たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

裁判

2012年02月22日 | 日記

山口県光市母子殺害事件に判決が下り、予想通り死刑と宣告された。

それにしても思うは被害者家族、夫の本村 洋(35歳)さんである。この事件の一審判決があったのは2000年3月、山口地裁無期懲役だった。高裁判決は2002年、広島高裁やはり無期懲役だった。この高裁判決のあった夜だったか、久米宏のニュースステーションに出演され、「加害者は何年か経てば釈放される、その時未だ加害者には性欲は残っているだろう、また同じ犯罪を犯したら裁判所は責任を取ってくれるのか」と、激しい主張をされたのを鮮明に記憶している。
頭が切れ弁舌爽やかな若者と目を見張った。22歳の若者だったことになる。それからの本村さんの被害者救済の活動は瞠目すべきものだった。

2006年6月、最高裁判決で「被害感情は峻烈で」差し戻し、今回の差し戻し上告審判決文でも「遺族の被害感情は峻烈を極めている」と、判決理由に述べているが、これは少しおかしくないか。
裁判所は本来どう被害者感情があろうとも、法に沿った厳粛な判決をしなければならない。被害感情に転嫁したような判決文が気になる。
注意して読まねばならないのは、被害感情であって報復感情ではないということ。敵討ちではない。犯した犯罪には法律で定める刑で罪を償ってほしいと本村さんは言っていて、それが結果的に死刑だったということだ。

裁判所は1983年永山基準という裁判官のためのマニュアルを示して標準としている。素人から見れば永山基準はいわば身内の申し合せ、個々の裁判官の負担を軽くし、世間にも目配りして、2人以上なら死刑、1人なら無期なんて、どこからそんな論拠が出てくるのか。永山基準は馬鹿げたものだと思うが如何か。

本村さんはこうした不条理・矛盾を社会に突きつけ、04年に「被害者の権利」を明文化した犯罪被害者等基本法、08年に導入された裁判に被害者が参加できる法整備の原動力となった。法廷でも人権派と称する一風変った弁護士をも論破したと、読んだ記憶がある。
立派な方だと思う。これからは日にち薬で、子供もつくって嫌なことは忘れるように努めて、静かに平和に暮らしてほしいと願っている。

付録)目には目をでは、イランにはそういう刑罰が残っていて、硫酸をかけられて目をつぶされた人に、裁判所は同じ硫酸で加害者に報復してよいと判決が下ったと、最近新聞で読んだ。
つい近年まで無期懲役は期を定めない長期刑で、15~20年も勤めれば釈放されるなんて知らなかった。終身刑は日本には無い。懲役は刑務所で仕事をする、禁固は独房でひたすら反省なんてのも知らなかった。禁固を懲役に希望することも入ってからできるらしい。