【真田丸】山本耕史、石田三成役「清く正しく駆け抜けることができた」
■「人望ないんだ…」というせりふは心が痛かった
『真田丸』の作者・三谷幸喜さんは、僕にとって転機になるような役をくださる方。12年前の『新選組!』の土方歳三役もそうでした。真っ直ぐに清く正しく駆け抜けることができました。さみしさはありますが、悔いなくこの現場を終わることができます。個人的にも撮影が半年にも及ぶような役は結婚後、初めてでしたので、思い出深い役になったと思います。
作品に入る前、三谷さんは「三成は悪役で描かれることが多いけれど、今回はそうは描きません」とおっしゃっていた。殿下(秀吉)亡き後の豊臣家の行く末に一番不安を感じ、政権を維持するために一番気合いを入れて頑張っていたのが、三成だったと思います。殿下から「家康を殺せ」と命じられた時から腹は決まっていた(第31回「終焉」)。ただ、殿下の本心を聞いたのが三成だけだった、というのもミソなんですが…。
第33回「動乱」で、家康のもとには加藤清正や福島正則をはじめ多くの諸将が集まったというのに、三成のもとにはほとんど味方となる大名が集まらず、「こんなにも人望ないんだ…」というせりふもあって、心が痛かったです。誰よりも豊臣家のために尽くしているのに、空回りしているように見えてしまう、好かれてない感じが、切なくて。
そんな三成のことを一番理解していたのが殿下でした。死期が近づく中で、「秀頼を頼む」とばかり繰り返していた殿下が、真田信繁(堺雅人)にだけ「佐吉(三成)を支えてやってくれ」と頼んでくださっていた(第31回「終焉」)。殿下は三成がやってきたことを全部認めた上で、自分がいなくなったら三成に付いていく人はいないこともわかっていたのだと思います。そういうシーンを三谷さんが書いてくれたのがとてもうれしくて、感動的でもありました。
■三成、最期のシーンに込められた思い
殿下が亡くなった後、信繁が「もうしばらく治部さまのお手伝いをさせていただけませんか」と言ったのも、先の殿下のお言葉があったからだと思いますが、そんな信繁に面と向かって「私はほとんど間違えないが、間違っていたら遠慮なく教えてくれ」と言うんです。すごく三成っぽいな、と思いました。有力大名たちによる政権運営が始まって、「疲れる」とぼやいた三成に、「石田さまにしか成し得ぬことです」と信繁が持ち上げても、表情ひとつ変えずに「私もそう思う」と答えてしまうところなど、もはやかわいらしく思えました(第32回「応酬」)。
信繁との会話の中に、『真田丸』の三成らしさが随所に出ていて、僕も脚本を読みながらこの人の味方になってあげたいと思いました。もう少し臨機応変に物事を捉えることができれば、もう少し柔軟な生き方もできたのだと思います。けれども、そんな“不器用”で“一本気”なところが、いまもなお愛され続けているのかな、と思います。
僕が演じた三成の最期のシーン。かわいそうと思われるか、やり遂げて悔いなしと見てくださるか、ご覧になる方によって異なるでしょうけれど、ト書きにはどう書かれていたか想像してみてください。おそらく三谷さんは三成のことがすごく好きなんだと、僕は思いました。