ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○随想(5)

2013-01-08 08:54:43 | 観想
○随想(5)

生きることにまつわる虚しさについての観想をこれまでずいぶんと書き綴ってきたように思う。40代半ばにして、自分の無能さ、つまりは、社会に通用しないという文字通りの無能さに直面して、生き続けることが正直恐ろしくなった。さらに云うなら、自分がその時点に至るまで、どのような思い込み(という以外の表現を使えばウソになる)によって生き続けて来れたのだろうか?という深い疑問と絶望の淵に立たざるを得なかった。教育環境という、あらゆる面において狭隘な価値意識の中で、また教師という身分証明によって、持って生まれた能力以上のことがやれると錯誤しながら、錯誤の上に立った言動を臆面もなくなし続けてきたのが、僕の教師時代の23年間の内実である。これまで、人生の総括と云いながら、僕の書いてきたものの中には、読み返すまでもなく、随分と手前勝手な自己弁護が紛れ込んでいる。いや、紛れ込んでいるというよりも、自己弁護そのものが、僕の生の総括の底流を占めていると言っても過言ではないだろう。

絶望の淵に追い込まれたとき、人は死を怖れることよりも、絶望感にまみれた生を生きることを畏怖するのである。自死に直面し、そこを危うく逃れてからは、僕は呆けたような日々の中に沈潜していたのである。朝、目を醒ましてから、就寝の時刻まで、明確な時間の経過を感じとることが出来ず、使い古された言い方を借りれば、僕は「生きる屍」そのものだった。労働力という意味でも、人の能力という意味でも、人の力を総称して、manpowerと表現するのが妥当だとするなら、僕の裡なるあらゆるpowerは、使い古された中古品の寄せ集めのようなものだった、と思う。

どこをどうもがいたのか、自分でもあまり明確な記憶がないが、気がつけば、今年でこの京都カウンセリングルームを立ち上げて、13年目を迎えるのである。つつがなく一つの仕事を成し遂げた友人たちも今年で定年である。連絡が自然に途絶えてしまった人もおり、連絡くらいはとっていても歳を重ねるごとに疎遠になっていく寂しさを味わった。当初は自分だけが、自分の傲慢さゆえに孤立してしまったか?と自省することばかりであった。しかし、このところ過去の友人たちとポツリポツリと会う機会があって、とりとめもない話をしていると、誰もが多かれ少なかれ、仕事や家庭との距離感を感じながら歳を重ねてきたことが分かる。歳をとっても常に脚光を浴びる人々もいるが、たぶん、彼らにも僕とは比較不能な孤独や絶望を抱えながら生きているのかも知れない。

それにしても、この先こんな自分に何がなし得るのか?カウンセラーとしての存在理由を、カウンセリングという方法論そのものからは逸脱しないにしても、誰もがやるカウンセリングからは逸脱しつつ、それでもクライアントにとって意義ある言葉を投げかけることにそれを見出していく以外に、僕の、少なくともカウンセラーとしての未来も存在意義もない、と確信する。孤独と絶望の底を這いずりまわった人間の言葉には聞くに値することが含まれているかも知れないからである。これが、いま、僕を生き長らえさせている主なファクターである。今日の観想として書き遺す。

京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃


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