○浮遊している自分がいる!
若い頃に妙な妥協は絶対にすべきでない、と書いたことがある。やはりそれがよい、と今も思う。自分の裡の矛盾と徹底的に向き合ってほしいし、抗ってもほしい。確かにこの21世紀とは前がまるで見えない状況だから、困難なことは認める。僕の時代は時折訪れる不況の波があり、その時々で就職難が襲ってきた。僕も卒業の頃ひどい不況で、優秀な学生は安全志向が働いて公務員試験は80倍を超える自治体も珍しくなかった。勿論国家公務員の第1種の試験など、到底僕の当時のサボり倒した学生時代の不勉強さでは挑戦するなどと言ったら、友達にせせら笑われただろう。それに僕は文学部英文科なのだ。法律関係の勉強など出来る余裕もなかった。国家公務員の第1種のための勉強をしかけたこともある。もともとフランス文学志望だったのに、英文科に入ってしまったのは、自分のようなオケラの人間が、もしも教員になるとすれば英語の教師の需要はまだ大きいはずだ、と朧げながら思っていたという、つまらない的はずれな計算をしていたのである。たぶんロクな人間ではなかったが、大学に入るまでにかなりの精神的なエネルギーを人並み以上にジタバタと空費したことが原因で、深く考えるという粘着質なエネルギーを使い果たしていたのだろう。もう中年のおっさん並の発想しかなかったように思う。
でもその場凌ぎの考えほど脆いものはない。僕の場合はもっと早くに崩壊していればよかったが、じわじわと崩壊していったわけで、その崩壊感覚を加速したのも、やはり誰でもない、この自分という存在だったのだ。23年間の教師生活はまさに崩壊過程そのものだった、と思う。夫として、父親として、形だけは何とかやり通したつもりだったが、それも中抜け状態だっただろう。21年間の結婚生活の後半の10年間は確かに僕は家族に対する愛を喪失していた、と思う。仕事に逃げていた10年間だった。家族で夏休みには必ず遠方へ旅行した。が、ホテルに着いても何も楽しい気持ちは湧いて来なかった。夕食を終えると必ずと言ってよいほど、僕は家族を部屋に残し、ホテルのロビーで論文の構想を練っていた。ノートと万年筆は離さなかった。喪失した自分を、物を書くことによってなにほどか取り戻せるのではないか? と淡い期待をしていたに過ぎない。10年間学校の研究紀要に論文を書き続けたが、たいした中身のない駄文ばかりだ。それが僕というロクでもない教師という存在、形ばかりの家庭人という存在を暴露しているかのように、見事な駄文ばかりだった。気負いばかりが目立つ駄文だ。いま読み返しても何の魅力も感じない。崩壊感覚の過程で崩れるがままに気負って表現したものなどが人の共感を誘うはずがないではないか。僕の認識している限りにおいては、人間の崩壊感覚の姿を明確な意思力を持って小説という方法論でなし得た作家は野間 宏氏と武田泰淳氏の二人だけだ。彼らは崩壊感覚を小説世界で思想化し得た人たちだが、僕の場合は世界に向かって呪詛していたに過ぎない。それが僕の駄文の正体だ。比較の対象にもならない。野間 宏も武田泰淳も勝手に比較の対象に持ち出されてさぞや迷惑していることだろう。
教師を辞めた47歳から今日に到るまでの年月の内実は、はっきり言って、よく思い出せない。断片的な記憶がバラバラに頭の中を浮遊しているだけである。いま何とか飯を食えていて、屋根のある部屋でこうして読者のみなさんには大して実りもないことを書き散らかしていられるのも単なる偶然の結果に過ぎないのは何とも情けない。書き続けることによってひょっとすると何かの偶然で、自分の生きた軌跡の中に意味が見出せるかも知れぬ、というとんでもない見当はずれの行為を繰り返しているのかも知れない。ただ、いまは書きつづけるしか自分の存在理由が見つからないような気がしている。確信などない。おそらくは成り行きなのだ。偽らざる感慨だ。
○推薦図書「だれかのいとしいひと」 角田光代著。文春文庫。どこか不安定で、仕事にも恋に対しても不器用な主人公たちの繰り広げる青春小説です。角田はそれにしても表現者としてはあなどれない作家です。生の真実をかいま見せてくれます。実力派です。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
若い頃に妙な妥協は絶対にすべきでない、と書いたことがある。やはりそれがよい、と今も思う。自分の裡の矛盾と徹底的に向き合ってほしいし、抗ってもほしい。確かにこの21世紀とは前がまるで見えない状況だから、困難なことは認める。僕の時代は時折訪れる不況の波があり、その時々で就職難が襲ってきた。僕も卒業の頃ひどい不況で、優秀な学生は安全志向が働いて公務員試験は80倍を超える自治体も珍しくなかった。勿論国家公務員の第1種の試験など、到底僕の当時のサボり倒した学生時代の不勉強さでは挑戦するなどと言ったら、友達にせせら笑われただろう。それに僕は文学部英文科なのだ。法律関係の勉強など出来る余裕もなかった。国家公務員の第1種のための勉強をしかけたこともある。もともとフランス文学志望だったのに、英文科に入ってしまったのは、自分のようなオケラの人間が、もしも教員になるとすれば英語の教師の需要はまだ大きいはずだ、と朧げながら思っていたという、つまらない的はずれな計算をしていたのである。たぶんロクな人間ではなかったが、大学に入るまでにかなりの精神的なエネルギーを人並み以上にジタバタと空費したことが原因で、深く考えるという粘着質なエネルギーを使い果たしていたのだろう。もう中年のおっさん並の発想しかなかったように思う。
でもその場凌ぎの考えほど脆いものはない。僕の場合はもっと早くに崩壊していればよかったが、じわじわと崩壊していったわけで、その崩壊感覚を加速したのも、やはり誰でもない、この自分という存在だったのだ。23年間の教師生活はまさに崩壊過程そのものだった、と思う。夫として、父親として、形だけは何とかやり通したつもりだったが、それも中抜け状態だっただろう。21年間の結婚生活の後半の10年間は確かに僕は家族に対する愛を喪失していた、と思う。仕事に逃げていた10年間だった。家族で夏休みには必ず遠方へ旅行した。が、ホテルに着いても何も楽しい気持ちは湧いて来なかった。夕食を終えると必ずと言ってよいほど、僕は家族を部屋に残し、ホテルのロビーで論文の構想を練っていた。ノートと万年筆は離さなかった。喪失した自分を、物を書くことによってなにほどか取り戻せるのではないか? と淡い期待をしていたに過ぎない。10年間学校の研究紀要に論文を書き続けたが、たいした中身のない駄文ばかりだ。それが僕というロクでもない教師という存在、形ばかりの家庭人という存在を暴露しているかのように、見事な駄文ばかりだった。気負いばかりが目立つ駄文だ。いま読み返しても何の魅力も感じない。崩壊感覚の過程で崩れるがままに気負って表現したものなどが人の共感を誘うはずがないではないか。僕の認識している限りにおいては、人間の崩壊感覚の姿を明確な意思力を持って小説という方法論でなし得た作家は野間 宏氏と武田泰淳氏の二人だけだ。彼らは崩壊感覚を小説世界で思想化し得た人たちだが、僕の場合は世界に向かって呪詛していたに過ぎない。それが僕の駄文の正体だ。比較の対象にもならない。野間 宏も武田泰淳も勝手に比較の対象に持ち出されてさぞや迷惑していることだろう。
教師を辞めた47歳から今日に到るまでの年月の内実は、はっきり言って、よく思い出せない。断片的な記憶がバラバラに頭の中を浮遊しているだけである。いま何とか飯を食えていて、屋根のある部屋でこうして読者のみなさんには大して実りもないことを書き散らかしていられるのも単なる偶然の結果に過ぎないのは何とも情けない。書き続けることによってひょっとすると何かの偶然で、自分の生きた軌跡の中に意味が見出せるかも知れぬ、というとんでもない見当はずれの行為を繰り返しているのかも知れない。ただ、いまは書きつづけるしか自分の存在理由が見つからないような気がしている。確信などない。おそらくは成り行きなのだ。偽らざる感慨だ。
○推薦図書「だれかのいとしいひと」 角田光代著。文春文庫。どこか不安定で、仕事にも恋に対しても不器用な主人公たちの繰り広げる青春小説です。角田はそれにしても表現者としてはあなどれない作家です。生の真実をかいま見せてくれます。実力派です。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃