横濱・櫻木町コティベーカリーぶろぐ

街のこと店のこと今昔物語

梅雨時ですが…傘がない♪

2008年07月12日 13時44分50秒 | 街のこと
          
70年代、井上陽水の代表曲「傘がない」のPVが桜木町駅前で撮影されました。“オダギリージョー扮する若き日の井上陽水”が桜木町駅前でギター弾語りで「傘がない」を歌うというものです♪
歩道橋の柱の下辺り、ここはよくストリートミュージシャンが演奏している場所です。
           
実際には、歩道橋の上から撮ると、こんな風景なのですが、ランドマークタワーの先端を入れないアングルで撮影されています。超高層ビルのない古い町の雰囲気を出すためなのでしょう。

私の学生時代はちょうど陽水さんの曲が一世を風靡していました。フォークソングの大流行していたので、仲間が集まれば陽水さんの曲をはじめ、いろいろなフォークソングを歌っていました。未だに探し物をする時には「夢の中へ」(YouTube)が頭をよぎります。


 ♪探し物は何ですか
  見つけにくい物ですか
  カバンの中も 机の中も
  探したけれど 見つからないのに
  まだまだ探す気ですか
  それより僕と 踊りませんか
  夢の中へ 夢の中へ
  行ってみたいと 思いませんか
  Woo woo woo-- Woo woo woo--
  Woo woo woo-- さあ

  休むことも許されず
  笑うことは止められて
  這いつくばって 這いつくばって
  いったい何を 探しているのか
  探すのを止めたとき
  見つかることも よくある話で
  踊りましょう 夢の中へ
  行ってみたいと 思いませんか
  Woo woo woo-- Woo woo woo--

このところ歳のせいで、物をしまった場所をスグ忘れ、いつも探し物をしている…そんな私のテーマソングになっています。結局見つからず
  探すのを止めたとき  見つかることも よくある話で 
のフレーズに「ですよね~」と納得、忘れた頃に思わぬところから出てきます、この歌詞は深い~!と思う今日この頃(笑) 


6月末か7月初めの頃、娘が通学の途中かなり大掛かりな撮影機材を駅前で見た、と言っていたのはこの撮影だったのかもしれません。井上陽水さん&オダギリジョーさんが来ていたんだ~見たかったな~♪

「傘がない」のPV(YouTube)陽水さんは最後のシーン、タクシーの中にチラリと映ります。
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松坂屋のアールデコ♪

2008年07月10日 14時12分28秒 | 街のアート
2004年に横浜最古の百貨店として「横浜歴史的建造物」に指定された横浜松坂屋。アールデコ調の建物が古き佳き時代を感じさせます。
                
               ※1階~3階までのエレベーター表示
横浜松坂屋のシンボルとも言うべきアールデコ・エレベーター表示。いまや他では見られない貴重な表示板です。時計の針のようにクルクル動く様子はYouTubeでご覧下さい。

                 
                       ※全体の様子
これらの表示板はいつ頃作られたものなのかなと思い、松坂屋に問い合わせてみました。「記録が残っていないのではっきりは分かりませんが、昭和初期の頃に作られたものと思われます」とのことでした。
ゆったりとした時代だった昭和、その時代の象徴でもあるアールデコ装飾を店内で探してみました。
            
             ※4階~7階は、シンプルなタイプ
                    
                   ※エスカレーターの装飾
          
                   ※階段にある階数表示



上野松坂屋のエレベーターも素敵~♪横浜松坂屋は10月で閉店してしまいますが、なんとかこの表示板だけでも、どこかで保存して欲しいものです。横浜最古の百貨店、たくさんの人の、いろいろな思いをのせて動き続けたエレベーターですからね~♪

お祝いのお返しや、お中元・お歳暮、娘の学校の制服など、嬉しい買い物はいつも松坂屋でした。幼い頃は横浜の郊外に住んでいた私にとって、伊勢佐木町はキラキラ輝く大都会でした。前身の野沢屋だった頃オモチャを買いに来た思い出、大食堂にあった「入り九」マークの入った大きな急須と湯のみ茶碗。そんな時代の事を店内のアールデコ装飾が、思い起こさせてくれます。

                   
今年のお中元の買い物のサービス品、建物の全体がプリントされています♪

          
中は木綿の「ふきん」、松坂屋の「伊藤」マーク&野沢屋の「入り九」マーク入りで、私にとって貴重な記念品になりました。


【松坂屋のマーク】
最初の屋号が創業者・伊藤蘭丸祐道の苗字からとった「いとう屋」だったため、「井桁」の中に「藤」の文字になっています。伊藤蘭丸祐道の祖先は織田信長の小姓をしていたと伝えられているのだそうです~~イケメンだったのでしょうか?!





                    
       横浜桜木町シベリアのコテイベーカリーHP  
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「石龍師」 という占い師

2008年07月09日 15時14分42秒 | 街のこと
店主が幼かった頃、昭和30年代、この町に「石龍師」という占い師がいました。当時はかなり有名だったようで、政治家や芸能人が訪れるという噂を、よく大人がしていたそうです。
               
今でも残っている石龍師の家、当時は洒落た料亭の様な雰囲気でした。誰も住んでいないのですが、家だけは残っているので壊されないうちにと、写真を撮っておきました。
奥に見える赤い鳥居は成田山水行堂の「お稲荷さん」です、マドンナのジャンプのPV撮影もここで行われました。更にその奥は成田山横浜別院…霊験あらたかな立地条件です。

              
                  ※玄関には看板も残っています

                     
        ※玄関のガラス戸、多くの人が迷う心を抱えてこの戸を開けたことでしょう。
いつの時代も人はいろいろなことに迷いながら生きているのだなぁと思います。小さな街の小さな路地に残る、小さな昭和史です。


マドンナ「ジャンプ」 (yahoo動画)
映画『プラダを着た悪魔』でも使用された曲で、PVは成田山横浜別院で撮影されています。この映像では山の中のお寺のように見えますが、実際は町の中のマンションに囲まれたお寺です。ニンジャの様なダンサーが境内の石段からジャンプしたり、鳥居にぶら下がったり大暴れしてます(笑)
   


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『今よみがえる昭和30年代の相模鉄道』展のお知らせ☆

2008年07月06日 20時33分16秒 | 街のこと
              
横浜・伊勢佐木町の有隣堂本店で、7月11日(金)~7月21日(祝)の日程で
『今よみがえる昭和30年代の相模鉄道』展が開催されます。

              
      写真展に併せて出版される有隣堂限定販売の写真集
           

この写真展は、昨年7月の「今よみがえる懐かしの市電」に引き続き、武相高校鉄道研究同好会 が主催する2回目の写真展です。私は昨年の写真展は、残念ながら体調不良で行かれませんでしたので、今年は絶対に見逃せません

この記事を書くにあたり、武相高校鉄道研究同好会の顧問・山田京一先生に画像の提供等のご協力いただきました。ここに厚く御礼申し上げます。



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『箱根ろくろ細工』 “箱根十二たまご ” その①

2008年07月02日 13時05分42秒 | 神奈川のこと
           「箱根十二たまご」の工房をたずねて
箱根・湯本、入生田駅(箱根登山鉄道)には「箱根ろくろ細工」の田中一幸さんの工房があります。ごく薄く挽いた木製のたまごは、すべて入れ子になっていて、12個のたまごがキッチリと収まるという驚くべき技術です。湯本に江戸時代から伝わる「十二たまご」、この素晴らしい技をこの目で確かめたいと思い、田中さんの工房をお尋ねしました。
           
※田中さんの工房で撮影した「十二たまご」(手前)、後の大きな2つは「三十六たまご」の一部です。 

江戸時代の旅のお土産は、軽くてかさばらない物が好まれたので、このように木を薄く挽いてて加工した入れ子細工が発展したのだそうです。
 
           
7cmほどの一番外側の「親」と呼ばれる無彩色のたまごをあけると、次々に彩色された「たまご」が出て、最後には高さ7mmの可愛い「ひよこ」が出てきます

              
目の前で「豆ゴマ」のナスを作っていただきました。紫の彩色をしているところです。
              
こちらはリンゴ、最後のツヤ出しの工程です。ヒヨコも豆ゴマのナス・リンゴもミリ単位の驚異の世界でした!
                
※完成した「豆ごま」と、更に小さい「花ゴマ」、目の悪い私はメガネなしでは見えません。 

          
              十二たまごの姉妹品?の「ふくろう」です。
          
              丸い目、ちょっと表情の違う「ふくろう」です。

                
こちらは工具置き場、これらの工具もすべてご自身で作られるのだそうです、「鍛冶屋もやるんですよ」と田中さん。やはり繊細な加工に使う道具はご本人でないと作れないのでしょう。江戸時代から続くこの技術ですが後継者が無く、田中さんは「最後の匠」と呼ばれています。
続きは「箱根十二たまご②」


「十二たまご」は、受注生産で製造に約1ヶ月程度かかります。 

 

               田中一幸さんの連絡先
           〒250-0311 神奈川県足柄下郡箱根町湯本7番地 
           ろくろ細工の店・たなか 電話0460-85-5084

           箱根登山鉄道 入生田駅下車 徒歩3分 
            



この記事の関連グッズいろいろ

           
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『箱根ろくろ細工』 “箱根十二たまご” その②

2008年07月01日 14時31分27秒 | 神奈川のこと
            「箱根十二たまご」のルーツと発展
「十二たまご」には、更に発展した「三十六たまご」「七福神」「七福だるま」などのバリエーションがあり、箱根湯本の郷土資料館には、ロシアから昭和59年、平成2年に贈られた二体のマトリョーシカと共に展示されています。

           
※箱根登山鉄道・湯本駅の「郷土資料館」宣伝展示されている「無彩色の十二たまご」     

                
            ※ロシアン雑貨「マリンカ」さんのマトリョーシカ
          
                  ※田中一幸さん作の「七福神」

                  
「十二たまご」から「七福神」がうまれ、それが箱根を訪れたロシア人によりロシアに持ち込まれ、「マトリョーシカ人形」が生まれる…なんとも壮大な歴史ロマンです♪
現代ではマトリョーシカはロシアを代表する民芸品、それに比べて「十二たまご」は忘れられつつある民芸品のように思え、神奈川県民としてはちょっと寂しいです。

                
         やはり、ロシアにもあるんですね~「たまごマトリョーシカ」

          
こちらは、横浜・馬車道「県立歴史博物館」に展示されている田中さん作の「三十六たまご」の画像です。博物館2階の郷土資料のコーナーに展示されています。一番大きなたまごは18センチほどあり、ダチョウの卵のようです!!

箱根十二たまご その①は→コチラ




この記事を書くにあたり、田中一幸 様に工房内で写真を撮らせていただき、掲載許可をいただきました。
またロシアン雑貨マリンカ 様より、マトリョーシカの画像をご提供いただきました。
ここに厚く御礼申し上げます。



「箱根十二たまご」のルーツと発展
信州松代出身の渡り木地師であった「亀吉」が湯本に移り住み、天保15年(1844年)に「十二たまご」が生み出されました。寺院で僧侶が使用した「応量器」、東北・信州の「入れ子弁当箱」などの入れ子技術と、箱根にあった、薄く挽く、細かく挽くという挽物技術と、新しい亀吉のアイディアが融合して生み出されたものであろうと言われています。
箱根にはロシア正教会の流れを汲む日本正教会があったこと、交通の便の良い箱根に多くの外国人が病気治療やリゾートで箱根を訪れていた事から、その中のロシア人が本国に持ち帰ったものと推測されています。
記録によれば、ロシアにおけるマトリョーシカ第1号は、1890年(明治23年)・ロシアの画家セルゲイ・マリョーチン(1859~1937)のスケッチを上絵に、ろくろ師スビョーズドチキンによって作られたのだそうです。 

以上の解説は、『箱根細工物語』(かなしんブックス22)岩崎宗純・著 神奈川新聞社
を短くまとめたものです。

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