昨日21日午前11時過ぎ、北海道三笠市立、三笠総合病院、精神神経科部長 宮下均先生(53歳)が診察中、患者の男(55歳)に刺されて亡くなりました。今朝の新聞を見て驚きました。
わたしが2004年2月24日にアルコール依存症の初診を近くの精神病院で受けた。約半年、週2回断酒治療と院内教育の通院治療~同年7月30日退院するまで、宮下先生の著作
・「鉄格子のむこうの青い空」 宮下均著 ㈱東峰書房 2000年7月25日第1刷発行
この本を集団治療教育の教材にされたからです。この本は著者がアル症治療を念頭に書いた小説です。
具体的にはこの本と、
・「アルコール依存症に関する12章」自立へのステップ・バイ・ステップ 斉藤 学編 有斐閣新書 1986年11月30日第1刷発行
の2冊を15、6人の入院・通院患者と集団で、本の何ページかを院長から指名された人が読み、その後院長が解説されます。それを順々に理解し身につけていく認知行動療法を受けました。
この2冊はアルコール依存症治療のバイブル的名著です。その著者である宮下先生が患者に刺されて、診察中に亡くなるとは・・言葉もない衝撃です。
先生の優しいお人柄や物の考え方が、職業体験と文学的素質で見事に、リアルに表現されています。
私のこの本の集団輪読、抄読会と称していましたが、読了は2004年7月27日と記録しています。簡単に先生の略歴です。
1959年 北海道に生まれる
1976年 東北大学理学部地学科卒業
1990年 札幌医大4年生だった1990年友人との合作「ぼくと相棒」で第2回朝日新人文学賞受賞
1993年 札幌医大を卒業
1994年 三笠病院勤務
2000年 同病院勤務のかたわら小説「鉄格子のむこうの青い空」を発表
2007年 同 精神神経科部長
お世話になり所持している「鉄格子のむこうの青い空」はいっぱいメモ書きがあります。その本の著者あとがきです。
” 小説家志望であった私が、自分の作品をはじめて文芸誌の新人賞に応募したのは、昭和54年ころであったと記憶している。以来、年中行事のように新人賞に応募しては落選という愚行を繰り返し、某大学を卒業した後、医大に入り直したのも、実は医者になりたかったのではなく、小説家になるための時間稼ぎに過ぎなかった。---(省略)---念願かなって某新人賞を受賞。---(省略)---それを機に医大をやめて一挙に作家への道へ、という度胸もなく、また次々と作品を発表するような力量もなく、惰性でそのまま卒業し、医者になってしまった。--- ”
謹んで哀悼の誠を捧げ、ご冥福をお祈りします。合掌