たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

来迎(らいごう)

2012年02月11日 | 読書

ふるさとは名残雪

ブログ講習会、私の三つ前の席に座っていた若い女性を思い出す。ブログタイトルは「魂の歌- 私は祈ります」タイトル、サブタイトルとも宗教的薫りに満ちていた。ブログは残念ながら続けておられない。彼女はクリスチャンだったのだろうか。

仏説阿弥陀経 極楽の素晴らしさを説いたお経
舎利弗、若有善男子善女人、聞説阿弥陀仏、執持名号、若一日、若ニ日、若三日、若四日、若五日、若六日、若七日、一心不乱、其人臨命終、阿弥陀仏、與諸聖衆、現在其前

しゃりほつ にゃくうぜんなんしぜんにょにん もんせつあみだぶつ しゅうじみょうごう にゃくいちにち・・~・・にゃくしちにち いっしんふらん ごにんりんみょゆじ あみだぶつ よしょしょうじゅう げんざいごぜん

舎利弗よ、もし善男子、善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日・・~・・もしは七日、一心にして乱れざれば その人の命終に臨みて 阿弥陀仏、もろもろの聖衆と、現じてその前にましまさん (真宗聖典)

いわゆる浄土仏教の来迎です。舎利弗は釈迦の高弟。

”日本の宗教絵画の中で、最も美しい図相を示しているのは来迎の図である。歴史に現れた様式で著しいものが三つある。一つは源信(942~1017)筆と伝える
・二十五菩薩来迎図 ・山越えの弥陀 ・三尊来迎(最後のこれが大衆に喜ばれた)の三幅。
(慧心僧都えしんそうずとも称される、幼くして比叡山へ登り良源に師事。「往生要集」を著す)
弥陀が衆生を迎えんとて、観音、勢至(せいし)菩薩のニ脇士(わきじ)を伴って、雲間から降りてくる図である。”・南無阿弥陀仏 柳宗悦 岩波文庫

”もうひとつ、”古墳の闇から復活した大津皇子(おおつのみこ)の魂と藤原の郎女(いらつめ)との交感-日本文学の最高の金字塔-山越しの阿弥陀像の画因”
・死者の書 身毒丸 折口信夫(おりくちしのぶ) 中公文庫
この不思議な文体の本には上記の来迎図4幅が収められている。今日これを改めて観た。

大津皇子が眠る二上山(大和盆地)のふもとの當麻寺(たいまでら)へお参りした事がある。二上山の山容は、源信描くところの男嶽、女嶽(おのかみ、めのかみ)の間から三尊が来迎するイメージそのまゝの景色だった。
奥院の宝物館拝観をした際、大奥さまが錠を開け案内された。館内には天平七年中将姫(ちゅうじょうひめ)が感得し蓮糸で織り上げたという當麻曼荼羅(たいままんだら)、のほか法然上人行状絵伝48巻(鎌倉時代 重文)、二十五菩薩来迎像(室町時代)25体の仏様が展示してあった。

今は祈ります。昨日の母の容態は変らず、ナースさんの看護に「ありがとう」といって付き添いを驚かせたらしい。

 


 

 


名残雪

2012年02月10日 | 日記

 

ふるさとに名残雪が降る

午前中に病室を姉と訪ねました。昨夜は穏やかだったとか。今朝は主治医の診察があったと。昨日は診察はあったのかなぁ、自分がいる間は無かったな。

肺の雑音は消えず、痰も食べ物も嚥下することこれからも能わずとの診断で、補液、食べることの代わりの点滴も量を減らすとの診断だったとか。日に2瓶小さい抗生剤も点滴で静脈注射してある。母は寝てばかりなのがむしろ助かる。苦しいとも呻くこともできない。呼びかけには少し反応する。酸素マスクを盛んに嫌がると。これは自分も経験済み。

付き添いの昼食は家から持ってきた軽食で過ごし、私と弟は一旦帰宅とした。
母のお別れに「婆ちゃん、えらいかな(苦しいか)、もう少しで楽になれるよ、もうちょっと頑張ってね、もうじき阿弥陀様がお迎えに来られるでな。今生のお別れだよ」と、顔を撫でた。本当に最後になるのか、少し早いが別れを告げた。

阿弥陀仏が勢至(せいし)菩薩と観音菩薩のニ脇士(わきじ)を伴って、命尽きるとき(臨命終時:りんみょうじゆじ)迎えに来るとお経にある。本当にその時は迎えにきてほしい。

不思議に泣きたいとも悲しいとも、そういう気分になれず、早く楽にしてやりたいとばかり思った。
今朝は昨日より大目の10cmほど積もり、昨夜詰めた兄と弟の車の除雪を、病院へ入る前に病院入り口の箒を借りて払っておいた。今夜の泊まりは姉と決まった。

昔、冬篭りの母子熊が猟師に討ち取られ、悲しんで名残雪が降ると。

名残雪なのか、病院を出ると吹雪いていた。

 

 


母入院

2012年02月09日 | 日記

 

ふるさとの冬は厳しい

母は100歳くらいまで百姓をしました。104歳までは居間で腰籠(あじか)を家人が少し手伝って編む事ができ、道の駅で100歳婆さんの籠として買ってもらいました。
103歳の頃地元新聞紙の連載「ばんざい100歳」で、新聞一面ぶち抜きで、紙面を飾ったこともあります。
数年前、慶応大学病院の老年医学の先生が超高齢者研究で来宅され、本人や家族から聞き取り調査と血液採取をして行かれたこともあります。

昨年の夏までは家の中も手押し車で介助を受け自己排泄もできました。家族介護は兄の家内は亡くなり、甥の若嫁と隣に住む姉が主に介護をやってくれました。ほぼ寝たきりになったのは昨年夏からです。
最近は月10日のショートステイ、週3日のデイケアで施設のお世話になってきました。費用は月15万円ほどとか、老人介護の費用も半端ではありません。高齢はめでたいばかりではありません。

今朝の電話では容態に変わりはないようです。初日から看護婦さんが呼びかけると、顎を引いてうなずきしっかり答えようと気力を振り絞りました。わたしにはうろんな感じで分かったと顎を引くのみ。
姉の呼びかけには反応が違います。昨日は酸素マスクを外してやって若嫁には、かすかに「ねえちゃん」と反応します。一番頼りにしてにしてきて面倒を見てもらったので分かるのです。

ねえちゃんには本当によくしていただいたので、こんなに長生きできたのでしょう。感謝しています。老人介護は大変ですからね。

本音を言うともう十分なのでお浄土へ還らせてほしいと思っています。生かされるのは本人も苦しいですから。痰の吸引器をかけられるといかにも苦しそうです。100歳前後の耄碌前は、業(ごう)が深いので仕舞って行けないと当人が嘆きました。

今日は少しまだこの世にいそうなので一旦私と弟は帰宅の予定にしました。

 

 


 


母危篤

2012年02月08日 | 日記

 ふるさとの冬 夕方は冷え込みが厳しい

昨日、毎月定例のゴルコンペのある第二火曜日と思い込んで、勇んでゴルフ場へ行ったら誰もいない。フロント嬢が笑って今日は第一火曜日です。何と!トンボ帰りして家に居たら珍しく電話、在所の兄だった「母危篤すぐ帰れ、今朝老婆の様子がおかしい、救急車を呼ぶか思案したが大袈裟になるし、病院の救急外来へ電話しておいて自分の車で病院へきている。一番で診てくれてDr は”肺炎を起こしているし、喘息発作が激しい、症状は軽くない、このまま入院させます”という具合なのですぐ帰れ」何ということだ!


昔は電報で「ハハキトクスグカエレ」だった。タイヤがノーマルなのでどうかと聞いたら「除雪はしてあるが朝夕は凍てつくし駄目」。近くのタイヤショップへ電話し冬タイヤを予約し、葬式になってもいいように喪服なども積み込んだ。タイヤ店で冬タイヤに履き替え50,400円。事故の無いよう135kmをゆっくり帰郷した。

まず、実家へ寄り甥の嫁っ子に様子を聞いて、中へ入らずそのまま病院へ行った。病室に入ると母だけがベッドに寝ていた。兄は食事に行っているとメモが置いてあった。話しかけるが勿論反応せず、鼻に酸素チューブ、胸からはいっぱいのチューブに巻かれて枕元には、監視モニタが立ててあって緑色のランプが点滅していた。

肩で大きく息をし心臓は脈打ち、時々激しく喘息する。苦しそうだ。昨年9月同窓会で帰宅した際会ったきり。大分弱ってきていると電話で聞いていた。

私にはまだ母が健在だったのです。今日、枕元にあった病院の救急時の伝票には年齢、明治37年2月28日生107歳11ヶ月と書いてありました。後20日ほどで108歳です。

明治、大正、昭和、平成と4代を生き抜き、今日人生で初めて入院し今夜初めて病院のベッドで眠ることになったのです。名古屋から先着していた弟や実家の隣の姉等は一旦帰宅したとか、今夜くらいは親孝行しようと兄と二人で看護ることにしました。観察モニタが異常を検知し、ランプは黄色に変わり、ピーポピーポと昨夜は何度も警報が鳴ってナースさんを呼んだ。病院第二夜の今夜は穏やかに過ごせるだろうか。

翌日の今日、姉の家で甥の息子のアップルを借りてアップしました。Windowsと勝手が少し違うが何とか。今夜は私の代わりは弟が看護ります。 

   

 


倶会一処(くえいっしょ)

2012年02月07日 | 日記

倶会一処(仏説阿弥陀経) 倶にここで会う処  市営墓地公園

田舎に住むので新聞の地方版おくやみ欄に死亡者が載る。全国紙は行政名と氏名、年齢とそっけないが、地元紙は住所、番地まで載る。勿論死亡届けを役所に出すとき掲載を希望するか、否か書面で確認される。

これが、ビジネスの種となって人の悲しみも何の、仏壇はどうか、お墓はどうか、法要の座敷はどうかなどと次々案内が来たり、訪問されたりして迷惑なことも限りない。

日課のお悔やみ欄をみていたら、元同僚の死が載っていた。元勤めた会社の旧友会のホームページで確認するとやはり間違いない。
葬儀は翌日で会場も分ったお参りに間に合う。仏となった元同僚が呼んでくれたか、やはり虫の知らせか。私とは2歳下70歳代前半は未だ若い。

私が結婚して亡妻の家に居候の形で新婚の頃、故人とは最終列車によく乗り合わせた。勿論就業後一杯があって、お互い顔がほてっていた。

分野は違ってそれほど親しかったわけではないが、縁あってある事業所で2年一緒となった。出来のいい彼は出世して100人は越えるその事業所の労務の責任者だった。私は3K職場の技術系、同じ役名ながら処遇ランクは彼の方が上だったろう。よく助けてくれた。元気のいいやり手だった。その後も彼は順調に出世した。

その頃、一杯の後二次会に行くと少し酒が荒れるので、聞くと当時中学生だった娘さんがちょっとした病気で入院手術して、医療事故か体質からか重篤な後遺症が残って悲しんでいることが分った。

彼の奥さんともその何年か前に別の事業所で3年間一緒だった。彼女は早期退職した。
彼とはお互い会社の合理化で同じ年に希望退職をして、その頃電話したら庭師の手伝いだと言っていた。
最近彼は退職後数年で人工透析を受ける身だと人から聞いて驚いていた。突然死だったらしい。

3日前にサウナで会ったという参列の後輩もいた。この後輩は定年を2年早く退職して70歳になると言ったが、退職して数年後奥さんを60歳で、間無しに一人娘を40歳大腸がんの手遅れで亡くして、とうとう一人になってしまったと嘆いた。娘を送ったその年は近い縁者4人も逝き最悪の年だったとか。

葬儀も終わって「最後の対面」でお別れしたら、昼寝のような顔で納まっていた。奥さんは放心状態、声をかけるのはためらわれた。もう30年以上も会っていないのでお互い名乗らないと顔では判らない。
同年輩とかその下が逝くと淋しい、お世話になった、ありがとう。合掌。

 

 

 

 


悩ましきがんその6 膀胱がん

2012年02月06日 | 日記

地元医療の中核 岐大病院(この病院で手術は受けていません) 

膀胱は家人を乳がんで失ったため、少し注意していて夜中に寝ぼけまなこでトイレに立つと、おしっこが横に飛ぶのか時にパジャマを濡らす。排尿時に尿道にかすかに違和感があって半年くらい、寄り道せず総合病院へ直行して初診を受けたのが幸いした。がんが見つかった後、膀胱を空にして、ウンと怒責(いきむ、病院はこう書く、はじめなんのことやら?)と便器に鮮血が散った。普通はこれで見つかる。これを軽く考えほっておくと大変なことになる。

初めの診断は超音波、エコー検査です。ここへ案内され一発で発見、エコー技師が考え込み、隣の同僚技師を呼んで画像を見やりました。よくない証拠です。
そこから泌尿器科で受付、データーは初診主治医に回っています。診断前に膀胱鏡検査です。

ナースの指示で穴あき紙パンツに履き替えます。散髪椅子のような専用椅子は全自動で回転から開脚まで自動です。目の前に目隠しカーテンが覆われ、麻酔を尿道からDr が注入します。括約筋をファイバーが通る際は少し痛いよ、力を抜いてと声を掛けられます。麻酔が効くまで約20分そのままです。
何度もやったし経過観察の定検でもやるので慣れてしまって上手だ、その調子とDr 、顔なじみのナースさんには「お産もこの姿ですか」、「そうですよ、女は男の人のようにちょとしたことに痛いと簡単に言いません」、まったくそのとおり亡妻も痛みによく耐えた。

いつか麻酔が効いてくる間、椅子から手を後ろへ伸ばして脱衣駕籠の新聞を手に読んでいたら「この椅子で新聞を読む人はあたただけです」とナースさん。「三人目の赤ちゃん元気に育ってる、勤務中誰が面倒見てるの」、「この院内に託児所があります」。

一般的に大腸でも肺でも、初期診断は消化器内科、呼吸器内科へ回されます。そこで初期診断から確定診断まで診てくれ、手術直前に消化器外科、呼吸器外科へ回されます。

大腸は膀胱と同じで初診の後、大腸内視鏡で診ますが、これの順番待ちが数ヶ月とか、私は受付嬢が機転を利かせてくれ、泌尿器科のDr に電話しこの先生の診察依頼としてくれ、翌週直ぐ診察や大腸カメラを受けることが出来た。
膀胱は水で膀胱を膨らませてカメラで診るし、大腸は空気で大腸を膨らませて診る。
膀胱は尿道の入り口から診て行くし、大腸は奥の盲腸近辺までファイバースコープを入れて、スースーと空気を抜きながら肛門へと診てゆきます。

両方とも患者の目の前にディスプレーがあるので全部見える。膀胱の時も「先生変なのがありますね」、「見事なカリフラワーだ、半分くらいはイソギンチャクだ」と、Dr は動じません。この腫瘍の形を有茎性といって性質がよい。アワビ形は性質がよくない。有茎性も半数の人が再発する。

大腸の場合も、もう少しで終わると思った頃カメラが止った。隣の部屋で検診中のDr を呼びに行かれた。二人のDr が角度を変えて何枚も写真に撮る。「先生、形が丸くなく中側がクレーターで顔付が悪いですね」というと、Dr は「そのとおり、よくないなぁ」もう膀胱で勉強済み。「内視鏡で削って取れませんか」、「2cm未満なら、2.7cmくらいで越えています。悪性なら開腹になります」。そこで膀胱と同じで別の器具を挿入し、おできの一部を挟み取り、細胞診断に回されます。サッと血飛沫が散ります。

のときも「造影検査くらいでは肺を取れません。生検やって下さい。穿刺細胞診駄目ですか」、「針に途中の細胞が入るので正確でありません」、「カメラ駄目ですか、内視鏡やってください」、「やりましょう、予約取ります」と、運良くここの部長先生が気管支鏡の権威だった。

膀胱は発見が遅れて摘出となると人工膀胱とか、自力排尿ができないとカテーテルを使うとか、直腸よりQOL(生活の質)が低下するので、私は内視鏡ですみ幸運だった。

この病院・岐阜県総合医療センターのホームページも充実してきた。多くの診療科のDr は写真紹介か、懐かしいお世話になったDr ばかりではないか。

 


悩ましきがんその5 大腸がん

2012年02月05日 | 読書

私は亡妻をH10年に失い、5年ほど1人暮らしでしたが、近くの借家に長男夫婦がいて10年ほど前長男が大借金、私が半分弱を援助して二世帯住宅の形で住んでいます。掃除洗濯お勝手の主夫です。
病気やがんの記事なら止めどもなくということで控えるべきかもと思いますが、やはり皆さん関心があるのか閲覧者が増えます。以降はサービスです。

「医者が癌にかかったとき」竹中文良 文春文庫 1994年5月刊
単行本は1991年3月 文芸春秋社刊 当時この本は話題になりました。

”深夜、なに気なく手に触れた左下腹部のシコリ。はっとしたとたん眠気はふきとび、冷や汗が・・。55歳の夏大腸がんにかかった日赤の現役外科部長が綴った自らの患者体験---手術を施す側から見えてきた、医療のあり方、癌告知問題、死生観など、清々しく、心暖まるエッセイ集”と裏表紙にあります。
図書館にありましたら是非一度お読み下さい。同じ大腸がん、この方はS字結腸がんでした。今読み返しても参考になります。告知問題は当時と随分変り、最近医師は患者本人に先ず告げられます。でないと告訴問題です。
5年生存率が80%と言われたら、80%の中に自分が入ると楽観的に思うこと、そのへんは本人の性格の問題といっておられます。

この方も、2010年7月亡くなられました。最後は肝臓癌だったのか。私が肺で入院する頃、どこかに転移した本人の記事が載った文芸春秋誌の広告を新聞で見て、読みたいと思ったが当時肺でそれどころでなく見逃した。
79歳で亡くなったとは新聞で見た。週刊誌で終末は故郷の和歌山へ帰り、「最後は大きく一呼吸して亡くなられた」と奥様の談話も読んだ。医師でもがんになるし、また転移や再発をする。

ニュートリノに質量があることを発見されてノーベル賞寸前で亡くなられた科学者 戸塚洋二先生も大腸がんの肺転移だった。過去の記事で紹介したが、この方のブログは有名で今に読者が耐えない。

大腸がんはおとなしいがんだとされます。結腸は問題ありませんが、直腸の場合は後遺症が問題なのです。私の場合は術後3ヶ月でゴルフに行けるし、主治医からワンダフルだと言われましたが、やはり不規則、排便後の頻回障害があります。

男性、女性を問いません。大腸がんは増えています。いつも2~3人が入院しています。中には40歳代の男性とか女性も入院してきました。女性は近辺にお二人を知っています。自分が喋るから実は私もと告白されました。2人とも温存術、その1人は40歳代で発症、現在70才前後、当時は大腸の自動吻合器の精度が悪く(私の主治医)手縫いだと言われた。

病院の人は最近胃より大腸が多い、オストメイトも世間に実際は結構居られると言っていました。オストメイトは人工肛門保有者のこと、人口肛門はストーマ(ギリシャ語で口、泉という意味)パウチは袋です。
年取って寝たきりになったときはストーマが有利、現役で仕事をという方はストーマが安定してるのかな。
外科部長先生は同じように手術しても個体差で、機能温存術でも後遺症がひどくて再手術、肛門閉鎖を希望される患者もいるとのことでした。
最近のパウチは改善されているのでストーマが標準手術とも。執刀医も愛知県がんセンターなどはストーマに結構積極的と言っておられました。ただ医師により温存術の病院を探して隣県までもという医師もネットで見受けます。この手術には頻便、頻尿、性機能はつきものです。

日本オストミー協会は、オストメイト(人工肛門・人工膀胱保有者)が安心して暮らせる社会を目指しているオストメイトによるオストメイトのための障害者団体です。 

直腸がんで元気のいい方は渡哲也 氏、被災地に慰問で石原軍団を率いたり感心します。
もう1人鳥越俊太郎氏、2005.10手術(ステージⅡ)、07.1左肺に転移(ステージⅣ生存率20%)、07.8右肺に転移、09肝臓に転移、6年間に4回の手術(出典2011.12.3~17朝日 日曜版)
手術後の病理診断で転移がんの細胞を見れば原発場所がすぐ分る(癌研 加藤 洋 このがんこの病院 朝日新聞社)
私の大腸は膀胱からの転移ではない原発性(主治医)
肺は膀胱、大腸からの転移ではない原発性(主治医)

 

 


悩ましきがんその4 乳がん

2012年02月04日 | 日記

新築から日の浅い地元医療の中核 岐大付属病院 エントランスホール

2011.12.26 朝日 朝日新聞社と日本対がん協会は、学校に医師を派遣するドクタービジットを始めたと特集で報じた。
中川恵一東大準教授が横浜雙葉学園(歴史の古い中高女子一貫校)を訪問、中学3年、高校1年生と保護者430人に特別授業した。

”がんのお医者さんでも、1センチにならないとがんは見つけられないのです。
1センチになるのにどれくらいかかるかというと、乳がんの場合、大体15年から17年。

そして1センチになった乳がんが10センチになるのは5年くらい。
見つかる大きさになるまでにすごく時間がかかるのにその先が早いのががんの特徴です。
乳がんの場合、2センチまでなら大体治ります。1センチの乳がんが2センチになるまでに2年くらい。
つまり、乳がんを早期発見できる時間は、女の人の一生の中で2年だけだということです。
それが何歳から何歳かはわかりません。
だから、2年に一回検査しておく、そうすると、どこで乳がんが起こっても早期に見つけることができるのです。” 

女子校なのでこのあと子宮頸がんのワクチン予防を勉強した。

亡妻は苦しい末期の闘病の末、57歳で乳がんで逝った。検診は受けていたし、住民検診で発見される2年前は民間の総合病院で人間ドッグも受けていて、マンモグラフィーでの検診も異常は告げられなかった。安心してこの検診後1年は乳がん検診を受けなかった。
この2年間の空白、ドッグで見逃されたのか、見つけられなかったのか、これがかえって仇になって悔いが残った。ホルモン系のがんは怖いといわれる。

私は二回目に大腸がんが発見され手術前に外科部長の初診を受けた。先生に発生期を聞いたところ、「少なくとも10年以上」、執刀医も同じ答えだった。
がんがいつ見つかるかはその人の運もある。私は、
・H19.10膀胱2.5cm(内視鏡OP 病期TⅠ) Drは術後にがんは大きさより深達度といってがんが粘膜表面におれば性質がよい。粘膜下層や粘膜を食い破って腹腔播腫(ふくくうはしゅ)といって腹腔内に種を播くように散っていると性質が悪いと説明された。 
・H20.5膀胱再発0.5cm(内視鏡OP) 結果は良性、ついでに6箇所つまんで細胞診、陰性)
・H21.3大腸2.0cm(開腹OP 病期TⅠ) 直腸切除(超低位前方切除術:肛門機能温存術)、人工肛門と方法は二つあるが、長短それぞれがある。後遺症ではこれが一番困る。

・H22.5右肺下葉切除2.7cm (胸腔鏡OP低侵襲手術法 病期ⅠA) 手術直前でもレントゲンには全くそれらしく写らない(すりガラス陰影を呈する抹消小型肺癌初期の腺がんと診断された。
病院でCTを撮っていなければ住民検診のX線などでは見逃される。これも幸運のひとつだ。(写真の病院とは違う病院でのOPです)

医療関係者には感謝している。

 


悩ましきがんその3 PET-CT

2012年02月03日 | 日記

今朝は快晴 ありがたい

PET-CTとは聞いたことのある言葉だったが、どういう効用があるのか知らなかった。がんは加齢にともなう老化現象なので、誰でもがんになる可能性があります。

PET-CTの実際は、検査前6時間は絶食→FDGを静脈注射→1時間ベッドで安静→CTと同じ形状のPETカメラで「1ヵ所が3分、8箇所撮ります、30分くらいかかります」と説明しながら、機械が腹の上を行ったり来たりした。

終わって「子供は放射線に敏感なので数時間は子供に触れないでネ」とナースが言った。

(検査を受けた後、頂いたPETのパンフレットの説明 (日本メジフィジックス株式会社製)
”PET-CTとはFDG-PET検査(核医学検査)Positron Emission Tomgrafhy(陽電子放出断層撮影)の略です。
従来のCTやMRIなどの形を見る検査とは異なり、細胞の活動状態を画像でみることができ、がん、脳、心臓などの病気の検査に有用です。
・一度の検査で全身チェックができる
・ほとんど苦痛がなく、短時間で終了
・がんの早期発見、転移や再発の診断に有用

○からだを構成している細胞は、生きていくためのエネルギー源として「ブドウ糖」を必要としています。がんなどの悪性腫瘍は正常な細胞よりも増殖が盛んに行われる為、3~8倍のブドウ糖を必要とします。

○PET検査は、このようながん細胞の性質に着目して、がんを発見する診断法です。
ブドウ糖に微量の放射線を放出するフッ素-18という「放射性同位元素」を標識した薬剤(以下、FDG)を投与し、PETカメラという装置を用いて、FDGの全身分布を撮影します。

○がん細胞にはFDGが正常細胞より、たくさん集まるため、PET検査によりがんの位置や大きさだけでなく、がんの活動の状態を診断することが可能です。”

2回目のPETに貰ったパンフは同じ会社製で
フッ素-18とブドウ糖の化学式が書いてあって6角形の亀の甲の一角だけ記号が違う、構造がよく似ていると説明。がん発生から~進行期も書いてあった。

         発生   育成期                増殖期
成長年数←--約10年~20年---→|←--約1年~5年--→|

がん細胞←0.1mm--0.5mm-→|1cm-------------2cm
の大きさ                                    早期がん     進行がん

がんというのは長い潜伏期間があることがわかった。 


悩ましきがんその2

2012年02月02日 | 日記

新築から日が浅い地元医療の中核 岐大付属病院

新年も早1ヶ月を過ぎ,今朝は雪で一面真っ白の世界です。

ブログとあまりの寒気に忘れるところだったが、30日は大学病院の定期検診の日だった。
悩ましきがんですが、私は5年前から3つの臓器のがんが見つかり、昨年を除き5年間で4回の連続手術入院をした。

お世話になっているのは近くの公立総合病院。(写真の病院とは違います)2年半前に○○がん手術後の定期検診で、主治医の外科の先生がCTスキャンの結果、放射線科の先生が肺と甲状腺に異常があると診断されたので、放射線の先生の再診を受けて下さい、と指示された。

同じ日放射線科初診診察室、肺と甲状腺に腫瘍の疑い、PET-CTを撮ったほうが良いと、画像を示しながら甲状腺を触診された。

余談ながらこの放射線先生の電子カルテへのデータ入力、キーボード操作の腕前が見事だった。ピアノタッチ、もちろん両手使い、ディスプレイだけ観てキーボードなんて全く見向きもされないし、しかも早い。

深刻な事態を告げられているのに、天はニ物をお与えになるのかと他人事のように、Dr の腕前に見惚れていた。昔はブラインドタッチといったな。今は差別用語なのか。最近の病院は電子カルテなので同意書など紙にサインを手書きしても、ナースが即スキャナーで拾って電子データ化し紙はシュレッダーです。

患者は検査であちこち移動しますが検査データーは診察室を動かないDr に即座に送信されます。

後日の診察で、両方とも疑わしいが今のところはがんとも確定診断できない、経過をみましょうと告げられた。

私は経過観察され半年後、怪しいのが段々顕在化してきた肺を、手術することになったのであるが、PET-CTはこの時と肺の手術前の2回受けた。

CTスキャンは何度も撮っていたが、PET-CTとは病友に聞いたことがあるがよく知らなかった。(つづく)

1月2日朝 昨日夕方から降った 寒気が厳しい