たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

読書 「妻を看取る日」 その2

2012年02月16日 | 読書

歳を取って一番の願いは下の世話にならず仕舞って逝きたいというのが皆の願いです。
・妻を看取る日 垣添忠生 新潮社
感動する場面はいくつも書かれているが、昭子さんが最後の入院で、薬のせいでかなり頑固な便秘になる。”毎日の排泄は大仕事・・だが妻は、特に大は、私がいるときは必ず私に世話をさせた。 「あなた下手ねぇ」、「俺の専門は泌尿器科だから、小のほうをとるのはお手のもだが、これでは屎尿(しにょう)器科医じゃないか」と、落語のような毎日を続けているうちに、私はメキメキと腕を上げていった。「排泄は人間の尊厳に深くかかわる」と。” 素晴らしい夫婦愛ですね。なかなかできるものではありません。

日本のがん医療の頂点に立ち続ける立場で、愛する妻をがんで亡くすことは自分の恥だと、最先端医学と同僚医師の最大協力でも治せなかった悩ましいがん。一般人はこれほど早期に発見され、以下のような重厚治療は受けられない。(以下は似たようながんに悩む自分のためノート代わりにメモした) 

・もともと病弱な昭子さんは膠原病で何十年もステロイド剤を服用していた。
・2000年に肺腺がんが発見され左肺切除手術する。(これは非小細胞がん:一般的がん)
・数年して今度は甲状腺がんになり甲状腺の大部分とリンパ節を摘出する。
・そして数年後また頸部の腫れが見つかり、甲状腺の二回目の手術をする。 
・2006年の春、がん専門病院の肺診断の名手といわれるDr が右肺に5.5×4.6mmほどの影を見つける。
・--小さくて確定診できない--経過を診る--3ケ月後CT--さらに2ヶ月後CT、明らかに大きくなる。
・2006.9~10前歴から--非健保治療・陽電子治療を受ける(費用20回、283万円)--
・2007.2CT右肺門部に影--CT検査下のリンパ節針生検で「肺小細胞がん」の転移を確認。第三の原発性がんの発生を確認。(治療の難しい小細胞がん)
・2008.3~8化学療法、抗がん剤 6~7月放射腺治療20回、5ヶ月に及ぶ治療終了。
・2008.10再々発発見、MRI,PET-CT多発性脳転移、肝転移、肺転移、副腎転移確認。新たな科学治療開始、夫の医学研究のために受忍したようだと。
・2008,12末期を迎える、大晦日との4日を自宅で過ごす。31日永眠された。

肺がんはがん細胞の組織の型によって四つに分類される。まず、小細胞がんと非小細胞がんに大別され、非小細胞がんには--腺がん扁平上被がん大細胞癌の三つがある。
(私も罹った)腺がんと呼ばれるのは、胃液を出す胃腺のような腺組織に形がよく似ているからだ。肺の奥深く、気管支が細かく枝分かれした末端にできやすい。女性の肺がんの7割を占める。
・現代医学では肺の小細胞がんスキルス胃がん膵がんなどは時に治療が難しい。
・胃がん、大腸がん、乳がん、子宮頸がん、通常の肺がんは早期発見なら悲劇を防げる。
・適切ながん検診を受けること、すぐたばこをやめること、とあった。
・緩和医療は平均して3週間から1ヶ月の緩和医療を受けて、終末期の病態を得て患者は亡くなる。(私の亡妻の14年前は緩和医療というものはなかった)
・今後は残された夫のグリーフケア(悲嘆の癒し)論を体系的に研究されるとあった。
・先生も後日、うつ状態になり、酒びたりになり、妻の服や靴が目に入っただけで、涙がふきだし・・。

皆同じだなぁ。垣添先生は立ち直りが早く立派だ!私の場合はもっとひどかった・・いろいろあった。精神力、生活力、地域から孤立する情けない男やもめ、義母が言った、男やもめにウジがわき、女後家に花が咲くって・・甘ったれの末路かなぁ!