たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

妻恋の書

2012年02月14日 | 読書

 

ふるさとは名残雪  わたしは祈ります

・「このがんこの病院」 1990.7刊 朝日新聞社
この本は、家人が苦しい末期の病床にあったとき(1997.10~98.6)最後の入院から死ぬまで世話になった病室へ、息子が買ってきた本である。
この本は朝日の医療記者5人が名だたる名医を訪ねて問答形式で記述した良書である。随分役に立った。

・「妻を看取る日」 垣添忠生 2009.12刊 新潮社
昨年いつだったか、朝日新聞に「妻見送った医師の苦悩」国立がんセンター・垣添名誉総長が著書」と紹介した。これを切り抜いた。
”過去に何人もの患者を見送り、家族を失う悲しみは理解しているつもりだった。だが、そのつらさは想像を超えていた。1人残された男性が「死ねないから生きている」どん底の日々から、生きる力を取りも戻すまでの2年間の記録。2人にこどもはいなかった。40年前12歳年上で既婚者の昭子さんの聡明さにひかれ、駆け落ちまでした・・葬儀は弟夫婦と3人で執り行った。”

初めに紹介した本、膀胱がんの項目は当時国立がんセンター病院病棟部長だった垣添忠生氏との一問一答である。写真も載っているが24年前当然若い。最後は総長までやられこんな医師だったのか。是非読まねばならん。新聞を切り抜いた。膀胱がんはその後自分も罹患することになって何度も読み返している。

似たような記述を思い出した、家人が末期入院の際、病院の喫煙室に置いてあった
・週刊朝日 1997.11.21 リレーエッセイ 「ひと、死に出あう」 倉嶋 厚
気象キャスターのさきがけ、NHKの天気予報番組の視聴率を大幅アップされた名キャスター。わずか2ページのリレーエッセイながら”妻との死別の悲しみは深く”慟哭の記録である。
これも当時コピーしてきて、わがアーカイブス(永久保存)になっている。身近な方が家族を亡くされるとお悔やみの手紙にコピーして送ることもある。
氏のエッセーを後日、別の雑誌で読んだ。死のうと思って住んでいるマンションの屋上から飛び降りようと試み、怪しまれないようカメラなど肩にうろうろされたらしい。
その後、気の毒に思った同じマンションの老婦人が、身の回りの世話をしてくださっていると記してあった。当時の氏は73歳。この方にもこどもがなかった。

「がんと向き合う6冊」朝日(2011.12.27)に昨年妻の歌人河野裕子さんを乳がんで亡くされた、永田和宏さんが新聞社の求めにより寄稿された。氏の推薦の6冊
・妻を看取る日 新潮社 垣添忠生
・いまも、君を想う 新潮社 川本三郎 食道がんで逝った妻の妻恋の書とある。こどもはいなかった。
・紅梅 文芸春秋 津村節子 舌癌とすい臓がんで逝った夫吉村昭との最後の日々を小説に綴った。
・がん 生と死の謎に挑む 文芸春秋 立花隆 NHKの特別取材班と記録。
・がんと闘った科学者の記録 文芸春秋 立花隆がまとめた科学者戸塚洋二の11ヶ月の自己観察記録。
・蝉声(たんせい) 青磁社 河野裕子 鉛筆を握る力がなくなると、家族の誰かが口述筆記した最終歌集。

永田氏は歌人でもあり、現・京都産業大総合科学部長、前職は京大再生医科学研究所教授の細胞生物学者である。現在朝日歌壇の選者のひとりだ。
今年の歌会始詠進歌選者でもあった。お姿はその中継テレビで拝見した。わが市の図書館の本を検索するとこのうち3冊があった。誰かが読んでくれる日を本が待っている。近いうちに読む、ブログなどやる暇はない、やるのではなかった。