今朝の新聞を読んでいたら、一面に「保育料滞納90億円」2006年全国調査保護者の3.7%という記事が目に飛び込んできた。厚生労働省の調査によれば、滞納の原因の6割強が「保護者の規範意識の問題」と指摘されていた。その対応策として、未納保護者に対して催促状の送付は約79万9千件、財産調査は4190件、差押えが634件あった、と云う。これらに要する膨大な費用は税金から捻出されているはずだ。無駄金としか言いようがない。正確な数字はいまは持っていないが、テレビ報道では、小学校の給食費の未納家庭も「保護者の規範意識の問題」とされても仕方のないような、保護者のインタビューが報道されていたように思う。インタビューを受けている2、3人の母親たちは平然と給食がまずい、だの、献立の仕方がどうだの、と訳の分からぬ未払いの理由を述べていたように思う。
別に僕は「規範意識の問題」を抱えている保護者に対して断罪する立場にもないし、そのような権利もないので、かつて同じ親として子どもを育てた人間の立場から発言したい、と思う。「規範意識の問題」を抱えている保護者を批判するならいくらでも出来る。そして誰にでもその批判の理由は分かる。たぶん今朝の新聞を読んだ真面目な保護者の方々は少なからず顔をしかめたに違いない。
僕はこう思う。もし、保育料を支払わないのであれば、親の責任で子どもを育てればいいのであって、別に保育園に通わせる義務などないのである。無理失理幼稚園に通わせられて、その抵抗の仕方として保育料の未払いを行使することがあるとは考えられない。現状の法規のあり方から言えば、保育園に行かせたくなければ、行かせなければいいのであって、それ以上でもそれ以下でもない。現在の保育のあり方に批判があるなら、保育園に行かせることを拒否すればいいだけなのではないか? また小学校の給食費の未払いの問題については、教室にたとえば一人不払いの生徒がいたとして、未払いの生徒だから給食を当該生徒にだけは与えない、ということなど、教育上の視点から見ても出来るはずがない。未払いの保護者にはそんなことはお見通しで、その上で、敢えて払えないのではなく、払わないのだろう、と思う。ある未払いの家庭に学校の職員が仕事を終えてから、訪ねていくテレビのドキュメンタリー番組があった。そんな仕事をさせられる職員は気の毒なものだ、と思った。訪ねた給食費の未払い家庭のガレージにはピカピカの外車が止まっていた。平均的なサラ
リーマンにはとても住めないような豪邸だった。出迎えた主婦らしき女性は、軽い、いかにも軽い調子で、払います、と言って直ぐに大きな玄関のドアを閉めた。きっとこの未払い家庭の未払いはこれからも続くのだろう、と思った。
たぶん、こういう人々の心はエゴイズムとも言えないくらい幼稚化した精神の持主たちなのではないか、と思う。エゴイズムなら何とかなる。しかし、それ以前の状態の精神の型の人間には人間の決まり事は通じないような気がする。たぶん20代から30代の一部(とは決して言えないが)の、社会規範に平気で背を向けて憚らない人々の割合はこれからも増えつづけるのではないか、と推察する。何か新たな価値意識を持った言動なり反抗なら僕は認める。が、どう控えめにみても親の幼稚化としか定義出来ないことなのだ。こういう親に育てられた子どもは同じことを繰り返す可能性が大きいのである。家庭の中で、しっかりと思想化されていくからである。幼稚化も思想化される。これは間違いない。
長生きはしたくない時代だ、とつくづく思う。
○推薦図書「正義のミカタ」 本多孝好著。双葉社刊。将来がまだまだ不安な青春群像の物語ですが、この書の「正義」という言葉を「誠意」と読みかえて読んでいただきたい青春小説です。青春を通り過ごした人にもお薦めの書です。少しは生き抜く気力が湧いてくるかも知れません。
別に僕は「規範意識の問題」を抱えている保護者に対して断罪する立場にもないし、そのような権利もないので、かつて同じ親として子どもを育てた人間の立場から発言したい、と思う。「規範意識の問題」を抱えている保護者を批判するならいくらでも出来る。そして誰にでもその批判の理由は分かる。たぶん今朝の新聞を読んだ真面目な保護者の方々は少なからず顔をしかめたに違いない。
僕はこう思う。もし、保育料を支払わないのであれば、親の責任で子どもを育てればいいのであって、別に保育園に通わせる義務などないのである。無理失理幼稚園に通わせられて、その抵抗の仕方として保育料の未払いを行使することがあるとは考えられない。現状の法規のあり方から言えば、保育園に行かせたくなければ、行かせなければいいのであって、それ以上でもそれ以下でもない。現在の保育のあり方に批判があるなら、保育園に行かせることを拒否すればいいだけなのではないか? また小学校の給食費の未払いの問題については、教室にたとえば一人不払いの生徒がいたとして、未払いの生徒だから給食を当該生徒にだけは与えない、ということなど、教育上の視点から見ても出来るはずがない。未払いの保護者にはそんなことはお見通しで、その上で、敢えて払えないのではなく、払わないのだろう、と思う。ある未払いの家庭に学校の職員が仕事を終えてから、訪ねていくテレビのドキュメンタリー番組があった。そんな仕事をさせられる職員は気の毒なものだ、と思った。訪ねた給食費の未払い家庭のガレージにはピカピカの外車が止まっていた。平均的なサラ
リーマンにはとても住めないような豪邸だった。出迎えた主婦らしき女性は、軽い、いかにも軽い調子で、払います、と言って直ぐに大きな玄関のドアを閉めた。きっとこの未払い家庭の未払いはこれからも続くのだろう、と思った。
たぶん、こういう人々の心はエゴイズムとも言えないくらい幼稚化した精神の持主たちなのではないか、と思う。エゴイズムなら何とかなる。しかし、それ以前の状態の精神の型の人間には人間の決まり事は通じないような気がする。たぶん20代から30代の一部(とは決して言えないが)の、社会規範に平気で背を向けて憚らない人々の割合はこれからも増えつづけるのではないか、と推察する。何か新たな価値意識を持った言動なり反抗なら僕は認める。が、どう控えめにみても親の幼稚化としか定義出来ないことなのだ。こういう親に育てられた子どもは同じことを繰り返す可能性が大きいのである。家庭の中で、しっかりと思想化されていくからである。幼稚化も思想化される。これは間違いない。
長生きはしたくない時代だ、とつくづく思う。
○推薦図書「正義のミカタ」 本多孝好著。双葉社刊。将来がまだまだ不安な青春群像の物語ですが、この書の「正義」という言葉を「誠意」と読みかえて読んでいただきたい青春小説です。青春を通り過ごした人にもお薦めの書です。少しは生き抜く気力が湧いてくるかも知れません。