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街のこと店のこと今昔物語

宇治の里は新茶の季節♪

2011年05月22日 18時35分07秒 | 好きなもの
京都・宇治は新茶新緑の季節を迎え、
新緑の中、平等院鳳凰堂が美しく水面に映えていました。

平等院に至る道には、上林春松本店 中村藤吉本店、宇治茶の老舗が軒を連ねています。



宇治橋を渡ると、福寿園があります。園内宇治工房では、さまざまなお茶造りの体験ができます。
今回は「石臼で抹茶づくりコース」に参加しました。

石臼の中央の穴に碾茶を入れて、重い石臼をゆっくり時計まわりに回します。
すると碾茶が抹茶となって石臼の受け皿部分にたまってきます、
刷毛で茶こしに移し、丁寧に濾すと抹茶の出来上がり!
「お茶を挽く」ということわざは芸奴が、お客がなくあぶれて暇でいることのたとえですが、
客のつかない遊女が、臼で茶葉を挽く仕事をさせられたということから、
このことわざが出来たといわれています。
力と根気が要る作業なので、それも頷けます。貴重なお茶挽き体験でした。


自分で挽いた抹茶をたてて飲むことができます。
抹茶は2杯分の量なのでお菓子とともにゆっくりと味わうことができます。
自分で挽いたお茶の味は格別でした。


こちらは、JR宇治駅にある『茶壺型ポスト』です。

宇治から江戸城までお茶を運ぶ『茶壺道中』は徳川家光の時代の寛永9年に制度化され、
寛永10年(1633年)から、
幕末の慶応2年(1866年)まで続けられました。
道中の総責任者は、宇治の代官の上林家が代々務めたそうです。

行列が通る道は道普請を命ぜられ、農繁期でも田植えは禁止、
子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、
葬式の列さえ禁止されていたそうです。
(現代のテロ対策のそのもので、APEC警備を思い出しました)

お茶壺が来たら、戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)閉じこもり、
道で会ってしまったら、土下座で行列を遣り過すしたそうで、
庶民が茶壺道中を恐れていた様子が童歌の「ずいずいずっころばし」から偲ぶことができます。

ずいずいずっころばし
ごまみそずい

茶壺に追われて
とっぴんしゃん

抜けたら、どんどこしょ

俵のねずみが
米食ってちゅう、
ちゅうちゅうちゅう

おっとさんがよんでも、
おっかさんがよんでも、
行きっこなしよ

井戸のまわりで、
お茶碗欠いたのだぁれ