岐阜県各務原市 瞑想の森 市営斎場 伊東豊雄氏設計
秋彼岸・永代経法要にお参りしました。お布施のお返しは「お~いお茶」と「永代経御華束(おけそく)」といつも決まっています。田舎はお餅ですがお寺の紋章入り落雁です。お砂糖と米の粉を固めたお菓子でしょうか、専属の和菓子屋さんの特製です。
御華束は大難を小難にとこどもの頃から額に戴いてから召し上がれとしつけられましたが、家の孫達は口にしません。わが家には宗教的雰囲気がないせいです。爺が説明しても受け付けません。恥ずかしいことです。
午前の部が終り質問を受けられました。ある高齢の御婦人が「家の2歳のひ孫は誰も教えないのに仏壇にお参りするが、どうしてでしょうか」と質問されました。
「お孫さんは仏教の教えが何かなど全く解かってはいないが、祖父母や両親がお参りするので自然と真似て身に付いたのでしょう。立派なことです。そういう相続こそ各家庭が習慣にすべきです。お孫さんが成人して何かに困った時、きっと幼児の時の習慣が役立つと思います」と答えられました。家庭という日常のあり方が如何に大切かということでした。
今度の説教師は今度で4回目くらい、大垣教区のご住職で現職時代は高校の教員を定年まで勤め、仏教大学でなく名古屋大学出身、自らの出身高校で長く勤めたと前に話されました。
それだけに、お話は解かりやすく資料を檀家に毎月配るという、「御同行・御同朋」というB4版の機関紙を参詣者に配り、仏教講座の趣の法話です。
浄土真宗の経典三部経、仏説無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経の内容とか、御開山親鸞聖人が何を教えたか、を解かりやすく解説されました。
お勤めは朝が仏説無量寿経、午後が観無量寿経・阿弥陀経をごえんさんと、親戚筋のお坊さんの二人で勤められます。手次寺のご住職を「ごえんさん」とか「ごえんじゅ」と呼びますが字を知りません。
三重苦で有名なヘレンケラー女史が80歳の時、ある人が「あなたは三重苦の中で若し一つが叶えられるとすれば、どれを望みますか」と質問した。皆さんはどれだと思うか聞かれました。私は目かなと思いました。教師も普通の人は目と思うでしょう。しかし女史は「もし神様が一つを叶えてやると言われたら耳です。聞くことによって心に光を届けるのは耳だから」とお答えになった。
阿弥陀仏は光の仏、無量寿、無量光といいます。正信偈に「超日月光照塵刹」(ちょうにちがこっこうしょうじんせ)という一句があります。太陽や月の輝きをも越えた最上の光です。阿弥陀仏の本願力を心から信じ、浄土往生を願い、念仏する人々を遍く照らし助ける光です。
その光を耳で聞いて心に光を届けるのですと話されました。