○甘糟りり子は酷薄なほどに女と男を描く・・・
甘糟りり子という作家は育ちも良さそうだし、現在の生活の様子もいろいろなところから入ってくる情報からすると、僕のような一般的な生活者とは比べようもないほどの、貴族的な生活をおくっているらしい。格差社会というなら、甘糟りり子という女史は、確実に社会の上層で、上流階級の空気を吸って生きているような女性である。なるほど、彼女の作品の中には、僕が下戸であるせいもあるが、まるで聞いたこともない銘柄のシャンパンやワインやブランデーやウィスキーがさり気なく登場し、車好きな僕が名前とスタイルだけは知っている高級外車に主人公たちは、それがまるで当然であるかのように、自分の存在の一部として受け入れている。そんな環境にある作家から紡ぎだされる物語に、人間の真実があるのか? という疑問を持たれる方もいらっしゃるだろう、と思う。事実僕も甘糟りり子という作家の描く世界に入り込めるかどうか、迷いつつ彼女のラビリンスのような世界へ足を踏み入れたのだ。
「けれど、英子が黒いワンピースを脱ぐと、正博はとまどった。自分より十五歳も年上の女の肉体に触れるのは、はじめてだった。いろいろな部分がだらしなく垂れ下がっていて、肌に艶はなくすべてがくすんでいた。何人もの男の手垢がついているような感じだった。かすかにだが、実家(蒲鉾屋)と同じような匂いがした。まさしく使い古した後の女の身体だった。服を着ている時の落差に、正博は素直に驚いた。」甘糟は同じ女性に対する一片の思い入れもないように女性を描く。「みちたりた痛み」(講談社文庫)の短編の中の一節だ。勿論、女の目を通して、男の金や服装や社会的地位といったものを存分に描いてみせるが、底には抉るような異性への冷やかで、同時に深い哀れみの情を作品の中に繰り広げる。その意味で甘糟りり子という作家は酷薄な作家だ、と言えるだろう。人間の虚飾を思い切り作品の中に取り入れながら、その虚飾に満ちた世界から、裸の人間の、どうにも理性では押さえつけることの出来ない本質を取り出して読者の前にさらけ出してみせる。これが甘糟りり子という作家の魅力だ、と僕は思う。
現代の世の中こそ、拝金主義そのものだが、そのくせ金持ちを、どこかで馬鹿にしながら生きているのが庶民感覚というものであるとしたら、それは公平さに欠ける思想である。太宰 治も大地主の息子であったことを当時の文壇の中で、引け目に感じていたのが作品の中からもよくうかがえる。太宰にとっては金持ちである、ということは明らかなマイナスの要因であった、と思う。しかし、やはり世の中は拝金主義であることに変わりはないが、そんな位置など物ともしない知性が出現したのだ、と僕は納得せざるを得なくなった。しみったれた貧乏人の僕には羨ましい限りだが、甘糟りり子には、金にいとめをつけない生活の中から、生の真実を描き続けてほしいものだ。甘糟りり子とはそういう役割を背負った作家だ、と僕は思うから。
○推薦図書「モーテル0467 鎌倉物語」 甘糟りり子著 マガジンハウス刊。繊細なタッチで、男女の関係性を抉りだすように、それでいてあくまで優しく描きます。よい作品だ、と思います。ブログの中で一節を引用した短編集の「みちたりた痛み」(講談社文庫)もお薦めです。素敵な作家がこれでもか、という具合に僕の前に出現します。うれしい悲鳴です。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
甘糟りり子という作家は育ちも良さそうだし、現在の生活の様子もいろいろなところから入ってくる情報からすると、僕のような一般的な生活者とは比べようもないほどの、貴族的な生活をおくっているらしい。格差社会というなら、甘糟りり子という女史は、確実に社会の上層で、上流階級の空気を吸って生きているような女性である。なるほど、彼女の作品の中には、僕が下戸であるせいもあるが、まるで聞いたこともない銘柄のシャンパンやワインやブランデーやウィスキーがさり気なく登場し、車好きな僕が名前とスタイルだけは知っている高級外車に主人公たちは、それがまるで当然であるかのように、自分の存在の一部として受け入れている。そんな環境にある作家から紡ぎだされる物語に、人間の真実があるのか? という疑問を持たれる方もいらっしゃるだろう、と思う。事実僕も甘糟りり子という作家の描く世界に入り込めるかどうか、迷いつつ彼女のラビリンスのような世界へ足を踏み入れたのだ。
「けれど、英子が黒いワンピースを脱ぐと、正博はとまどった。自分より十五歳も年上の女の肉体に触れるのは、はじめてだった。いろいろな部分がだらしなく垂れ下がっていて、肌に艶はなくすべてがくすんでいた。何人もの男の手垢がついているような感じだった。かすかにだが、実家(蒲鉾屋)と同じような匂いがした。まさしく使い古した後の女の身体だった。服を着ている時の落差に、正博は素直に驚いた。」甘糟は同じ女性に対する一片の思い入れもないように女性を描く。「みちたりた痛み」(講談社文庫)の短編の中の一節だ。勿論、女の目を通して、男の金や服装や社会的地位といったものを存分に描いてみせるが、底には抉るような異性への冷やかで、同時に深い哀れみの情を作品の中に繰り広げる。その意味で甘糟りり子という作家は酷薄な作家だ、と言えるだろう。人間の虚飾を思い切り作品の中に取り入れながら、その虚飾に満ちた世界から、裸の人間の、どうにも理性では押さえつけることの出来ない本質を取り出して読者の前にさらけ出してみせる。これが甘糟りり子という作家の魅力だ、と僕は思う。
現代の世の中こそ、拝金主義そのものだが、そのくせ金持ちを、どこかで馬鹿にしながら生きているのが庶民感覚というものであるとしたら、それは公平さに欠ける思想である。太宰 治も大地主の息子であったことを当時の文壇の中で、引け目に感じていたのが作品の中からもよくうかがえる。太宰にとっては金持ちである、ということは明らかなマイナスの要因であった、と思う。しかし、やはり世の中は拝金主義であることに変わりはないが、そんな位置など物ともしない知性が出現したのだ、と僕は納得せざるを得なくなった。しみったれた貧乏人の僕には羨ましい限りだが、甘糟りり子には、金にいとめをつけない生活の中から、生の真実を描き続けてほしいものだ。甘糟りり子とはそういう役割を背負った作家だ、と僕は思うから。
○推薦図書「モーテル0467 鎌倉物語」 甘糟りり子著 マガジンハウス刊。繊細なタッチで、男女の関係性を抉りだすように、それでいてあくまで優しく描きます。よい作品だ、と思います。ブログの中で一節を引用した短編集の「みちたりた痛み」(講談社文庫)もお薦めです。素敵な作家がこれでもか、という具合に僕の前に出現します。うれしい悲鳴です。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃