親の背中を見て子は育つ。
親はなくとも子は育つ。
親のこころ、子知らず。
いかに金儲けを有利に展開するのかが、
手段ではなく、気付けば私の人生の目的となっている。
場当たり的で、ご都合主義で、無い物ねだりを幾つ実現させたのか。
これを幸せと呼んでいるところが、私にはある。
また、
こどもあっての親という役割とは考えず、
養っている意識ばかり強く、所有物と勘違いしている。
こどもの期間より、大人の期間の方が長い。
その貴重な時間を、
こどもはこどもらしく、と
こどもの成長と自立心の芽を摘むのはいいけれど、
何の為に犠牲を強いるのかは深く考えない。
人間なんて、それでいいのかもしれない。
かたや、腫れ物に触るように育てられていくこども達もいる。
こども社会に首を突っ込む親も増えた。
夫婦間の子育て価値観も多様化している。
こどもらしからぬ子供が増えても、こどもはこどもである。
人の今日のあり方を写す鏡である。
これまで何度ハッとさせられたことだろう。
私は何者になりたいのだろう。
何者にもなりたくないのだろうか。
既に好き嫌いを越えて、
無意識なだけで何者かであるのかもしれない。
少なくとも世間様は、
互いにそうやって日々をつないでいるようにみえる。
今日もウグイスの声が渡って行く。
帰路に着いた友人の背中を思う。
惰眠を貪る我が子を眺めて漏れる溜め息は、
刃となって胸元へ帰ってくる。
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