熊本地震で重要文化財の熊本城も石垣が崩壊したり、天守閣の屋根瓦が落ちるなど大きな被害を受けた。
新聞の航空写真を見ると哀れな姿です。
熊本城は戦国武将の加藤清正が築城したが、清正の孫の加藤光正の墓が郷里、飛騨高山市の法華寺(ほっけじ)裏の墓地にある。
昨年5月の同窓会で、史跡巡りをしてお墓にお参りしてきた。なぜ高山に光正の墓があるのか。
”加藤光正は熊本藩主、加藤忠広の嫡子で、清正の孫にあたります。寛永9年(1632)加藤忠広は参府の途中、品川で入府をさし止められた。ついで肥後一国を没収され出羽庄内の酒井忠勝に預けられ、光正は飛騨高山に流されました。高山藩主金森重頼に預けられた光正は、生涯月俸百口を賜り、天性寺に閉居して、寛永10年(1633)に病死してしまいました。享年19歳の若さで金森重頼は、哀れに思い法華寺を建立して手厚く供養しました。”(金森戦記より引用) 高山市観光情報
そんな縁で地元は、熊本市の加藤神社と交流がある。
今度の地震で大きな被害を受けたため、高山市の地元民の有志が、募金箱を作り自宅前に立て、義援金を観光客等に呼びかけていると、19日夕方のNHK県内ニュースで報じている。
それにしても被災地の住民が避難した住宅や無人の事務所を狙った窃盗事件が相次いでいるという。
こんなは八つ裂きにせよ。