たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

新聞 社会面から

2012年02月21日 | 日記

ふるさとは名残雪 飛騨金山ドライブイン・飛山

私が取っている新聞は朝日・朝刊のみ、この購読者になってもう数十年長いなあ。政治面は少しヒステリック、文化面がなかなか良いと会社の頭のいい後輩に言われてから40年くらいか。印象に残る記事をたまに切り取る。社会面では少ないが1月24日社会面トップの特集は良かった。

「奇跡の命 優しく大きく / 僕も頑張っている。だから君も / 中越地震で93時間ぶり救出 優太君(10)」 もうお分かりですね。”2004.10月の新潟県中越地震で、山崩れの岩石の中から奇跡的に救出された当時2歳の男の子”のその後の報道でした。
新潟県魚沼市の祖父母(祖父75歳)とここで3人で暮らしてきた。1メートルを越す雪の中を記者が訪ねた記事です。
写真がいい。救出時の東京消防庁提供の救出隊員に抱きかかえられる一枚は、皆川優太君は生きてるとは思われない哀れさ、もう一枚は今は小学校4年生になり、防寒着に分厚い帽子を冠って優しそうな笑顔で友達と雪遊びしている。

ホッコリですね。記事もなかなか良い。母と姉は亡くなったが、つぶれた車の中と岩の間に命が生き延びていたのを警備犬に発見された。
”東北で大変なのは知ってるよ。みんなも元気出して”と優太君のメッセージを伝えていた。

東北大地震の記事では災害後一ヶ月目の4月11日目の記事「生きていく ともに」の特集。
家族を亡くしたこども三人と、阪神大震災で家族を失って18歳になった青年のその後と、メッセージを一面全紙で特集した。
その中で気になるのは 宮城県宮古市の昆 愛海(こんまなみ)ちゃん4歳。父38歳、母32歳、妹2歳とともに流され、まなみちゃんだけ刺し網に引っかかり助かった。
その後、祖母63歳と二人で暮らしている。当時この子が書いた手紙を報道した。

ぱぱへ。
あわびとか うにとか こんぶとか いろんのをとてね
ままへ いきてるといいね おりがみと あやとりと ほんよんでくれてありがと

思わず貰い泣きした。未だ学校へも上がっていないのに。その後6月21日特集で昆 愛海ちゃんのその後を報じた。
もっと後で今度はテレビでこの祖母ではないか?この子が二十歳になるまで生きていたい・・と語っておられた。
どうかおばあちゃんは長生きして、まなみちゃんは健やかに育ってほしいと願わずにいられない。

今朝の新聞、14日に長崎で”保育士めざした23歳/女性事故死/バレンタイン 児童に配るはずだった/ 絶たれた夢 残ったチョコ” トンネル内の対向車線で追突した車が中央線を突破してきて正面衝突で亡くなったことを特集した。

今日は山口県光市の母子殺害事件の最高裁差し戻し審判決の日、どう判決されるか、若し自分が裁判員に選任されたら辞退する。年齢でも病気でもその条件を満たすし、自分には判断は無理。できない。どれもこれも尊い命だ。
(判決は出た、以上は草稿のままアップ)

付録)母の容態は安定して来て先週金曜日は楽飲みで水をホンの少し、土曜はズル粥を少しと、Drの指示でOKだったと、嚥下できる。看護士さんに「ありがと」言えるようになったらしい。Drは盛んに誕生日を気にされるとか・・なんせ108歳に達するお婆を看取るのも、センセも二度と無いかもよ頼むでぇ。