○こんな時代なのだ、アウトローとして生きていこうじゃあないか!
世の中いつの時代にも世渡り上手な人もいれば、逆に世間のうつろいの早さについていくのがやっと、という人だっている。世渡りの巧い人はそれでよいではないか。せいぜいがんばってほしい。ただ、世渡りが巧いと言っても、そういう人の中にも、人生、至るところに穴が空いているわけで、時折ドスンとその中にはまってしまう人もいるから、絶対の安心感というものはない。少なくともそれくらいの覚悟で生きていくに越したことはないとは思う。
今日は世渡りベタな人の生きかたについて、何らかの参考になれば、と思って書く。そもそも世渡りベタな人の中には結構な数のアウトローが存在する。言葉を換えて言えば、世の常識に従えない人々のことである。自覚的なアウトローのみなさんは、各々我が道を突き進んでいかれるから、その過程で人生の意味を自分なりに発見して、最期はある程度満足してこの世界から姿を消していく。それはそれでいい、と思う。ただ不幸なのは、自分が本質的にアウトローであるという資質を持ちながら、そのことに気づかないでいる場合である。こんな人は毎日が地獄のように感じられるのではないだろうか? 職場であれ、学校であれ、家庭の中であれ、周囲の人たちとの考え方の違いに圧倒されてしまう。その結果が悪くするとうつ症状の出現だ。こんなアホらしいことはないではないか。
アウトローとは僕の定義で言えば、世間知の領域をはるかに超えた個性の持ち主のことである。さらに言えばアウトローとは世間の良識、職場の決まり、家庭内での暗黙の了解事項等々をことごとく打ち破っていくような個性の持ち主でもある。だからと言って、世間から相手にされないか、というとそうではない。世間という空間で通用している常識など、全てアウトローたちは諒解していて、独自の思想を形成しつつ、世間の価値意識を遙かかなたから凌駕した上で、世間知にも対応していける素質を有した人間のことである。その意味で言えばアウトローとはこの世界に存在するためには、確信犯だ、という自覚は持たねばならないだろう。アウトローは自己の思想を深化させる。そして深化させた思想を言語化していく。その過程で、アウトローは各々独自の思想に確信を持つことになる。
いまだ世渡りベタなままのアウトローのみなさんは、そろそろ自覚的、確信犯的な思想を創造しようではないか! そうすれば、人間関係がうまくいかない、と言っては嘆き、社会に溶け込めないと言っては嘆息しているような状況から完全に抜け出せる。アウトローとは世界を自分の思想の中に取り込むことの出来る人々のことだ。世界を自己の思想に組み入れることの唯一の要件は、自己の思想を言語化し、言語化しつつ、更なる思想の深化を遂げようとする人々である。それはあたかもカミュが書き残した「シーシュポスの神話」の中の世界像でもある。世界の不条理性を鋭く見抜き、その不条理性に反抗し続ける人々のことである。アウトローとして、世界に対する反抗者として、この世界を生き抜いてやろうではないか! 道は開ける、と思う。
○推薦図書「男はときどき買えばいい」 内藤みか著。マガジンハウス刊。物語の内容は9編の男と女の愛と性に関する短編集です。女が男の性を見事に内在化し、性の悦楽の中で、乾いた感性を身につけていきます。内藤の見事なところです。が、何故か性をリアルに描こうとはしているのですが、内藤の性描写には、表層的な悦楽の形、似通った形のそれが多いのが欠点と言えば言えなくもありません。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
世の中いつの時代にも世渡り上手な人もいれば、逆に世間のうつろいの早さについていくのがやっと、という人だっている。世渡りの巧い人はそれでよいではないか。せいぜいがんばってほしい。ただ、世渡りが巧いと言っても、そういう人の中にも、人生、至るところに穴が空いているわけで、時折ドスンとその中にはまってしまう人もいるから、絶対の安心感というものはない。少なくともそれくらいの覚悟で生きていくに越したことはないとは思う。
今日は世渡りベタな人の生きかたについて、何らかの参考になれば、と思って書く。そもそも世渡りベタな人の中には結構な数のアウトローが存在する。言葉を換えて言えば、世の常識に従えない人々のことである。自覚的なアウトローのみなさんは、各々我が道を突き進んでいかれるから、その過程で人生の意味を自分なりに発見して、最期はある程度満足してこの世界から姿を消していく。それはそれでいい、と思う。ただ不幸なのは、自分が本質的にアウトローであるという資質を持ちながら、そのことに気づかないでいる場合である。こんな人は毎日が地獄のように感じられるのではないだろうか? 職場であれ、学校であれ、家庭の中であれ、周囲の人たちとの考え方の違いに圧倒されてしまう。その結果が悪くするとうつ症状の出現だ。こんなアホらしいことはないではないか。
アウトローとは僕の定義で言えば、世間知の領域をはるかに超えた個性の持ち主のことである。さらに言えばアウトローとは世間の良識、職場の決まり、家庭内での暗黙の了解事項等々をことごとく打ち破っていくような個性の持ち主でもある。だからと言って、世間から相手にされないか、というとそうではない。世間という空間で通用している常識など、全てアウトローたちは諒解していて、独自の思想を形成しつつ、世間の価値意識を遙かかなたから凌駕した上で、世間知にも対応していける素質を有した人間のことである。その意味で言えばアウトローとはこの世界に存在するためには、確信犯だ、という自覚は持たねばならないだろう。アウトローは自己の思想を深化させる。そして深化させた思想を言語化していく。その過程で、アウトローは各々独自の思想に確信を持つことになる。
いまだ世渡りベタなままのアウトローのみなさんは、そろそろ自覚的、確信犯的な思想を創造しようではないか! そうすれば、人間関係がうまくいかない、と言っては嘆き、社会に溶け込めないと言っては嘆息しているような状況から完全に抜け出せる。アウトローとは世界を自分の思想の中に取り込むことの出来る人々のことだ。世界を自己の思想に組み入れることの唯一の要件は、自己の思想を言語化し、言語化しつつ、更なる思想の深化を遂げようとする人々である。それはあたかもカミュが書き残した「シーシュポスの神話」の中の世界像でもある。世界の不条理性を鋭く見抜き、その不条理性に反抗し続ける人々のことである。アウトローとして、世界に対する反抗者として、この世界を生き抜いてやろうではないか! 道は開ける、と思う。
○推薦図書「男はときどき買えばいい」 内藤みか著。マガジンハウス刊。物語の内容は9編の男と女の愛と性に関する短編集です。女が男の性を見事に内在化し、性の悦楽の中で、乾いた感性を身につけていきます。内藤の見事なところです。が、何故か性をリアルに描こうとはしているのですが、内藤の性描写には、表層的な悦楽の形、似通った形のそれが多いのが欠点と言えば言えなくもありません。
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文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃