たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

来迎(らいごう)

2012年02月11日 | 読書

ふるさとは名残雪

ブログ講習会、私の三つ前の席に座っていた若い女性を思い出す。ブログタイトルは「魂の歌- 私は祈ります」タイトル、サブタイトルとも宗教的薫りに満ちていた。ブログは残念ながら続けておられない。彼女はクリスチャンだったのだろうか。

仏説阿弥陀経 極楽の素晴らしさを説いたお経
舎利弗、若有善男子善女人、聞説阿弥陀仏、執持名号、若一日、若ニ日、若三日、若四日、若五日、若六日、若七日、一心不乱、其人臨命終、阿弥陀仏、與諸聖衆、現在其前

しゃりほつ にゃくうぜんなんしぜんにょにん もんせつあみだぶつ しゅうじみょうごう にゃくいちにち・・~・・にゃくしちにち いっしんふらん ごにんりんみょゆじ あみだぶつ よしょしょうじゅう げんざいごぜん

舎利弗よ、もし善男子、善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日・・~・・もしは七日、一心にして乱れざれば その人の命終に臨みて 阿弥陀仏、もろもろの聖衆と、現じてその前にましまさん (真宗聖典)

いわゆる浄土仏教の来迎です。舎利弗は釈迦の高弟。

”日本の宗教絵画の中で、最も美しい図相を示しているのは来迎の図である。歴史に現れた様式で著しいものが三つある。一つは源信(942~1017)筆と伝える
・二十五菩薩来迎図 ・山越えの弥陀 ・三尊来迎(最後のこれが大衆に喜ばれた)の三幅。
(慧心僧都えしんそうずとも称される、幼くして比叡山へ登り良源に師事。「往生要集」を著す)
弥陀が衆生を迎えんとて、観音、勢至(せいし)菩薩のニ脇士(わきじ)を伴って、雲間から降りてくる図である。”・南無阿弥陀仏 柳宗悦 岩波文庫

”もうひとつ、”古墳の闇から復活した大津皇子(おおつのみこ)の魂と藤原の郎女(いらつめ)との交感-日本文学の最高の金字塔-山越しの阿弥陀像の画因”
・死者の書 身毒丸 折口信夫(おりくちしのぶ) 中公文庫
この不思議な文体の本には上記の来迎図4幅が収められている。今日これを改めて観た。

大津皇子が眠る二上山(大和盆地)のふもとの當麻寺(たいまでら)へお参りした事がある。二上山の山容は、源信描くところの男嶽、女嶽(おのかみ、めのかみ)の間から三尊が来迎するイメージそのまゝの景色だった。
奥院の宝物館拝観をした際、大奥さまが錠を開け案内された。館内には天平七年中将姫(ちゅうじょうひめ)が感得し蓮糸で織り上げたという當麻曼荼羅(たいままんだら)、のほか法然上人行状絵伝48巻(鎌倉時代 重文)、二十五菩薩来迎像(室町時代)25体の仏様が展示してあった。

今は祈ります。昨日の母の容態は変らず、ナースさんの看護に「ありがとう」といって付き添いを驚かせたらしい。