ふるさとの冬は厳しい
母は100歳くらいまで百姓をしました。104歳までは居間で腰籠(あじか)を家人が少し手伝って編む事ができ、道の駅で100歳婆さんの籠として買ってもらいました。
103歳の頃地元新聞紙の連載「ばんざい100歳」で、新聞一面ぶち抜きで、紙面を飾ったこともあります。
数年前、慶応大学病院の老年医学の先生が超高齢者研究で来宅され、本人や家族から聞き取り調査と血液採取をして行かれたこともあります。
昨年の夏までは家の中も手押し車で介助を受け自己排泄もできました。家族介護は兄の家内は亡くなり、甥の若嫁と隣に住む姉が主に介護をやってくれました。ほぼ寝たきりになったのは昨年夏からです。
最近は月10日のショートステイ、週3日のデイケアで施設のお世話になってきました。費用は月15万円ほどとか、老人介護の費用も半端ではありません。高齢はめでたいばかりではありません。
今朝の電話では容態に変わりはないようです。初日から看護婦さんが呼びかけると、顎を引いてうなずきしっかり答えようと気力を振り絞りました。わたしにはうろんな感じで分かったと顎を引くのみ。
姉の呼びかけには反応が違います。昨日は酸素マスクを外してやって若嫁には、かすかに「ねえちゃん」と反応します。一番頼りにしてにしてきて面倒を見てもらったので分かるのです。
ねえちゃんには本当によくしていただいたので、こんなに長生きできたのでしょう。感謝しています。老人介護は大変ですからね。
本音を言うともう十分なのでお浄土へ還らせてほしいと思っています。生かされるのは本人も苦しいですから。痰の吸引器をかけられるといかにも苦しそうです。100歳前後の耄碌前は、業(ごう)が深いので仕舞って行けないと当人が嘆きました。
今日は少しまだこの世にいそうなので一旦私と弟は帰宅の予定にしました。