今日から9月である。歌手藤圭子さんが逝きはや初七日を過ぎた。週刊誌はいっせいに書きたてている。喫茶店の週刊文春を読んだ。彼女の人生は正に修羅だったといえるのではないかと思った。
“実兄、藤三郎独占告白 「家族をバラバラにした宇多田照實を許さない」「血を分けた兄だけが知る、歌姫の自殺に至る孤独と苦悩」、圭子さんの実兄が激白していた。いわく
・照實氏との結婚を機に、実家と疎遠になった妹、圭子。孫のヒカルを溺愛していた母(祖母)は悲嘆にくれた
・遺体に面会させず、遺骨も渡す気がない照實氏
・失明の恐怖に脅え、娘に「光」と名づけた母心“
肉親・親族同志にはいろいろあったのでしょう。実兄を遺体に面会させなかったとはひどい。葬儀社が身分証まで求めて、それに応じたのに、それでも面会させなかった。ヒカリの帰国を待ち彼女だけが面会して、葬儀は行わず直葬。霊柩車にヒカリが乗り、後ろの車に照實氏が乗って送られたとある。
葬儀は不要との「遺言書」なるものは本当にあるのか、誰も見ていないのだという。照實氏は離婚していて他人なので、ヒカリの親という身分だけで、実兄を無視する権利は照實氏には無い。遺骨も実家の三郎氏が預かり、母や父、圭子の姉が入っている墓へ納めるのが至当。との訴えも理解できる。
圭子の母は盲目で、三味線を手に門つけして回る瞽女(ごぜ)だった。前にブログで中日新聞の評伝を基に、“母と圭子二人が北海道から上京し“と書いたが、三郎氏の告白では旭川の家を売り、一家で旅回りの浪曲師の父、母、姉、三郎、圭子と5人が上京し、母と圭子の二人が盛り場で流しをしたのだと分った。その後三郎氏は飲食店3店を経営し、今は引退、お金には困っていないと告白している。
不幸な生い立ちながら、運と才能で、“日本の演歌史に流星のように光って消えた歌い手だった“と、作家五木寛之氏の追悼評伝は正しい。
山口百恵さんは生活費を全く入れない医師の妾である母に生まれ、生活保護の中で育ったとある。同じような運と才能で、10代で世に出たが、二人の歩んだ道は全く違ってしまった。わたしは百恵菩薩と称している。人の運命はなぜかくも両極端に違ってしまうのかと想った。
修羅とは、興福寺に眉を少しひそめた美少年の顔をもつ三面、六手の「阿修羅像」があるが、元来はインド固有の神々の一人だった。阿修羅は須弥山(しゅみせん:仏教的世界)に住んでいたが、天界の王・インドラ(仏教では帝釈天)に娘を奪われ、悲しみと怒りのあまり、孤独で絶望的な戦いに奮戦する。しかしその妄執ゆえに天界から堕とされてしまう。元来は仏教の守護神でもある。文学的共感を得るのか
宮沢賢治 「つばし歯ぎしり行ききする、俺は一人の修羅なのだ」
高橋和巳 「どこへ行っても免罪の場のない、生涯にわたる阿修羅として」と書いているとか。修羅道とか修羅場などといい、仏教から来た言葉である。圭子は頭が良かったというから、人生の不条理に悩み、孤独で絶望的な戦いに奮死したのかとも想った。