たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

爺バカ

2016年04月02日 | 日記

昨日は孫娘の入社の日でした。初孫だったのでこの子が生まれた時、記念の特注テレホンカードを作って、親戚縁者に配り、今も何枚かがテレホンカードホルダーに残っています。
平成4年9月生まれで、身長49.0cm、体重2940gと印刷している。生まれた時から健康優良児だった。
お爺は生涯を電気通信事業に奉じてきたので、退職間際の時期、平成のはじめ頃はテレホンカードが大流行、屋外設備の設計・建設・保守の技術部門が専門職だったが最後は営業職だった。世間の人達や会社に宣伝と粗品としてテレホンカードを特注していただく営業に力を注いだ。また世間様もよく協力して頂いた。

先日、忌まわしい事件、埼玉・朝霞市で中学1年生の女生徒が行方不明になり、けしからん変質者の千葉大生が逮捕された事件があった。その際隙をみて監禁先を逃げ出した女の子が、助けを求めたのが駅の公衆電話だった。役に立って良かったと心から拍手したい。
公衆電話の思い出を書けば切りがない。カードが詰まったと言って激高した客に夜現場へ呼び出される、今は無くなってしまった、たばこ屋の店先に置かれた、店頭公衆電話機をガタガタ揺すって、電源が落ち故障したと叱られて呼び出されたり、苦労話に種は尽きない。当時の赤電話は田村電機が作っていて、カード内容が不正に複写されないよう、少しの衝激で電源が落ちる設計になっていた。などなど・・。

その孫が昨夜の帰宅は遅かったようだ。10時頃にまだ帰宅していないと、春休みに帰郷中の二孫が言っていた。二人で30日には名古屋駅からバスで、熊野古道へ日帰り記念旅行してきたとも言っていた。
どんな仕事も、谷あり山あり、苦労は絶えない。女性は結婚・出産・子育てと仕事と両立は極めて難儀なこと男の比ではない。自然に逆らわず健康第一にガンバッテくれと祈ります。

校歴は175年を誇る。藩の学問所として始まったとある


31日から市中を流れる川を、舟で桜を眺める舟下りが始まった。


周辺は散策路になっていて環境は抜群。ここは俳聖松尾芭蕉終焉の地。句碑がある。