ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

53歳にもなって、とも思うのだが・・・

2007-02-02 01:12:37 | Weblog
この正月に母親と絶縁した、ということはこの場で書いた、と思う。そのことを後悔しているのではない。むしろ、これが自然の成り行きだったのか、とも思っているのである。何が原因だったか、定かではないが、母親が電話で、僕に「唸り倒した」のである。汚らしい言葉で。それが僕の生理的嫌悪感を、昔から彼女に抱いていた嫌悪感を思い出させた。評論家の江藤 淳は母という存在の大きさを作品にまで残し、その存在から抜け出すことの必要性を書いたが、僕にもその意味は少しは理解出来る。幼い頃は人並みに母親のおっぱいを吸い、母親に手をかけてもらって育ったに違いないが、どういう訳か、僕は一度も母親を好きになったことがないのである。
それは中学に入った頃の心の襞に生じた深い疑問になって現れるようになった。親父はどうして、こんな女と結婚したのか? という問いかけであった。僕なら、絶対にこんな人とは一緒になりたくはない、と強く思っていた。別に取り分けて何か軽蔑するようなことはなかったような気もするが、生理的にダメだったのである。
親父が母親の実家から多額の借金をし、その上僕より二歳年下の女性と不倫(当時は不倫という言葉もなかったような気がするが)していた頃も、僕は何故か親父を憎めなかった。たぶん母親にないものをその女性に求めているのだろうか? というような感覚だったと思う。これはしっかりとした記憶である。そのことが原因で母親は親父の胸を包丁で肺にまで達する傷をおわせたのである。神戸の福原という歓楽街での出来事だ。当然母親は警察にひっぱられた。僕は京都の大学へ入って間もない頃だった。急いで親父が入っている病院に行くと厚いビニールに包まれたベットで、脇の下から金属製のチューブを入れられて、肺に入った血液を抜いてもらっているところだった。それは見るも無残な光景だった。あの辛抱強い親父が声を出して痛がっていたのを今でも忘れることが出来ないでいる。
その施術が終わると警察が数人病室に入ってきて、母親を傷害で訴えるか? と問いかけた。実は僕は事前に親父には訴えることをひかえるように諭していたのであった。たぶん、今にして思えば、それは事を荒立てたくない、ということよりも、僕自身の将来に関して新聞ざたにでもなれば、えらいことになるな、というようなとてもエゴイステックな考えが底にあったように思う。それがそもそもの間違いだった、といまでも後悔しているのである。
その次の日に拘留されている母親を僕が引き取りに行って、病院に連れて行ったが、何か不思議な空気を感じたのであった。母親は何故か、何もなかったような雰囲気を漂わせているように感じたのであった。それが僕にはどうしても呑み込めなかった。
親父はその傷のせいで、死ぬまで、咳が止まらなかった。話すたびに咳に悩まされていたのであった。それはそれは、苦しそうに話すのであった。また、その傷がもとで、数年後に親父は結核になって入院した。その頃は両親は結局離婚していた。そして、結核を薬で直して、それは劇薬に相当する薬だったと推察されるが、たぶん、その影響で、親父はまた数年後に今度は肝臓癌に侵されて入院する。京都から何度も見舞いに足を運んだが、結局親父は肝臓癌のために58歳の命を閉じることになった。
それから数年して、僕のところへ母親から別の用事(そのずっと以前から母親とは音信が途絶えていた)で電話があったので、僕としては、かなり気を使いながら、親父が亡くなったことを知らせたのであった。普通なら、ひょっとして、自分の過去の行為が遠因になっていはしまいか、と考えても不思議ではないことである。しかし、その時、母親は素っ頓狂な声をあげただけだったし、むしろ何かの報いで亡くなったのだろう、という雰囲気が嫌というほど伝わってきた。もう僕の憎悪は深まるばかりであった。
しかし母親も70歳を越え、僕も離婚というつらい経験もあったので、僕の再婚を契機に繋がりを戻そう、と親父の亡くなった歳に近くなった僕は思い返したのであった。が、しかし、母親は昔と何ら変わることなく、自分が親父の死の遠因になっているのではないか、という想像すらしていない様子だった。それどころか、自分の苦労話ばかりで、それに反することを言うと、怒り心頭に発したという感じで、「唸り倒した」のであった。僕は、もうこれで終わり、だ、と強く感じた。正月、絶縁状を書き、どちらが先にこの世を去っても葬式にも顔を出さないし、一切の関係性を絶つと宣言したのであった。僕はこれでよかった、と思っている。後悔はしていないし、自己憐憫のかけらもないのが不思議でもある。

〇推薦図書「成熟と喪失」江藤 淳著。講談社文芸文庫。江藤氏は母子密着の日本型文化の中では、母の崩壊なしに「成熟」はあり得ないと論じています。真の近代思想と、日本社会の近代化のずれをするどく指摘している作品です。

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