先日<SMAP×SMAP>といういつも何気なくだが、観るとはなしに観ているスマップがつくる料理の番組に、ずっと記憶の底に眠っていた世紀の(前世紀だが)美男子たるアラン・ドロンが72歳になって唐突に僕の前に姿を現した。彼は見事な歳のとりかたをしていた。「太陽がいっぱい」で世界にその役者としての実力を見せつけたアラン・ドロンは、20世紀が生み出した美しい青年の代表として銀幕の上にそのみずみずしい姿を現した。アラン・ドロンの若い頃を知っているのは、僕のグレた親父が、無類の映画好きだったからである。どういうわけか、映画に行くときいつも僕を連れて行った。小学生の頃からませた少年になった。大人の世界を映画を通して覗いているのが何故か心地よかった。子ども心なりに人間の美と醜という姿を、姿形だけでなく、スクリーンの中の世界から、人間の存在の本質的なものとして感じとっていたように思う。悪くない気分だった。僕が親父を好きなのは、別に何か特別なことを意識的に教わったからではない。たぶん気まぐれにいつも映画の世界に僕を誘ってくれたお蔭だ、と思う。僕は親父と少なくとも1週間に一度は映画の世界に浸ることが出来た。映画の中の世界はたとえそれが哀しい結末であろうと、そこにはいつも夢が在った。人生とは光輝いているものなのだ、という思想を僕はしっかりと刷り込まれた。生の中に退屈感などというものは存在はしないし、そんな感情を抱くような生きかたにはどこかに嘘があるのだ、とも思った。子どもながら深い信念になった。
しかし日常性とは自分の信念とは違って如何にも退屈極まりないものあった。勉強をすればあるいはこの退屈感からいつかは抜け出せるのではないか? という淡い希望を持った。僕が学生運動に関わるまでずっと優等生だったのは、勉強というものに望みを託していたからだろう、と思う。1969年に所謂進学校と言われる高校に入学したが退屈感は増すばかりだった。70年安保闘争は、僕の心の中の劇場的な高揚感を高めるための極め付きの時代的背景だった。数年間、退屈感は僕の中でおとなしく眠ってくれていた。が、それでも映画館には通いつめていた。その頃、アラン・ドロンは魅力的な中年になっていた。彼の映画はたぶん一つも見逃してはいない、と思う。時折配給されるイタリア映画にも夢中になった。アラン・ドロンが美的な魅力をたたえた男前の代表とすると、イタリア映画界で、当時人気NO.1だった男優はマルチェロ・マストロヤンニだった。青年の美男子というのではなく、マルチェロ・マストロヤンニは大人の美男子だった。イタリア男の女たらしがこれほど似合う男優もいなかった、と思う。彼には包容力という武器があった。女たらしに包容力が備わったら、もう恐れるものなどない。マルチェロ・マストロヤンニもアラン・ドロンと同様に銀幕の世界の裏側で浮名を流した筋金入りの女たらしだ。それでもたぶん二人とも女性には恨まれてはいない、と僕は思う。女性に恨まれるような男は美的にも包容力においても決定的な欠落感があるからだ。凡庸な男は女性との別れ際に必ず煩わしい修羅場を体験するのである。これは凡庸な男の一人として断言できる。その意味でも二人の20世紀の美男子たちは、僕のいまだに憧れの的だ。マルチェロ・マストロヤンニは、老境に達する前にこの世を去った。彼の72歳をこの目で確かめたかった。アラン・ドロンが魅力的な72歳であったように、マルチェロ・マストロヤンニもいかにもイタリア男として成熟した72歳の老年を迎えていただろう、と思う。アラン・ドロンも思えばイタリア男だ。若い頃、有名なシャンソン歌手に見出されて貧しいイタリアの田舎町を捨ててフランス人として映画の世界に入り、フランス人としての歳のとりかたをした。アラン・ドロンの出演した翌週の<SMAP×SMAP>に老境に達したマルチェロ・マストロヤンニが出演してくれていたら、これは見物だった、と想像する。
54歳にもなっていまだに生きていることに退屈する。いつも何かを求めている自分がいる。凡庸な人間はどこまでいっても凡庸なままなのかも知れない。もう淡い希望を持つ年齢ではない。ヘタな人生を送ってきたものだ、と思う。僕はたぶん死の間際まで、己れの退屈感と抗っているような気がする。美と醜の区別をつけるとすると確実に醜の側にいる自分。どこまで行っても退屈感から自由になれぬ偏屈な自分がいる。歳はとりたくない、とよく人は言うが、アラン・ドロンもマルチェロ・マストロヤンニも、たぶん決してそんなことは言うまい、と思う。凡庸な人間として、このブログを書き終えるにあたって、僕は敢えて、歳はとりたくない、と言っておくことにする。それが自分の人生なのだ。諦めるしかない。
○推薦図書「別れの後の静かな午後」 大崎善生著。中公文庫。別れとはじまり、生きることの希望を描いた珠玉の短編集です。僕はあくまで凡庸な人間として、こういう小説が大好きです。凡庸であれ、非凡であれ、楽しめる作品集だ、と思います。
しかし日常性とは自分の信念とは違って如何にも退屈極まりないものあった。勉強をすればあるいはこの退屈感からいつかは抜け出せるのではないか? という淡い希望を持った。僕が学生運動に関わるまでずっと優等生だったのは、勉強というものに望みを託していたからだろう、と思う。1969年に所謂進学校と言われる高校に入学したが退屈感は増すばかりだった。70年安保闘争は、僕の心の中の劇場的な高揚感を高めるための極め付きの時代的背景だった。数年間、退屈感は僕の中でおとなしく眠ってくれていた。が、それでも映画館には通いつめていた。その頃、アラン・ドロンは魅力的な中年になっていた。彼の映画はたぶん一つも見逃してはいない、と思う。時折配給されるイタリア映画にも夢中になった。アラン・ドロンが美的な魅力をたたえた男前の代表とすると、イタリア映画界で、当時人気NO.1だった男優はマルチェロ・マストロヤンニだった。青年の美男子というのではなく、マルチェロ・マストロヤンニは大人の美男子だった。イタリア男の女たらしがこれほど似合う男優もいなかった、と思う。彼には包容力という武器があった。女たらしに包容力が備わったら、もう恐れるものなどない。マルチェロ・マストロヤンニもアラン・ドロンと同様に銀幕の世界の裏側で浮名を流した筋金入りの女たらしだ。それでもたぶん二人とも女性には恨まれてはいない、と僕は思う。女性に恨まれるような男は美的にも包容力においても決定的な欠落感があるからだ。凡庸な男は女性との別れ際に必ず煩わしい修羅場を体験するのである。これは凡庸な男の一人として断言できる。その意味でも二人の20世紀の美男子たちは、僕のいまだに憧れの的だ。マルチェロ・マストロヤンニは、老境に達する前にこの世を去った。彼の72歳をこの目で確かめたかった。アラン・ドロンが魅力的な72歳であったように、マルチェロ・マストロヤンニもいかにもイタリア男として成熟した72歳の老年を迎えていただろう、と思う。アラン・ドロンも思えばイタリア男だ。若い頃、有名なシャンソン歌手に見出されて貧しいイタリアの田舎町を捨ててフランス人として映画の世界に入り、フランス人としての歳のとりかたをした。アラン・ドロンの出演した翌週の<SMAP×SMAP>に老境に達したマルチェロ・マストロヤンニが出演してくれていたら、これは見物だった、と想像する。
54歳にもなっていまだに生きていることに退屈する。いつも何かを求めている自分がいる。凡庸な人間はどこまでいっても凡庸なままなのかも知れない。もう淡い希望を持つ年齢ではない。ヘタな人生を送ってきたものだ、と思う。僕はたぶん死の間際まで、己れの退屈感と抗っているような気がする。美と醜の区別をつけるとすると確実に醜の側にいる自分。どこまで行っても退屈感から自由になれぬ偏屈な自分がいる。歳はとりたくない、とよく人は言うが、アラン・ドロンもマルチェロ・マストロヤンニも、たぶん決してそんなことは言うまい、と思う。凡庸な人間として、このブログを書き終えるにあたって、僕は敢えて、歳はとりたくない、と言っておくことにする。それが自分の人生なのだ。諦めるしかない。
○推薦図書「別れの後の静かな午後」 大崎善生著。中公文庫。別れとはじまり、生きることの希望を描いた珠玉の短編集です。僕はあくまで凡庸な人間として、こういう小説が大好きです。凡庸であれ、非凡であれ、楽しめる作品集だ、と思います。