コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

大菩薩峠 霊験あらたなり 1 旧大菩薩峠 賽の河原 其の弐

2011-11-15 | 大菩薩峠 霊験あらたかなり
           旧大菩薩峠 賽の河原 親不知ノ頭下った方面から大菩薩嶺
 映画「大菩薩峠」で水車小屋の与八?が石を積んでいる場面がありましたが、はやり中里介山さんはこの旧大菩薩峠をイメージして小説を書かれたと思いました。
 「どうじゃ与ハ、恐ろしいことではないか。頑是(がんぜ)ない子供がやっと積み上けた小石の塔を、鉄の棒を持った鬼が出て来て、みんな突きくずすのじゃ。なあ、これを他人事(ひとごと)と思ってはいけないぞ、追善作善のつとめというをせぬ者には、みんな鬼が出て来るじゃ、何をしてもみな成り立たないで、みんなくずれ出すのじゃ。よいか、他人事と思ってはいけないぞ」

      

 ーこれはこの世のことならず、 死出(しで)の山路(やまぢ)の据野(すその)なる、さいの可原の物語、 聞くにつけても哀れなり、 二つや三つや四つ五つ、 十にも足らぬみどり子が、さいの可原に集まりて、父こひし、母こひし、こひし、こひしと、泣く声は、さいの可原に集まりて、父こひし、母こひし、こひし、こひしと、泣く声は、この世の声とはことかはり、 悲しさ骨身(ほねみ)を透(とほ)すなり、かのみどり子の所作(しょさ)として、河原の石を取り集め、 これにて回向(ゑかう)の塔を組む、 一重(ち ゅう)、組んでは父のため、二重、組んでは母のため、三重、組んでは古里(ふるさと)の、兄弟わが身と回向して、昼はひとりで遊べども、日も入相(いりあひ)のその頃は、地獄の鬼が現はれて、やれ汝等は何をする、娑婆(しゃば)に残りし父母は、追善作善(ついぜんさぜん)のつとめなく、ただ明け暮れの嘆きには、むごや悲しや不憫(ふびん)やと、親のなけきは汝等が、苦患(くげん)を受くる種となる、われを恨むることなかれと、くろがねの棒をさしのべて、積みたる培を押しくづす、ー
  小説「大菩薩峠」で水車小屋の与八が石で地蔵さまを彫っていいる時に東妙和尚から聞く歌
          「西院河原地蔵和讃(さいのかわらじそうわさん)」 空也上人御作




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2 コメント

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前の記事に追記 (西を向く人)
2011-11-19 17:55:03
大菩薩峠といえば、
もちろん第一に中里介山の大長編が思い浮かぶのですが、
私などは(その世代ではないにもかかわらず)赤軍派の「大菩薩峠事件」が思い浮かび、どうも暗い陰惨なイメージがあったりします。
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お元気のご様子 (Youzo)
2011-11-29 06:06:03
お久々です。
コメント頂きありがとうございます。気づくのが毎度毎度遅くなりすみません。かんにん
さて、この大菩薩峠登頂?に関して思うところありますので時間をみては書きたいと思います。しかしこの小説「大菩薩峠」も未完で終わっている故この私の物も未完のままになる予感がします・・・・。いつも、毎度毎度予定は未定のためー。
 それより来年みんなで、丹波山村や小菅村から大菩薩峠を登り、そしてキャンプ場で一泊のアウトドアライフをしてみたいですネ。
みなさん、どうでしょうか?

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