「西行法師の心象風景」
日本文化の特徴として「数奇」という言葉があります。ものの執着をあえて「好きもの」として徹底し何かに執着する態度に一転して美を見出すことが日本において古き時代から使われてきました。その例が西行法師にみられます。西行はもともと上皇の身辺警護の武士でしたが、武士の身分を捨て、望んで出家遁世してしまうのです。決まったコースから和歌の道にはいり遊びの道を選んで「あわれ」や「あっぱれ」の感情を歌に詠むようになりました。これを「数奇の遁世」といいます。出家して世を捨てそのうえで好きなことに徹していくのです。仏道に入るのですが僧侶として生きるのではなく「数奇の心」に遊ぶことを選ぶ。それは武家や僧侶からみればまさに「荒ぶ」ことですが西行にとっては「遊ぶ」ことであったのです。西行の詠んだ歌百人一首のなかに
「なげけとて月やはものをおもはするかこち顔なるわがなみだかな」
◎嘆き悲しめと月は私に物思いをさせるだろうか、いやそうではあるまい本当は恋の悩みのためなのに、まるで月の仕業であるかのように流れる私の涙ではないか。 西行法師さん、なかなかやりおるは・・・
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