震えていた。「婦人は、顔でこそ笑っていたが、実はさっきから、全身で泣いていたのである」▼今月11日昼過ぎ、宮城県石巻市の壮年部員は、自宅跡地で友人らと談笑していた。3人のわが子と自宅を津波に奪われた壮年が、震災後の「3月11日」当日、ここにいるのは初めてという。来訪者は50人ほどに増え、にぎやかだ▼何人かが腕時計に目をやった。談笑が途切れた。風の音さえ消えた気がした。午後2時46分。人の輪から一人離れ、強く拳を握る壮年の背中を、友は無言で見守った。長い沈黙の後、壮年は振り返り、場の緊張を解くかのように、ほほ笑んだ。そして笑顔の語らいが再開した▼表情からだけでは、心の奥の叫びは見えない。言葉だけが励ます方法でもない。見守り、祈り、じっと待つ。それも「寄り添う」ということだろう。(白)
激動の最中にいる自分にはグッときたコラムです。