○あれはいったい、どういう意味だったのだろう?
この頃20代の青年と話をすると、どういうものか無条件に彼らの主張を認めてしまう。知り合った青年が、人生の只なかで悩み、職につけず、宗教に救いを求めている話を聞けば、うん、それもよい、まだまだ若いのだ。今こそ生の真理を追求すればよいではないか! 生活などその後についてくる、と納得してしまう。別の青年が今の仕事に嫌な同僚がおり、職場に行けなくなったと聞けば、そもそもその嫌な中年野郎が悪い、そんな奴のいるところにこだわる必要などないではないか! 別の仕事も考えてみてはどうか、と口にしている。お堅い仕事の試験に二つも受かり、しかしそれを投げ出して、飲食業に身を投じた青年が、30歳までは一つのことにこだわるつもりはない、可能性をいろいろ試したい、と言えば、理由もなく頼もしく思えてくる。そうだ、そのとおりだから、思い切り自分の可能性を試せばいいんだ、と共感してしまう。大学を卒業して、海外の大学に入り直して、それこそ地球規模で働くんだ、という青年には、それこそが若さというものだ、オレにはそんな真似はできもしなかった。うらやましい限りだ。君の可能性は無限だ、と率直に思う。一流大学に入ってからなぜか大学の講義に出られない青年がいて、その理由を聞くと、自分にはなかった純粋な考え方をしていて、その場で身動きがとれなくなっている。それはそれでいいのではないか? 必ず君の疑問の答が胸に落ちる瞬間がある。それまで悩むだけ悩めばいいではないか。それが考える能力をもった人間の強さに繋がるんだから、と心底思う。
もう取り返しのつかない年齢になって、可能性という言葉が最も似合わなくなった自分から見ると、青年たちの悩みはそれぞれ重いが、それでも一生懸命だ、と感心させられてしまう。そしてその姿が美しくもある。自分が青年の頃、彼らのように純粋に悩みはしなかった。生活が成り立たなかった大学時代を何とか生き延びて、ただただ食えればそれでいいとよく考えもせず、教師という生業についた。結局失敗した。いろいろ理屈をつけてはいるが、結局は、青年の頃にもっと悩み、その果てに行き着いた結論であれば、たぶん私学の教師にはならなかっただろう、といまにして思う。宗教などにあれほど抗う自分の姿が想像できなかった。しかしよく考えて見れば、自分が筋金入りの無神論者でアナーキストである、という根底にある思想性を、食うために一旦ドブに捨てた。ドブに捨てたものだって、筋金が入っていれば、腐りはしない。いつかは泥の底からであっても太陽の光を受けて反射光を放つときが来る。僕の人生の失敗は、己れの思想の本質を裏切ったことだ。人生の失敗は当然の結果だ、と思う。だからこそ青年の苦悩を僕は決してオトナという視点で軽く見たり、割り切らせたりは絶対にしない。青年の頃の苦悩は、そのままに生の養分になる。これは間違いなく後年光輝くものだ。だから苦悩に妙な妥協などするものではない。中途半端に割り切ると手痛いワリを食らう。自分の人生で証明済みなのだ。青年よ、苦悩せよ!納得できない道に迷い込むな!
繰り返しになるが、自分の人生は失敗作だった、と認める。たぶん教師時代の僕であれば、苦悩に身を浸している青年諸氏に対して一々反論し、説得し、論破することだけを考えたことだろう。想えば、僕はそんな厭味な中年だった。人生の真っ盛りに青年の頃に自分の本質を誤魔化した化けの皮が少しずつ剥がれてきた。醜悪な中年だった、と思う。一方で自分の生活を合理化しようとし、その一方で合理化しようとする自分に腹を立てていた。矛盾だらけの中年男がそれなりの理屈を捏ねだしたら、それはそれでなにほどかの力がある。たぶん僕は捏造した生活理論を自分の二人の息子たちに無言の圧力で、押しつけてきたのだろう。説得も説教もした覚えはないが、自分が発する無言の弾圧の空気を二人の息子は敏感に感じとっていたはずである。苦悩する青年たちの向こうに自分の息子たちの姿が視えるような気がする。僕は息子たちの年齢の頃、やはり両親は離婚していたが、父には会っていた。無理なことを言う父だったが、無責任さから来るものなのか、敢えてそうしていたのか分からぬが、ともかく威圧感というものを感じさせない男だった。父と交わす少ない言葉、汲み交わす酒、火をつけあう煙草、お互いの体から吐き出される煙草の煙が空気中で交差する。父から得ていたものは、絶対的な安心感だった、と思う。離婚して二人の息子たちはそれぞれに成人しているはずだ。彼らは、僕がかつて経験したような安堵感を父親に感じることなく、息せき切って生きているような気がする。自分の無能さをつくづく感じる。連絡をとろうとすれば出来るはずなのだ。しかし彼らは僕を見限った。順当な結果だ、と猛省する。
もう家庭崩壊寸前のときに当時高校3年生だった下の息子が、「親父が70歳くらいになったら、そのときはきちんと話をつけに行くからな!」と言った。何の脈絡もなく。あの言葉はいったい何を意味しているのだろうか? 自分が70歳まで生きているとは到底思えない。息子の話は聞けないまま僕はこの世界から消えていくことになるのだろうか? どんな話をつけに来るのか聞いてみたい、と心底思う。父親として。いや、ひとりの死にゆく老人として。
○推薦図書「君たちに明日はない」 垣根涼介著 新潮社刊。リストラ請負人としての主人公の青年とリストラされていく人間たちの哀しくも切ない物語ですが、垣根の持味はやはり人に対する優しい視点です。僕の二人の息子たちもこんな厳しい世の中に生きているのでしょう。生き抜いてほしい、とこの書を読みながら願うばかりでした。
京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃
この頃20代の青年と話をすると、どういうものか無条件に彼らの主張を認めてしまう。知り合った青年が、人生の只なかで悩み、職につけず、宗教に救いを求めている話を聞けば、うん、それもよい、まだまだ若いのだ。今こそ生の真理を追求すればよいではないか! 生活などその後についてくる、と納得してしまう。別の青年が今の仕事に嫌な同僚がおり、職場に行けなくなったと聞けば、そもそもその嫌な中年野郎が悪い、そんな奴のいるところにこだわる必要などないではないか! 別の仕事も考えてみてはどうか、と口にしている。お堅い仕事の試験に二つも受かり、しかしそれを投げ出して、飲食業に身を投じた青年が、30歳までは一つのことにこだわるつもりはない、可能性をいろいろ試したい、と言えば、理由もなく頼もしく思えてくる。そうだ、そのとおりだから、思い切り自分の可能性を試せばいいんだ、と共感してしまう。大学を卒業して、海外の大学に入り直して、それこそ地球規模で働くんだ、という青年には、それこそが若さというものだ、オレにはそんな真似はできもしなかった。うらやましい限りだ。君の可能性は無限だ、と率直に思う。一流大学に入ってからなぜか大学の講義に出られない青年がいて、その理由を聞くと、自分にはなかった純粋な考え方をしていて、その場で身動きがとれなくなっている。それはそれでいいのではないか? 必ず君の疑問の答が胸に落ちる瞬間がある。それまで悩むだけ悩めばいいではないか。それが考える能力をもった人間の強さに繋がるんだから、と心底思う。
もう取り返しのつかない年齢になって、可能性という言葉が最も似合わなくなった自分から見ると、青年たちの悩みはそれぞれ重いが、それでも一生懸命だ、と感心させられてしまう。そしてその姿が美しくもある。自分が青年の頃、彼らのように純粋に悩みはしなかった。生活が成り立たなかった大学時代を何とか生き延びて、ただただ食えればそれでいいとよく考えもせず、教師という生業についた。結局失敗した。いろいろ理屈をつけてはいるが、結局は、青年の頃にもっと悩み、その果てに行き着いた結論であれば、たぶん私学の教師にはならなかっただろう、といまにして思う。宗教などにあれほど抗う自分の姿が想像できなかった。しかしよく考えて見れば、自分が筋金入りの無神論者でアナーキストである、という根底にある思想性を、食うために一旦ドブに捨てた。ドブに捨てたものだって、筋金が入っていれば、腐りはしない。いつかは泥の底からであっても太陽の光を受けて反射光を放つときが来る。僕の人生の失敗は、己れの思想の本質を裏切ったことだ。人生の失敗は当然の結果だ、と思う。だからこそ青年の苦悩を僕は決してオトナという視点で軽く見たり、割り切らせたりは絶対にしない。青年の頃の苦悩は、そのままに生の養分になる。これは間違いなく後年光輝くものだ。だから苦悩に妙な妥協などするものではない。中途半端に割り切ると手痛いワリを食らう。自分の人生で証明済みなのだ。青年よ、苦悩せよ!納得できない道に迷い込むな!
繰り返しになるが、自分の人生は失敗作だった、と認める。たぶん教師時代の僕であれば、苦悩に身を浸している青年諸氏に対して一々反論し、説得し、論破することだけを考えたことだろう。想えば、僕はそんな厭味な中年だった。人生の真っ盛りに青年の頃に自分の本質を誤魔化した化けの皮が少しずつ剥がれてきた。醜悪な中年だった、と思う。一方で自分の生活を合理化しようとし、その一方で合理化しようとする自分に腹を立てていた。矛盾だらけの中年男がそれなりの理屈を捏ねだしたら、それはそれでなにほどかの力がある。たぶん僕は捏造した生活理論を自分の二人の息子たちに無言の圧力で、押しつけてきたのだろう。説得も説教もした覚えはないが、自分が発する無言の弾圧の空気を二人の息子は敏感に感じとっていたはずである。苦悩する青年たちの向こうに自分の息子たちの姿が視えるような気がする。僕は息子たちの年齢の頃、やはり両親は離婚していたが、父には会っていた。無理なことを言う父だったが、無責任さから来るものなのか、敢えてそうしていたのか分からぬが、ともかく威圧感というものを感じさせない男だった。父と交わす少ない言葉、汲み交わす酒、火をつけあう煙草、お互いの体から吐き出される煙草の煙が空気中で交差する。父から得ていたものは、絶対的な安心感だった、と思う。離婚して二人の息子たちはそれぞれに成人しているはずだ。彼らは、僕がかつて経験したような安堵感を父親に感じることなく、息せき切って生きているような気がする。自分の無能さをつくづく感じる。連絡をとろうとすれば出来るはずなのだ。しかし彼らは僕を見限った。順当な結果だ、と猛省する。
もう家庭崩壊寸前のときに当時高校3年生だった下の息子が、「親父が70歳くらいになったら、そのときはきちんと話をつけに行くからな!」と言った。何の脈絡もなく。あの言葉はいったい何を意味しているのだろうか? 自分が70歳まで生きているとは到底思えない。息子の話は聞けないまま僕はこの世界から消えていくことになるのだろうか? どんな話をつけに来るのか聞いてみたい、と心底思う。父親として。いや、ひとりの死にゆく老人として。
○推薦図書「君たちに明日はない」 垣根涼介著 新潮社刊。リストラ請負人としての主人公の青年とリストラされていく人間たちの哀しくも切ない物語ですが、垣根の持味はやはり人に対する優しい視点です。僕の二人の息子たちもこんな厳しい世の中に生きているのでしょう。生き抜いてほしい、とこの書を読みながら願うばかりでした。
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文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃