たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

仏教講演会余話

2013年08月10日 | お寺参り

8月9日継鹿尾観音寂光院の九万九千日記念ひろさちや先生講演では、「南無」の意義について話されました。
浄土系の親鸞聖人は“「帰命尽十方無碍光如来」(きみょうじん じゅっぽう むげこうにょらい)ともうすは、帰命は南無なり。また帰命ともうすは、如来の勅命にしたがうこころなり。“と「尊号銘文」という文書の中に解説されています。
南無も帰命も同じ意味なのです。正信偈という親鸞の偈では「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と始まります。
「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無し奉る」、永遠の寿命の如来に帰命し、思うことも量ることもできない光の仏に南無します。という意味です。手次寺のお盆法会の講師も南無を解説されました。南無も帰命も同じ、どこまでもついて行きます。随順します。お任せします。阿弥陀の阿はサンスクリット語の「無し」という意味、弥陀はミターで量りのこと、如来の如は如実なるもの、真実なるもの、無上なるもの、無碍なるもの、すなわち仏、覚者であると。
「すがれ助けるぞ」という如来の呼びかけ、勅命にただ「お頼み申す」と、お願いすればいいわけだ。
ひろ先生の講話の最後は、傷つきのたうち生きる人生もそれはそれでよい。我々は持っている物差しが1本の価値観で見ている。仏様の物差しで「何だっていい、万がいちのときは、ただ泣けばいい」。物差しは英語でスタンダードという。これもダブルがよい。何だっていいのと、万がいちので、ナンマンダブだと最後は語呂合わせで笑わせ終了しました。

祭壇前に珍しい釈迦苦行像が飾ってあります。多くの方と祭壇にお参りし、写真を撮らせてもらいました。釈迦は出家し6年におよぶ「難行苦行」の末に「独自の中道の思想」に到達し、悟り(最高の真理)を得ます。
その断食修行中の像です。その苦行には片足で一昼夜立ちつづける、あるいはまばたき一つせず太陽を裸眼で見つづける、また釘の上に寝るなどの修行があったが、(釈迦の修行中の名前)ゴータマ沙門が選んだのは、その中でももっとも困難とされる、断食の修行であった。
断食は普通21日を限界とするのだが、沙門はその何倍もの日数に挑戦したという。骨と皮ばかりの体になったその苦行像です。お腹のヘコミがリアルです。
パキスタンのラホール美術館にある有名な苦行像のレプリカです。ネットで検索していただくと、紀元前3世紀頃の発掘された、苦行像の画像がたくさん出てきます。

ゆっくり拝んで階下に下りると、先生は著書のサインに応じたり、聴衆の質問に答えておられました。自殺希望の人をどうサポートすればいいかという質問に答えておいででしたが、終わって周囲の人に握手され、思いがけず自分にも両手で包んでくださったので、「先生と同い年です」といいました。「子年ですか」、「そうです、ネズミの昭和11年です。今日はありがとうございました」と、挨拶しました。講演で77歳になったと話されたからです。


仏教講演会

2013年08月10日 | お寺参り

講演会ホールから木曽川を見る

8月9日犬山市、継鹿尾(つがお)観音・寂光院「九万九千日」記念講演会は午後1時から恒例の「ひろさちや先生」が講師です。
受付事務所の少し奥の聖徳殿・多目的研修道場で行われます。1階は研修室写経のつどい、写仏教室などに使われ48畳の和室で座卓が並べてあります。2階が会場ホールで120畳の和室、やすらぎ説法、講演会、ミニコンサートなどに使われ、1階2階ともエアコンがつけてあり冷房が心地よい。
開演の辞を山主が告げられ簡単な挨拶、ひろ先生の講演は昭和60年から今回まで1度も休むことなく29回連続開催とのことです。人気ある先生の講演料はトップクラスでしょうから立派なものです。入場整理券は500円です。
今年もほぼ満室で500人は入ったでしょう。15分前くらいに行きホールへ入って正面近くのベンチ椅子に「どうぞ、どうぞ」と、私に腰掛けるよう勧めてくださる聴衆がいました。はなからそう見える高齢者だということでしょう。「もっと高齢の御婦人がお見えかもしれませんので・・ご親切ありがとう」と丁重に辞退し、奥へ進み正面左奥に坐りました。

ここは京都知恩院を本山とする真言宗のお寺です。関東は九万六千日というそうです。間もなく講師が入場され、正面祭壇に皆がお参りします。
「南無聖徳太子、南無遍照金剛(弘法大師)、南無釈迦牟尼仏」をそれぞれ導師の訓導に合わせ2回ずつ称え、最後に「おん ばざら たらま きりく」と、千手観音真言をこれも二度称えます。
ご真言は翻訳不許可と釈迦が言い残されたと、前に山主から聞きました。おまじないみたいなものでしょう。
ここで講師登場です。演題は今日は無く、先ず称えた「南無」についての解説から入られました。
南無は梵語(サンスクリット語)、古代インド語の ナマス が ナモー となり、カタカナやひらがなの無い中国では、漢字で音写して「南無」という。
意味は、「お任せします」ということ。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経皆同じ。任せた以上文句言うな、というお話からいつものさちや節に展開していきます。世界の宗教は皆同じ、「御心のままに成らせたまえ」と教えている。

まあ全部は書けません。該博な宗教知識を網羅して宗教の教えから、人生へのアドバイスにつながるお話を、軽妙洒脱に笑わせ、聴衆を納得させながら、豊富な例を引いて話される講演の名手で女性に大人気です。
私は家内を亡くした平成10年から16回も欠かさず聞いてきました。先生のサイン入り「わたしの歎異抄」も持っています。


九万九千日

2013年08月10日 | お寺参り

8月9日は尾張最古の古刹、犬山市、継鹿尾(つがお)観音、寂光院の九万九千日です。
午前中の護摩供養はこの一番暑い日、山頂の本堂で行われ急勾配の320段の石段を登らなければなりません。平成22年8月にスロープカーが設置され、受付事務所や庫裏のある駐車場から本堂行きが大変楽になりました。ご志納金は片道300円以上です。
私のように高齢、肺活量8割の身は大変有難いです。今年から車内にエアコンが設置されたようです。

車の駐車も毎年、木曽川畔の公衆トイレの駐車場を利用し20分ほど歩いて登っていましたが、今回も一旦そこに止めて、また思い直し近くまで行くと正門前に、午前中の護摩供養で帰った参詣者がいて2台分空いていて大助かりでした。正門から事務所まで歩いて5、6分登ります。夏は新緑、秋は紅葉の寺で有名です。

正門から受付までの参道

受付事務所前、観音堂、観音妙智力、能救世間苦の門柱があります。本堂まで行けない人はここで代参です。名鉄犬山駅からのシャトルバスの駐車場です。(縁日のみ運行)
コンクリート造りの立派な庫裏があり、事務所で300円をご志納し七七月(ななつき)参りのお札にハンコをもらいます。今年は無理せず本堂へはお参りしませんでした。
小奇麗な休憩所が設けてあり、一休みしアイスコーヒー300円を頂きました。とにかくここまでたどり着くのに汗だくでした。