・がんと闘った科学者の記録 戸塚洋二、著 立花隆、編 文芸春秋社 2009.5刊
本の紹介です。過去記事で2回戸塚先生のブログを紹介しましたが、このブログが本になったものでした。
以前から交流のあった立花氏が著者の死後本に編集されたようだ。立花氏が序文で(この方は膀胱がんを罹患)
”本書は「文芸春秋」2008年9月号に「あと三ヶ月 死への準備日記」という形で発表された(’08文芸春秋読者賞受賞)、故戸塚洋二・東京大学特別栄誉教授が密かに匿名でインターネットのブログページに書き綴っていた、がんとの闘病記録である。
単なる闘病記ではなく、さまざまなことを書き連ねた随想録になっていて、実にその内容が豊富である。人生論、科学論、自然論、医学編、教育論、社会論、宗教論、時代論などあらゆるものに筆が及んでいる。”
と、述べている。序論で立花氏と戸塚氏との過去の親しいつきあい等が述べられていた。
帯には”「恥ずかしい死に方はしたくない」ニュートリノ観測でノーベル賞が確実視されていた物理学者が、最期の11ヶ月に綴った病状の観察と死に対する率直な感想”
ブログを始めた目的は、離れて生活している子供や、私の兄弟、知人らに近況を知らせること、そしてブログはつれづれなるままに書き・・という事で始まっている。
闘病記は、私は商売柄どうしても数値化しないと気が済みません、と冷静に自分の体ががんに侵されていく様子を、数値化、図表化し観察していく科学者としての第三者の目の記録が圧巻です。
CTの画像を医師に無理を言って貰ってきて、写真をライトパネルに固定し、マイクロレンズを装着したデジカメで撮影、電子ダータ化してブログにアップされたらしい。楽しんで書いておられるような様子に驚きます。
私が興味を引くのは同じ大腸がん。直腸とS字結腸の一部を摘出されたらしい。2000年に見つかり近傍のリンパ節3個に転移が見られステージ3aと、進行した発見だったこと。
仕事場の奥飛騨の地、現在飛騨市神岡町茂住(もずみ)の地は、私の故郷から4、50km、一時期私の仕事エリアでもあった地です。
辺鄙な神岡鉱山の廃坑後に作られた、ニュートリノの観測施設で20年も過ごされたこと。仕事場は金龍寺さんから一軒挟んで南側にあった。
私はこの金龍寺へも親戚の葬儀でお参りしたことがあります。その際の喪主挨拶でも「トンビがまともに羽を広げられないほど狭い空で・・」と述べられました。それほど狭く日当たりの悪い地、国道41号線が改良されて便利にはなりましたが買い物の店も乏しい侘しいところです。
この奥飛騨の自然を情感豊かに語っておられます。
ブログににも大腸がんになった原因を飲み過ぎと自嘲しておられますが、立花氏が序文で書いているように、著者の酒の飲み方は度数の高い酒を、割らずにストレートにグイグイ飲んでしまう、東大助手時代にドイツに留学し身に付けたという記述にも驚いた。
2000.11 最初の大腸がん手術
2004.2 (再発)左肺に転移 2ヶ所手術で切除
2006.9 (再々発)右肺に転移多数手術不可
2006.4 化学治療開始
2008.1 肝臓に転移発見
2006.2 骨に転移発見
2006.3 脳に転移
2008.7 逝去 2004文化勲章受賞
転移したらどうしようもないと、この本でも、妻を看取る日の本でも実感した。変に化学療法で苦しい思いをするより、緩和治療を受けて死を待つという選択肢があるとも思った。
それに大腸摘出や胃の摘出をやると、イレウス(腸閉塞)が起き易いことは知っている。戸塚先生は何度もイレウスが起こり苦しかったと思った。
それに同じ名文でもWeb文書と活字で読むとのは随分感じが違いますね。やはり活字の方がよい。
若い女性のYUKAさん が闘病生活と、イレウスの苦しさをアップしている。これに比べると私の後遺症や予後は幸運だったと言えるのかも知れない。