ある種の特殊な欲望に目覚めた女性も中にはいることだろうが、10代の男子学生は、圧倒的に不利な状況の中でかろうじて息をしていることだろう。いまの男子学生諸氏は、状況が僕たち50代の男とはまるで違うだろうから、同じことが当てはまるとは思えないが、とりあえず、僕たちの年代の10代の男というのは、抗いの連続だった、と思う。一般論で言うと何かと語弊が生じるので僕のことに限って当時を振り返ろう、と思う。
中学生の頃、性に目覚めた。もうこの力は圧倒的に僕の脳髄を支配した。夏休みをはさんで、その前後、女生徒たちの服装は軽くなる。白いブラウスから透けて見える下着の細い線を見ただけで、僕は完璧に理性を喪失した。自分の股間が制御不能になるくらい、エレクトしてしまうのだ。女生徒と同じ条件で高校受験に立ち向かっているわけで、自分の性への衝動は、ある意味決定的に不利な条件だった。好きな子もいたし、彼女も僕が押し切れば、自分の欲望は満たされたはずだ。しかし、当時の文部省かどこかのセンスのない官僚の誰かが、「不純異性交遊」などという訳の分からない文言で、僕たち男子生徒を縛った。バレたら重い処分が待ち受けている。内申書に何を書かれるか分かったものではない。僕に出来ることは、ただただ、孤独なマスターベーションで気分を入れ換えることだけだった。女生徒は出来るだけ遠ざけておくこと。そして、50代の今となっては、別に見たくもないヘアヌードが大はやりの雑誌とは比べ物にならないくらいおとなしい「平凡パンチ」の可憐なアイドルの、ヌードとは決して言えないグラビア写真を見ながらの性的処理をひたすら繰り返す毎日だった。そうしておかなければ、頭のいい女子に対して、男子学生は圧倒的に不利な闘いを強いられることになる。ともかく頭を覚醒させておかねばならなかった。
高校生になって抗いの対象が女性徒から学生運動に変わった。正直ホッとした。高2の頃、一つ年下の女生徒と初めて口づけをした。こんな柔らかな感触を味わってよいものか? とある種の恐れに似た感情に支配され、口づけをしながら、当時流行していたミニスカートからのぞく彼女の白い膝頭を瞼に焼き付けて、もう会うまい、と決意した。行き着く果ては例の不純異性交遊という危険な世界だろう、と感じたからだ。その日の夜、僕は彼女の唇の感触、身体の柔らかさ、真っ白な膝頭のイメージが頭の中を離れず、何度も、何度も、僕は果てた。翌朝の太陽が黄色く見えた。太陽が黄色く見えるというのは、誇張でもなんでもない、本当のことだ。10代のくせに足もとがふらついた。そうして頭を切り換えて、幼稚な政治への抗いを重ねた。
艱難辛苦を経て、何とか大学生になったが、僕は女の子にはもてなかった。英文科だったし、女子学生の割合は7割だったにも関わらず、何せアルバイトをしなければ学校の授業料も稼げないし、飯も食えない訳だから、学校に殆ど行けなかったからだ。いや、たとえ学校にまともに通える身分であったとしても、自分でも分かるが、ギラギラとした欲望の衝動が異性には透けて見えていたはずだから、絶対に女学生には相手にもされなかったはずだ。こんなふうに不幸極まりない大学生活が終わった。
教師になって、26歳で結婚したが、愛情の何たるかが分からず、多分僕は家内の家庭環境に同情し、それを愛情と錯覚して結婚生活をはじめたのであった。結婚後、すぐに家内とは違う世界観をもった人間どうしが、間違って人生の同行者として、生きはじめたのだ、と感じた。二人息子を生み出したが、結局は21年間の結婚生活を閉じた。抗いの果ての結論だった、と思う。
50代に突入して、抗いは老いとの格闘になった。別に死を恐れての抗いではない。自分という存在がどうしようもなく崩れていくような感覚を覚えたからだ。正確に言えばこの抗いは40代の半ば頃から始まっていた。髪に白いものが目立ちはじめたのである。ある人々はロマンスグレーと言って、それを合理化するが、僕には実に厭な体験だった。ヘアダイで誤魔化しつつ、40代を過ごした。
今朝、耐えがたい頭皮のかゆみで目が醒めた。昨夜遅くにヘアダイをしたからだ。僕の裡なる老いが、ヘアダイの何かの成分を拒否しているのだろう。だから、もう諦めることにした。どんどん崩れていけばいい。もう何かに抗うつもりもない。ただ、崩壊感覚の中でたった一つだけ、得たものと言えば、男女に限らず他者を愛せるようになったことだろう。そういう意味で老いもまんざら捨てたものではないと思う。髪は白くなるばかりだろうが、これまで置き忘れてきた、たぶん人間にとって最も大切なものを感じとれるようになった。死は目前だろうが、もうこれで十分なような気がする。
○推薦図書「男の涙 女の涙」 日本ペンクラブ編。石田衣良選。生きることに切なさはつきものだが、それでも切ない涙は無駄に流されることはないのでしょう。生きることの重み、生のどうしようもない切なさを描く名作9編のアンソロジーです。
中学生の頃、性に目覚めた。もうこの力は圧倒的に僕の脳髄を支配した。夏休みをはさんで、その前後、女生徒たちの服装は軽くなる。白いブラウスから透けて見える下着の細い線を見ただけで、僕は完璧に理性を喪失した。自分の股間が制御不能になるくらい、エレクトしてしまうのだ。女生徒と同じ条件で高校受験に立ち向かっているわけで、自分の性への衝動は、ある意味決定的に不利な条件だった。好きな子もいたし、彼女も僕が押し切れば、自分の欲望は満たされたはずだ。しかし、当時の文部省かどこかのセンスのない官僚の誰かが、「不純異性交遊」などという訳の分からない文言で、僕たち男子生徒を縛った。バレたら重い処分が待ち受けている。内申書に何を書かれるか分かったものではない。僕に出来ることは、ただただ、孤独なマスターベーションで気分を入れ換えることだけだった。女生徒は出来るだけ遠ざけておくこと。そして、50代の今となっては、別に見たくもないヘアヌードが大はやりの雑誌とは比べ物にならないくらいおとなしい「平凡パンチ」の可憐なアイドルの、ヌードとは決して言えないグラビア写真を見ながらの性的処理をひたすら繰り返す毎日だった。そうしておかなければ、頭のいい女子に対して、男子学生は圧倒的に不利な闘いを強いられることになる。ともかく頭を覚醒させておかねばならなかった。
高校生になって抗いの対象が女性徒から学生運動に変わった。正直ホッとした。高2の頃、一つ年下の女生徒と初めて口づけをした。こんな柔らかな感触を味わってよいものか? とある種の恐れに似た感情に支配され、口づけをしながら、当時流行していたミニスカートからのぞく彼女の白い膝頭を瞼に焼き付けて、もう会うまい、と決意した。行き着く果ては例の不純異性交遊という危険な世界だろう、と感じたからだ。その日の夜、僕は彼女の唇の感触、身体の柔らかさ、真っ白な膝頭のイメージが頭の中を離れず、何度も、何度も、僕は果てた。翌朝の太陽が黄色く見えた。太陽が黄色く見えるというのは、誇張でもなんでもない、本当のことだ。10代のくせに足もとがふらついた。そうして頭を切り換えて、幼稚な政治への抗いを重ねた。
艱難辛苦を経て、何とか大学生になったが、僕は女の子にはもてなかった。英文科だったし、女子学生の割合は7割だったにも関わらず、何せアルバイトをしなければ学校の授業料も稼げないし、飯も食えない訳だから、学校に殆ど行けなかったからだ。いや、たとえ学校にまともに通える身分であったとしても、自分でも分かるが、ギラギラとした欲望の衝動が異性には透けて見えていたはずだから、絶対に女学生には相手にもされなかったはずだ。こんなふうに不幸極まりない大学生活が終わった。
教師になって、26歳で結婚したが、愛情の何たるかが分からず、多分僕は家内の家庭環境に同情し、それを愛情と錯覚して結婚生活をはじめたのであった。結婚後、すぐに家内とは違う世界観をもった人間どうしが、間違って人生の同行者として、生きはじめたのだ、と感じた。二人息子を生み出したが、結局は21年間の結婚生活を閉じた。抗いの果ての結論だった、と思う。
50代に突入して、抗いは老いとの格闘になった。別に死を恐れての抗いではない。自分という存在がどうしようもなく崩れていくような感覚を覚えたからだ。正確に言えばこの抗いは40代の半ば頃から始まっていた。髪に白いものが目立ちはじめたのである。ある人々はロマンスグレーと言って、それを合理化するが、僕には実に厭な体験だった。ヘアダイで誤魔化しつつ、40代を過ごした。
今朝、耐えがたい頭皮のかゆみで目が醒めた。昨夜遅くにヘアダイをしたからだ。僕の裡なる老いが、ヘアダイの何かの成分を拒否しているのだろう。だから、もう諦めることにした。どんどん崩れていけばいい。もう何かに抗うつもりもない。ただ、崩壊感覚の中でたった一つだけ、得たものと言えば、男女に限らず他者を愛せるようになったことだろう。そういう意味で老いもまんざら捨てたものではないと思う。髪は白くなるばかりだろうが、これまで置き忘れてきた、たぶん人間にとって最も大切なものを感じとれるようになった。死は目前だろうが、もうこれで十分なような気がする。
○推薦図書「男の涙 女の涙」 日本ペンクラブ編。石田衣良選。生きることに切なさはつきものだが、それでも切ない涙は無駄に流されることはないのでしょう。生きることの重み、生のどうしようもない切なさを描く名作9編のアンソロジーです。