な~んにもない

もう、わけわからんわ。

矛盾の風でも春一番は待ち遠しい

2021-02-21 10:11:58 | 日記



少し前から日差しに春を感じていたけれど、

今朝の空気は、忘れていた春そのものを思い起こさせてくれた。

今日も働く喜びと、少しの疑問を味わうことになるだろう身にとって、

忘却のひと時は、冬の暖かさに匹敵するごちそうだ。




明治から大正・昭和、さらに平成・令和と時代は下り、

衣食の満ち足りさ加減は目を見張るものがある。

AIで白黒写真を総天然色化(カラー化)できる写真を見て、よくそう感じる。




そして今は昔、かつての未来は

他人をマウントしたり、あら探しをしたり、悪口を言ったりと

うわさ話に精を出している人でいっぱいだ。

こうして心の声を文字に起こしている私ももちろんその一人。




数週間、ずっと考え込む自分と膝を交えて向き合うことなく、

作業系の仕事やゲームとか個食系飲食に睡眠と、矢継ぎ早に隙間を埋めて過ごしてきた。

そうすることで、仕事に追われ他人に勝手な期待をして勝手に裏切られることで

溜まって行くストレスを焼却処理して、家の中では比較的陽気に過ごす術としていた。




こうして改めて春の日差しの中で立ち止まっていると

それぞれに家庭があり、ひとときの憩いを笑顔で感じあっているようにも見える。

それぞれの実質上の主人によるご都合主義が、そこかしこにあることなど微塵も感じない。

ポイ捨てされたマスクのように、非常事態宣言もすっかり霞んでしまっていることにも気づかない。





非常自治宣言といえば、

保健所にゆとりが戻り、年明けまでのようにクラスターの追跡をとことんやる指示が再び出されるまでは、

建前上の感染者数は減っていくだろうって予測なんだそうだ。

きっと保健所が募集しても働く人は集まってくれないんだろうな。




そんな対応の中で、みんなウィルスを怖がるふりをして、お互いを警戒しあっていられるのも、弱毒性ウィルスのおかげだ。

その新型ウィルスは未知だからこそ油断ならず怖くとも、未知の新型ワクチンは恐れるに足らず、らしいよと言われたことがある。

へぇ、と笑う気力がその時はまだ残っていた。
コメント
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