コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

雪化粧の鶴ヶ城  二昔前 如月の頃ですが・・・

2013-01-17 | 記憶の断片
 都内でもやっと雪が解け消え始めていますが、ドラマでは松の内に「白虎隊」「八重の桜」など会津が舞台物が多く流れていましたが二昔に行った会津 雪の鶴ヶ城が懐かしくなりUPしました。
ちょうど二昔の二月冬の会津が見たくなりプラっと浅草駅から今市駅まで当時の東武ロマンスカーで行き、その先からは各停列車で雪山を見ながら月見で一杯ほろ酔い気分で楽しんだ思い出はいいものです・・・。
 そして会津についたら昨日まで雪模様で、到着この日は快晴でしたので雪化粧の鶴ヶ城が観れたのもいい想い出です。当時はまだ一眼カメラのフイルム撮影でした。そのネガがみつからないの整理していたアルバムに貼っていた色褪せたこの写真しかありませんが懐かしいですー。
 この鶴ヶ城は日本人だったらすぐに口ずさむ事の出来るあの有名な唱歌「荒城の月」のモデルの一つでもあります。小学校六年生の修学旅行時この城内で「荒城の月」の記念碑を見たためこの鶴ヶ城がモデルと思っていました。しかし東映で高岩淡さんが社長時代に製作プロデュースした作品「わが愛の譜 滝廉太郎物語」(1993年)を観て「荒城の月」のモデルが大分竹田の岡城跡であったのには驚きました。しかし日韓同時開催2002 FIFAワールドカップの海外向け日本サイド観光プロモーションビデオを制作している時に、その開催競技場の一つ大分県を紹介するのに民芸品の「姫だるま」とその岡城跡を撮影に行きました。実際に岡城に行ってみてこの城跡もあり得ると思った次第です・・・。

       八重は「荒城の月」のモデル? 同志社女子大学 コラム

   
 鶴ケ城天守閣から、多分、見た会津の眼下 町並みだと思います。  Data:1993年2月下旬多分
 この光景は、小学六年生の時見た時とその当時やはり二昔経て見た風景に思い出深いものがあります。当時、市内小学校が合同で修学旅行列車を利用し各学校単位で修学旅行行動をしました。そしてこの天守閣で、当時別の学校生徒であった保育園時代に仲の良かったキリンさんのような子と偶然出会ってしまいました。通学地域が違い別々の小学校なので、偶然にもまさか歴史深いこの会津の鶴ケ城で、天空に一番近い天守閣で一緒になるとは思っていませんでした。さすがに12歳近くになっているとお互い無言で顔を見合わせはすぐにすれ違い風に離れて歩いてしまいました。その天守閣から広がる会津の青空と山、町並み風景に溶け込んだキリンさんのような瞳が今でも印象的で深く脳裏に焼き付いています。その想いを、この修学旅行時の思い出を秘め、同じ天守閣からの風景を二昔経て改めて神妙な面持ちで一人みていた気がします・・・。
 その後において”君は私の過去を忘れさせてくれた”
ヒッチコック監督作品「レベッカ」の中の科白のような人が現れる事が起きたのか、今、検証しなければいけないと思います・・・。




コメント (3)
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