初めての共演は『花になりて散らばや』という樋口一葉を題材にした作品。
私は入団して2年目の2000年。
好き勝手生きて母にお金をせびりに来るバカ息子が私で、その母親がトッポさん。
平手打ちを食らうシーンがあるのだけど、稽古で初めて食らった時、掌の硬い所が顎に入ってクラクラしたのを思い出す。
トッポさんというのは腰越夏水さんの愛称。
ご本人曰く、若いころトッポジージョのモノマネをしていたところトッポというあだ名になったそうだ。
とっぽいからでは決してない。
それからというものの劇団では私の母親のような存在であり、飲み仲間でもあり、苦楽を共にした先輩でもあり、私の恩人でもある。
私の若かりし頃はお金に困りながら必死に芝居をしていて(今も変わらないか(笑))そんな私をよく飲みに連れていってくれていた。
ある時(2003年ころ)私がケガをしてしまい精神的にも落ち込んでいる時にトッポさんは、お金が必要なら振り込むからと3ヶ月くらい援助をしてくださった。
勿論断ったけどもトッポさんは振り込んでくださった。
そして「なんぽちゃん辞めないでね」と愛情をかけてくださる。
もしあの時(いや終始)トッポさんの愛情がなければ劇団を辞めていたかもしれない…
それから様々な芝居を一緒に創り、何度か母と息子を演じた。
先日、今年の3月くらい、トッポさんの声が聴きたくて電話した。
元気だった。
「もう舞台はできないね」と仰っていたが、そんなことないんじゃないかと思っていた。
改めて「トッポさんのターニングポイントとなる作品ってなんですか?」と聞いてみたら、
「ナースチャ!というかベリャさん!」と即答だった。
「『ロミオ&ジュリエット』の婆や役もそうだけど、やっぱり『どん底』でワシリーサに抜擢してくれたことは大きな転機となった」と
そして「やっぱり何と言ってもナースチャ!」
トッポさんはベリャコーヴィッチ演出『どん底』1999年&2001年&2004年(ロシア公演)でワシリーサ役をやっていた。
ベリャさんの激しい稽古を乗り越えトッポさんのワシリーサを見事に表現していた。
2004年のロシア公演では相手役のペーペルはロシア人ナウモフで、対等にやり合う姿が頼もしかった。(私はタタール人役)
そして2009年『どん底』が念願の九州を巡演する。
その時トッポさんはワシリーサではなくナースチャという役に変更。
そう、これがターニングポイントと仰ったナースチャだ。
まず役が変わったということでご自身の中で様々な感情を抱き、そしてナースチャという酔っぱらいで妄想好きの娼婦役に苦闘していた。
ベリャさんの怒号が飛ぶ(みんなに飛ぶのだが)
その時のトッポさんの感情はぐちゃぐちゃだったのだろう…
そして舞台稽古の最中ベリャさんが「トッポ来い」と、
そしてトッポさんの髪の毛をグシャグシャにして「これがナースチャだ」
「トッポはまだワシリーサを引きずっている、ナースチャになれ!」
「そこから吹っ切れてナースチャになれたんだ」と、
今までも何度か仰っていたが、その時の電話でもまた話してくれた。
よほどトッポさんの中で大きな出来事だったのだろうし、ベリャさんへの感謝の想いが溢れていた。
それからのトッポさんの活躍は目を見張るものがある。
2016年ころ制作の横川さんが言っていたが(横川さんはトッポさんと同い年)
「今トッポは役者としていい時期を迎えている、ある勢いがある」と。
ホントにそう思う。
『検察官』では全国を巡演し、市長の妻役で物語の終盤には毎回爆笑をかっさらい、
『臨時病室』では田舎のたくましいお母さん劉大香 役を生き生きと演じて感動を生んだ(物凄く素敵だった!)
その他上げたらキリがないが、もともと役者として凄い存在感のあるトッポさんが、あの2009年以降からは更なる輝きを放ちその存在感は際立っていた。
『ハムレット』では私は日々プレッシャーと疲労との闘いで全国を巡演していたのだが、トッポさんの優しさには何度も何度も救われた。
ストレスがたまってしんどくなるとトッポさんに甘えてご飯を食べに行き、
「大丈夫だよ、美味しいもの食べて、エイヤってやればいいんだよ」と労ってくださる。
私は本当にトッポさんに甘えていた。
トッポさんはお酒が好き。
酔っぱらうと「ここどこ?」となる(笑)
旅先でもよく飲んでいた。
ある旅先で一緒に飲んでいた時、私が「トッポさんはいい役者人生を歩んでいますよね」と言ったことがある。
私が劇団に入団した(1999年)少し前、劇団員が軒並み辞めていった時期がある。
当時の看板役者、実力ある役者、制作者、演出家が次々…
そんな中、トッポさんは残った。
色々悩まれたと思う。
でも芝居がしたいと思って残った。
そして劇団を支えた。
それから2009年の『どん底』から劇団は大きな流れを作り、『ハムレット』『検察官』で全国各地を巡り、東京公演では様々な芝居に挑戦し、合同公演や新劇交流プロジェクトなど新しい風を生んだ。
その中に常にトッポさんはいた。
芝居で全国を旅して、各地で拍手をいただき、土地の美味しいものを食べ飲み、語り、幸せな時間を過ごし、そして評判になった芝居を創り出した。
それはあの時トッポさんが辞めずに、トッポさんの力で勝ち取った役者として至福の時間だ。
だからこそトッポさんの判断、劇団を支えた力は、多幸な役者人生を生んだのだ。
一昨年2019年の私企画『紙屋悦子の青春』では療養中の中、出演してくださった。
トッポさんにやってもらいたかった。
トッポさんと一緒に芝居がしたかった。
そしてトッポさんも芝居がしたかった。
稽古中、若い子たちに「こんないい役2度と巡ってこないよ、もっともっとやらなきゃ」とエールを送ってくださった。
やれて良かった…
昨年2020年最後の舞台では、病院に入院し元気なのだけど死を待つ患者役だった。
出て来た瞬間、本物が出て来た。
役者は自分の人生をさらけ出して感動を生むのだ、ということを教えてくれた。
素敵だった。
トッポさんとの21年の冒険は私にとって宝です。
呑みたいよトッポさん。
劇団のこと芝居のことを語りたいよ。
劇団を支え、私は甘えて、芸をして笑わせ、泡を飲んで語り、家族を守り、劇団を守り、最後まで芝居をして、
本当に素晴らしかった❗
南保大樹
『フィラデルフィアへやって来た』
『どん底』ナースチャ
『どん底』ナースチャ
『どん底』の旅中ロシアとテレビ電話
『いちゃりば兄弟』
『いちゃりば兄弟』
『兄弟』
『兄弟』
『検察官』
『検察官』