父の百ヵ日法要がすんだ。
母や妹達はまだ実感がないと口々に言っていた。
そんな会話を聞きながら、
ないと言えばないし、これこそが実感なのかも知れないともぼんやりと考えていた。
お寺さんが言っていた。
今回の卒塔婆には「卒哭」の文字があると。
尽きない名残りがあれども、哭きからの卒業との意味があると。
どうやら、亡き人との一つの節目や区切りであることのようだ。
不完全ながら仕事から2日離れた。
緊張感にも変化が現れたのか、いつも以上に何もしたくない気持ちに支配された。
軽いけれど、不定期な痛みを覚える箇所が増えた。
こんなことも受け止めながら、
僅かでも明るい報告を墓前でできるようにとこれからも精進あるのみ。
とりあえずあと12年。
そんなに時間が残されているかどうかも、わからないけれど。
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