京都・宇治は新茶新緑の季節を迎え、
新緑の中、平等院鳳凰堂が美しく水面に映えていました。
平等院に至る道には、上林春松本店 中村藤吉本店、宇治茶の老舗が軒を連ねています。
宇治橋を渡ると、福寿園があります。園内宇治工房では、さまざまなお茶造りの体験ができます。
今回は「石臼で抹茶づくりコース」に参加しました。
石臼の中央の穴に碾茶を入れて、重い石臼をゆっくり時計まわりに回します。
すると碾茶が抹茶となって石臼の受け皿部分にたまってきます、
刷毛で茶こしに移し、丁寧に濾すと抹茶の出来上がり!
「お茶を挽く」ということわざは芸奴が、お客がなくあぶれて暇でいることのたとえですが、
客のつかない遊女が、臼で茶葉を挽く仕事をさせられたということから、
このことわざが出来たといわれています。
力と根気が要る作業なので、それも頷けます。貴重なお茶挽き体験でした。
自分で挽いた抹茶をたてて飲むことができます。
抹茶は2杯分の量なのでお菓子とともにゆっくりと味わうことができます。
自分で挽いたお茶の味は格別でした。
こちらは、JR宇治駅にある『茶壺型ポスト』です。
宇治から江戸城までお茶を運ぶ『茶壺道中』は徳川家光の時代の寛永9年に制度化され、
寛永10年(1633年)から、
幕末の慶応2年(1866年)まで続けられました。
道中の総責任者は、宇治の代官の上林家が代々務めたそうです。
行列が通る道は道普請を命ぜられ、農繁期でも田植えは禁止、
子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、
葬式の列さえ禁止されていたそうです。
(現代のテロ対策のそのもので、APEC警備を思い出しました)
お茶壺が来たら、戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)閉じこもり、
道で会ってしまったら、土下座で行列を遣り過すしたそうで、
庶民が茶壺道中を恐れていた様子が童歌の「ずいずいずっころばし」から偲ぶことができます。
ずいずいずっころばし
ごまみそずい
茶壺に追われて
とっぴんしゃん
抜けたら、どんどこしょ
俵のねずみが
米食ってちゅう、
ちゅうちゅうちゅう
おっとさんがよんでも、
おっかさんがよんでも、
行きっこなしよ
井戸のまわりで、
お茶碗欠いたのだぁれ
新緑の中、平等院鳳凰堂が美しく水面に映えていました。
平等院に至る道には、上林春松本店 中村藤吉本店、宇治茶の老舗が軒を連ねています。
宇治橋を渡ると、福寿園があります。園内宇治工房では、さまざまなお茶造りの体験ができます。
今回は「石臼で抹茶づくりコース」に参加しました。
石臼の中央の穴に碾茶を入れて、重い石臼をゆっくり時計まわりに回します。
すると碾茶が抹茶となって石臼の受け皿部分にたまってきます、
刷毛で茶こしに移し、丁寧に濾すと抹茶の出来上がり!
「お茶を挽く」ということわざは芸奴が、お客がなくあぶれて暇でいることのたとえですが、
客のつかない遊女が、臼で茶葉を挽く仕事をさせられたということから、
このことわざが出来たといわれています。
力と根気が要る作業なので、それも頷けます。貴重なお茶挽き体験でした。
自分で挽いた抹茶をたてて飲むことができます。
抹茶は2杯分の量なのでお菓子とともにゆっくりと味わうことができます。
自分で挽いたお茶の味は格別でした。
こちらは、JR宇治駅にある『茶壺型ポスト』です。
宇治から江戸城までお茶を運ぶ『茶壺道中』は徳川家光の時代の寛永9年に制度化され、
寛永10年(1633年)から、
幕末の慶応2年(1866年)まで続けられました。
道中の総責任者は、宇治の代官の上林家が代々務めたそうです。
行列が通る道は道普請を命ぜられ、農繁期でも田植えは禁止、
子供の戸口の出入り、たこ揚げ、屋根の置き石、煮炊きの煙も上げることは許されず、
葬式の列さえ禁止されていたそうです。
(現代のテロ対策のそのもので、APEC警備を思い出しました)
お茶壺が来たら、戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)閉じこもり、
道で会ってしまったら、土下座で行列を遣り過すしたそうで、
庶民が茶壺道中を恐れていた様子が童歌の「ずいずいずっころばし」から偲ぶことができます。
ずいずいずっころばし
ごまみそずい
茶壺に追われて
とっぴんしゃん
抜けたら、どんどこしょ
俵のねずみが
米食ってちゅう、
ちゅうちゅうちゅう
おっとさんがよんでも、
おっかさんがよんでも、
行きっこなしよ
井戸のまわりで、
お茶碗欠いたのだぁれ