たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

おだやかな日曜日

2012年02月12日 | 音楽

今日2本アップしたら美濃加茂の山登り君が3回目のコメントをくれた。数日前愛知県に住む高校級友が久しぶりに二人に同報メールをくれた。その返信に宣伝しない方針だったブログをポロッと言ってしまってばれたからである。(口が軽いと神さまの声・・)

彼は爺の大事な級友の1人、文才もあり素直な文章を書くといつも誉めている。彼は趣味の山登りのホームページ、観音さま参りのブログをアップしている。元気者です。コメントありがとう。

今日は朝11時頃恒例の喫茶店で朝、昼兼用のモーニング。夕方行きつけのココ一番屋でポークカレー200gの軽量とお決まりメニュー。300gが普通で430円⇒200gは380円とこのチェーン店は良心的。この店のカレーが不思議と飽きがこない。

近くのスーパー銭湯へ行く。昨年ゴルフで痛めた左手首を電気風呂でブルブルやっていたら、若いパパに連れられておもちゃのじょうろを持って1歳半くらいの女児が入ってきた。爺との間にいる中年爺じがこの子の背中にお湯をかけている。一家だ、あまりに可愛く眺めていて、電気から上がったら爺にバイバイしてくれた。天使ですね。

帰ってネットニュースでポップの女王ホイットニー・ヒュ-ストン48歳死去を報じていた。彼女のCDは2枚持っている。一枚は全世界で4千万枚を売ったとニュースでいっている、映画ボディガードの主題歌 ・I WILL ALWAYS LOVE YOU (アイ ウィル オールウェイズ ラヴ ユー)が入っている、オリジナルサウンドトラック盤である。 6~7年前この近くのビデオレンタルショップが閉店し、レンタルCDの中古を200円で販売した一枚だ。彼女の伸びと透明感のある高音が消えてしまったのか。合掌(ひまつぶしに今日3本目のアップ)

Whitney Houston - I Will Always Love You - Lyrics

P.P.K

2012年02月12日 | 日記

70歳になったとき健康保険証とともに小さなパンフが入っていて、健康管理を確りやってP.P.Kで逝くようにと書いてあってPPKはPIN.PIN.KORORI、ぴんぴんころりの頭文字とあって笑った。70歳を過ぎると誰でもぴんぴんころりを願うようになる。

入院した母の容態を今朝電話で聞いた。看護士さんにありがとうが言えるらしい。頭はモウロクしているので話しかけても、うろうろした反応は入院前もそうだったので、意識は十分あって入院で健康状態は取り戻したということだ。

病院の付き添いも、完全看護なので食事の介助が必要なら意味もあるが、嚥下できないので付き添っていてもしかたがない、小康を得て落ち着くようなら家人は家に帰って病院へお任せでもいい、病院から帰宅するとき家族にそう提案した。兄はもしもの臨終に立ち会えるかどうかだけのことなのでそうするといった。

今朝電話で姉に聞くと昨晩から、昼間だけの付き添いとし夜は帰宅にしたといった。それでよい。

平成10年に逝った亡妻はその前年の10月入院、8ヶ月余を完全付き添いを自分と、妻の妹に頼んで、土曜の夜は長男として分担して付き添った。乳がんが骨転移して痛みで食べることはできなかったし、付き添いは必要はないが、痛みが強烈で置いて帰るという非情なことができなかった。胃に何もないので緑色の膵液を時々嘔吐するし、そういう時付き添いが役立った。

補液はがんが食べるだけなので水だけ、後はモルヒネの点滴だけ、それも最高21アンプルを入れた。バッグに21Apとマジックで書いてあった。1アンプル1CCでそんなに使う患者は知らないと、家の近くの60歳近い看護士さんが当時話された。

医療費はいくらかかるか、これが問題なのだ。ワープロに入れてフロッピーディスクに保存しておいたら、使わないからかこの機械が故障し立上がらない。メーカーは諦めてくれといってデータを取り出せない。看護日記、医療費、葬儀など一切が入っていた。

手書きのメモをみると一日4,500円の個室料で月30万円前後を支払っていた。今の医療費と大差はない。長期個室入院はこの経済負担が家族を圧迫するのである。 

・妻を看取る日 垣添忠生 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録
を一昼夜で読了した。その中にもがんの骨転移は痛みに耐えられないとあった。
・がんと闘った科学者の記録 戸塚洋二著 立花隆編 を今日から読む。
図書館の本である。その前に過日甥の長男のマシン・アップルを借りた縁でブラウザをApple Safariを入れた。前に入れていて使ったことがある。このブラウザは立ち上がりが早いね。 今日は2本目のアップとなった。


ニ上山 (にじょうざん)

2012年02月12日 | 旅行

ふるさとは名残雪

あるとき高校の級友と、彼の趣味・仏像彫刻の師、東京・浅草在の著名な仏師と三人で大和の国と河内の国境になる二上山(にじょうざん:ふたがみやま)のふもとにある當麻寺(たいまでら)を訪ねた。

この二上山には大津皇子が葬られている。大津皇子(おおつのみこ)は要するに皇位継承争いの犠牲になられた皇子であろう。
”686年(朱鳥元年)9月に天武天皇が崩御されると、1ヶ月も経たない10月2日に親友の川島皇子の密告により、謀反の意ありとして捕らえられ、翌日磐余(いわれ)にある訳語田(おさだ)の自邸で死を賜ったのである。日本書紀には妃の山辺皇女が殉死したと記されている。”(ウィキペディア)

”大津事件に連座した流僧・新羅沙門(しらぎのしゃもん)幸甚(こうじん、行心とも)は飛騨国の伽藍(がらん)に移された。(俗人なら流罪に相当)
行心の子である隆観(りゅうかん)が大宝二年(702)四月に、神馬(しんめ)を献じたことから罪を許されヒダ国の表記、「斐太」、「斐陀」、「飛騨」へとなったのではないかと推測されている。神馬とは龍馬のことで普通の馬ではなく空飛ぶ馬ペガサスです。”
・飛騨 よみがえる山国の歴史 和田萃(あつむ)京都教育大教授 基調講演
"この伽藍はどこか⇒最も有力候補なのが古川・国府盆地の(現存しない)寿楽寺です。"
・同上 八賀晋 三重大教授 基調講演 飛騨国府シンポジューム

私が生まれ育った飛騨の国名と、このニ上山は何かと縁が深いのである。そこで一度當麻寺へ行って見たいと思ったのだ。私どもが学んだのが斐太高校夜間部なのである。

古代仏教はこの二上山の山容が双頂で雄岳、雌岳が北南に位置し三尊来迎のイメージとピッタリの姿なので源信が絵画に残したのであろうか。西方浄土といって極楽は西にある。大和から見てニ上山は西に位置する。また源信は当麻に生まれた。

當麻寺へお参りしたとき居合わせ旅人が二上山の大津皇子の墓へ詣でたといわれた。質素な墓があるのみと答えられた。日本書紀は多分に勝者の側から書かれた歴史書ともいわれる。
      ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
                                                                       (万3-416)大津皇子
辞世の句として知られる。

山越えの阿弥陀図
は代表的作例としては京都の禅林寺本と金戒光明寺本がある。そのほかにも沢山あるようだ。