○毒づくことの効用
人間、誰だって、この世の中に生きていれば不条理な出来事に出くわす。勿論すべてが不条理な代物ではない。己れの失策からどうにも解決不能の状況に直面することも多い。精神の病などは、ある意味不条理な事柄の結果生じることが多いが、元を辿っていけば、意外に単純な要因に突き当たることがある。まとめて言ってしまえば、生き抜くにはそれ相応の覚悟が必要だ、ということである。もう少し消極的に言えば、生き難い世の中に僕たちは身を置いている、と言ってもよい、と思う。
考えてみれば、人間の生活様式そのものが、確かにその局部をとりあげて評価するなら、芸術性だってある。文化的、という呼称を与えてもよいが、それだって、人間の毎日繰り返される日常性、具体的に書けば、朝目を醒まして、朝食が先か洗顔が先かは好みの問題だが、新聞にざっと目を走らせて、残ったコーヒーを流し込んで、満員電車に乗り込み、どこかの職場で何がしかの仕事をこなし、帰宅途中で財布の中身と相談しながら一杯ひっかけて、遅い夕食をとって風呂に(これもどちらが先かは好みの問題だろう)入り、少しの時間を家族と団欒でし、テレビを観、その日を終える。この繰り返しだ。あるいはこれに比してかなり変形的な生活様式もあるだろう。いずれにせよ、この単純なルーティーンの中から、どれだけ創造的な時間を組み入れることが出来るか? それが、凡庸な人生にいっときの光を輝かせることの出来る可能性を秘めた行為なのではないか、思う。
しかし、人生は順風満帆とはいかないのが生の酷薄なリアリティであってみれば、行き詰まることだってあるのが当然と言えば当然である。一番やってはいけないのは、自分が直面した行き詰まりを内面化させてしまうことである。これが精神疾患の抜きがたい要因になるからだ。行き詰まりは、だから体外へ吐き出すことが生き抜くことの前提だ。海に向かって大声を張り上げて、ばかやろー ! と叫ぶ何十年も前に青春ドラマで見たような場面は案外、精神衛生上は素敵な苦悩の乗り切り方なのである。出来ることなら、大声で時折は叫ぶことをお薦めする。 数日前に近所の御所に行って、周りを見回して誰もいないことを確かめてから、何となく溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのように、大声で叫んだ。何を叫んだのかは敢えて書かない。深い意味はない。恥ずかしいだけだからである。ただ雄叫びを上げたその瞬時、左翼運動家の自分に歴史が光の速さで立ち戻っていた。柄の悪い自分の唸り声が自分で聞き取れた。極左とやくざは案外仲がよいのである。当時かわいがってもらったやくざの偉いさんの凄み方を自分の声の中で思い出していた。ああ、これも自分の消しがたい一面なのだ、とつくづく思った。死など恐れていない自分を再発見した。
○推薦図書「安息の地」 山川健一著。幻冬舎文庫。恋愛を描かせたら、これほど、生活感のないにも関わらず、読む人を引きつけて離さない作家はいません。山川とは僕が教師時代に個人的にメールのやりとりをしていました。同い年ですが、彼は作家として成功し、日本の大衆車よりはかなり高いバイクを乗り回し、車はポルシェを乗り回すような人です。でもそのような彼の環境が作品を生み出す大きなエネルギーになっているような気がします。今回は山川の恋愛物ではなく、インテリの夫婦が23歳になる息子を殺してしまう、という実話にもとづいたノンフィクション作品を紹介します。恵まれた環境にいる人がこのような悲惨な事件を起こす可能性があるのです。己れの人生に毒づく、という体験を経ないで、重苦しい苦悩を内面にため込んでしまうと、こんな事件が起こるような気がします。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
人間、誰だって、この世の中に生きていれば不条理な出来事に出くわす。勿論すべてが不条理な代物ではない。己れの失策からどうにも解決不能の状況に直面することも多い。精神の病などは、ある意味不条理な事柄の結果生じることが多いが、元を辿っていけば、意外に単純な要因に突き当たることがある。まとめて言ってしまえば、生き抜くにはそれ相応の覚悟が必要だ、ということである。もう少し消極的に言えば、生き難い世の中に僕たちは身を置いている、と言ってもよい、と思う。
考えてみれば、人間の生活様式そのものが、確かにその局部をとりあげて評価するなら、芸術性だってある。文化的、という呼称を与えてもよいが、それだって、人間の毎日繰り返される日常性、具体的に書けば、朝目を醒まして、朝食が先か洗顔が先かは好みの問題だが、新聞にざっと目を走らせて、残ったコーヒーを流し込んで、満員電車に乗り込み、どこかの職場で何がしかの仕事をこなし、帰宅途中で財布の中身と相談しながら一杯ひっかけて、遅い夕食をとって風呂に(これもどちらが先かは好みの問題だろう)入り、少しの時間を家族と団欒でし、テレビを観、その日を終える。この繰り返しだ。あるいはこれに比してかなり変形的な生活様式もあるだろう。いずれにせよ、この単純なルーティーンの中から、どれだけ創造的な時間を組み入れることが出来るか? それが、凡庸な人生にいっときの光を輝かせることの出来る可能性を秘めた行為なのではないか、思う。
しかし、人生は順風満帆とはいかないのが生の酷薄なリアリティであってみれば、行き詰まることだってあるのが当然と言えば当然である。一番やってはいけないのは、自分が直面した行き詰まりを内面化させてしまうことである。これが精神疾患の抜きがたい要因になるからだ。行き詰まりは、だから体外へ吐き出すことが生き抜くことの前提だ。海に向かって大声を張り上げて、ばかやろー ! と叫ぶ何十年も前に青春ドラマで見たような場面は案外、精神衛生上は素敵な苦悩の乗り切り方なのである。出来ることなら、大声で時折は叫ぶことをお薦めする。 数日前に近所の御所に行って、周りを見回して誰もいないことを確かめてから、何となく溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのように、大声で叫んだ。何を叫んだのかは敢えて書かない。深い意味はない。恥ずかしいだけだからである。ただ雄叫びを上げたその瞬時、左翼運動家の自分に歴史が光の速さで立ち戻っていた。柄の悪い自分の唸り声が自分で聞き取れた。極左とやくざは案外仲がよいのである。当時かわいがってもらったやくざの偉いさんの凄み方を自分の声の中で思い出していた。ああ、これも自分の消しがたい一面なのだ、とつくづく思った。死など恐れていない自分を再発見した。
○推薦図書「安息の地」 山川健一著。幻冬舎文庫。恋愛を描かせたら、これほど、生活感のないにも関わらず、読む人を引きつけて離さない作家はいません。山川とは僕が教師時代に個人的にメールのやりとりをしていました。同い年ですが、彼は作家として成功し、日本の大衆車よりはかなり高いバイクを乗り回し、車はポルシェを乗り回すような人です。でもそのような彼の環境が作品を生み出す大きなエネルギーになっているような気がします。今回は山川の恋愛物ではなく、インテリの夫婦が23歳になる息子を殺してしまう、という実話にもとづいたノンフィクション作品を紹介します。恵まれた環境にいる人がこのような悲惨な事件を起こす可能性があるのです。己れの人生に毒づく、という体験を経ないで、重苦しい苦悩を内面にため込んでしまうと、こんな事件が起こるような気がします。
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文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃