○なし得なかったこと?当然覚えがある。だから?
なすべきことをなし得なかったという感覚ほど、人を苦しめるものはない。また同時に、このような想いを抱くのは至極まっとうな気分・感情でもある。人がオノが人生に対して、ある種の苦さを感得するのは、確かに負の感情ではなるにしても、人生にまつわる成功と挫折とに深く繋がっているこの苦味ほど生の実相を物語っているものはない、と僕は想う。
自分が生きてきた道程に対して呪詛したくなる一瞬、一瞬を、ある時はねじ伏せるようにして、また、ある時は、自己憐憫の権化となって、慰撫しつつ、何とか自分の人生に折り合いをつけながら、僕たちは生きているのである。
このように書くと、あたかも僕は自分の人生に見切りをつけて、さっさと人生舞台から降りたいと願っているかのように思われるのだろう。が、実は、いまの僕は自分の裡から、「なし得なかったこと」に対する如何なる憤怒の情も消えかけているのを実感している。人生を達観しているのでは決してない。むしろ、これからが、自分の生のプロセスに、暗黒で予測不能なことがあろうとも、そこに向かって邁進すべき時期に達したという感覚の方が強い時期を迎えているのである。人生を出直すのではない。眼前に広がる生の地平そのものが、未知という魅惑を内包した、新天地への門出だという心境なのである。
もう、過去に起こった背筋が凍るようないくつかの出来事に、僕を深い眠りの中から引きずり出す力はない。過去の体験の蓄積が、いまの自分を支えているというような、ある種の健康・健全志向には辟易させられる。そうではなくて、僕にとっての過去など、もはやどのような意味においても、いまの自分を縛るだけの影響力を失ったということである。それでは、過去から学ぶことを放棄したのか?いいや、そうではない。過去から学んだことに過剰な追憶の感情を付加させないということだ。
いま、僕の前には未来だけが在る。未来が光輝くものであれ、漆黒の暗黒であれ、僕は自分に残された未来へと突き抜けるだけだ。そういう気分がいま、僕を支配している。なんだか、おもしろくなってきた気がするんだ。歳老いても生を楽しむ知恵も権利もあると僕には想えるのだが、どうなんだろうか?
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
なすべきことをなし得なかったという感覚ほど、人を苦しめるものはない。また同時に、このような想いを抱くのは至極まっとうな気分・感情でもある。人がオノが人生に対して、ある種の苦さを感得するのは、確かに負の感情ではなるにしても、人生にまつわる成功と挫折とに深く繋がっているこの苦味ほど生の実相を物語っているものはない、と僕は想う。
自分が生きてきた道程に対して呪詛したくなる一瞬、一瞬を、ある時はねじ伏せるようにして、また、ある時は、自己憐憫の権化となって、慰撫しつつ、何とか自分の人生に折り合いをつけながら、僕たちは生きているのである。
このように書くと、あたかも僕は自分の人生に見切りをつけて、さっさと人生舞台から降りたいと願っているかのように思われるのだろう。が、実は、いまの僕は自分の裡から、「なし得なかったこと」に対する如何なる憤怒の情も消えかけているのを実感している。人生を達観しているのでは決してない。むしろ、これからが、自分の生のプロセスに、暗黒で予測不能なことがあろうとも、そこに向かって邁進すべき時期に達したという感覚の方が強い時期を迎えているのである。人生を出直すのではない。眼前に広がる生の地平そのものが、未知という魅惑を内包した、新天地への門出だという心境なのである。
もう、過去に起こった背筋が凍るようないくつかの出来事に、僕を深い眠りの中から引きずり出す力はない。過去の体験の蓄積が、いまの自分を支えているというような、ある種の健康・健全志向には辟易させられる。そうではなくて、僕にとっての過去など、もはやどのような意味においても、いまの自分を縛るだけの影響力を失ったということである。それでは、過去から学ぶことを放棄したのか?いいや、そうではない。過去から学んだことに過剰な追憶の感情を付加させないということだ。
いま、僕の前には未来だけが在る。未来が光輝くものであれ、漆黒の暗黒であれ、僕は自分に残された未来へと突き抜けるだけだ。そういう気分がいま、僕を支配している。なんだか、おもしろくなってきた気がするんだ。歳老いても生を楽しむ知恵も権利もあると僕には想えるのだが、どうなんだろうか?
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長野安晃