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【霊告月記】第七十二回 九鬼周造の偶然論

2021年11月01日 10時00分00秒 | 霊告月記71~75

【霊告月記】第七十二回   九鬼周造の偶然論

                       

九鬼は何度も偶然性について書いたり語ったりしています。帰国後すぐに大谷大学で偶然性について講演したのを手始めに、大学での講座での講義録が残っていますし、博士論文も偶然性をテーマにしています。そして集大成的な『偶然性の問題』を著しました。九鬼の「短歌ノート」にはこの書にことよせて三首の歌が残されています。

『偶然性の問題』を著して
●わくら葉のものの「はずみ」をかたくなの論理に問ひて一巻をなす
●偶然論ものしおはりて妻にいふいのち死ぬとも悔ひ心なし
●一巻にわが半生はこもれども繙く人の幾たりあらむ

『偶然性の問題』はここで九鬼が言う通り極めて抽象的で形而上的な議論が展開されておりとても難しいのですが、九鬼が一般向けに語ったラジオ講演「偶然と運命」は比較的分かりやすい内容です。「偶然と運命」は昭和十二年一月二十三日午後六時二十五分から三十分間行ったラジオ講演です。

九鬼によれば偶然性には三つの性質があります。第一に何か有ることも無いこともできるやうなものが偶然である。第二に何かと何かとが遇ふことが偶然である。第三に何か稀れにしかないことが偶然である。さうして人間の生存に至大な意味を有つてくる偶然を特に運命と呼ぶ、と九鬼は言っています。第一の性質の例。サイコロを墨壺に落としてから振れば必然的に黒の面が出る。白が出るのは不可能です。六の面を持つサイコロを振って、三の面が出たら、それは有ることも無いこともできるものがたまたま出たのであって、それが偶然です。第二に何かと何かとが遇ふということが偶然の持つ性質です。たとえば病人の見舞に行くとして、その病人に遇ふことは偶然ではない。わざわざ遇ひに行つたのですから偶然ではない。然しそこへ見舞に来合はせた誰それに、思ひがけず遇ふことは偶然です。その人に遇ふといふことには何等の必然性がない。遇つたとすればそれは偶然です。すなはち必ず遇ふにきまつていない、遇ふことも遇はないこともできるやうな遇ひ方をするのが偶然です。第三の性質の例。「わくらば」という万葉時代からある古い言葉があります。「わくら葉」は「病葉」と書く場合もあれば、「邂逅」と書いて「わくらば」と読ませるケースもあります。夏の青葉にまじって赤や黄に変色しているめったにない葉を「わくら葉」というのですが、めったにない稀なケースなので「病葉」とか「邂逅」とか表記されるわけです。偶然といふことは稀れな場合に特に浮き出て来て目にとまる。稀れな場合といふのは可能性の少ない場合です。可能的ではあるけれども不可能に近いやうなことが、どうかした「はずみ」で実現された場合に偶然が特に鋭く目立つて来て認識され易い。さて、人間の生存に至大な意味を有ってくる偶然を特に運命と呼ぶわけですが、運命について九鬼はこんな例をもって説明しています。引用です。

「私共はアメリ力人でもフランス人でもエチオピア人でも印度人でも支那人でもその他のどこの国の者でもあり得たと考えられるのであります。我々が日本人であるといふことは我々の運命であります。蟲にも生れず鳥にも生れず獣にも生れず人間に生れたといふことも我々の運命であります。人間に生れるといふ賽ころの目がヒョッコリ出たのであります。日本人に生れるといふ賓ころの目がヒョッコリ出たのであります。三つ口に生れついた者、せむしに生れついた者にとつてはさういふ賽の目が出たのであります。

ニイチェの 『ツァラトゥストラ』 の中にかういふ話があります。 ツァラトゥストラが或日、大きい橋を渡つてゐいたところが、片輪だの乞食だのがとりまいて来た。その中にひとりせむしがゐてツァラトゥストラに向つて、だいぶ大勢の人があなたの教えを信じるやうになつては来たが、また皆とは行かない。それにはーつ大切なことがある。それは先づ私共のやうな片輪までも説きふせなくてはだめだと云つたのであります。それに封してツァラトウストラは 「意志が救ひを齎す」 といふことを教えたのであります。せむしに生れついたのは運命であるが意志がその運命から救ひ出すのであります。「せむしに生れることを自分は欲する」 といふ形で 「意志が引返して意志する」 といふことが自らを救ふ道であることを教えたのであります。このツァラトウストラの教えは偶然なり運命なりにいはば活を入れる秘訣であります。人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それが人生の第一歩でなければならないと私は考へるのであります」。

このラジオ講演には後日譚がありまして、九鬼は短歌ノートにその際のできごとを短歌連作に残しています。九鬼の繊細な心が感じ取れると共に九鬼の文学的表現力も明かしてくれる印象深い歌です。

・ラヂオにてわが講演を聞きしとか訪ひ来し乙女子未知の乙女子

・うるはしき見目の乙女よ「運命」といふ題の話の何に感ぜし

・貧しくて女学校へも行かざりし運命をなげく十九の乙女

・昼も夜も刺繍をさして世過ぎする雇ひ女なりとみづからをいふ

・勉強がしたかりしとて聲くもらす乙女の前にわれ力なし

・面曾が叶ひし上は他に望みあるにあらずと立ち去らむとす

・人間の生きの苦しみしみじみとわれに思はせて乙女は去りぬ

★偶然 -- 蔡琴 演唱 徐志摩 詩詞

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【霊告月記】第七十一回 九鬼周造とサルトル

2021年10月01日 10時00分00秒 | 霊告月記71~75

【霊告月記】第七十一回 九鬼周造とサルトル

九鬼周造のプロフィールを2021年1月2日付でツイッターに掲載しましたので、まずそれから引用します。

「九鬼周造とは何者か?→九鬼はリッケルト・フッサール・ハイデッガー・ベルクソン・サルトル等から直接に学び西欧現代哲学を摂取した上で、偶然論という哲学の根本問題を解明したのみならず、日本文化の根本理念を世界的視野で闡明した20世紀日本を代表する哲学者です」。

→これは私が今年1月の時点で抱いた九鬼周造の原イメージです。現時点でもこのイメージに基本的な変化はありません。

     
             若き日のサルトル

Q:九鬼周造とサルトルは面識があったのですか?

A:九鬼がフランスへ留学した時に担当教授にフランス語の家庭教師の紹介を依頼しました。その時にやってきたのがサルトルでした。サルトルがまだ学部の学生の頃です。約半年ほどの期間九鬼とサルトルは交渉があったことになります。サルトルが来日した際に九鬼にはフランス哲学の歴史を教えたのだと言っています。いっぽう九鬼はサルトルにハイデッガーの哲学を教授しました。後にサルトルは九鬼の紹介状を持参してハイデッガーに面会しています。九鬼は偶然性の哲学をサルトルに伝えたことは確実です。偶然性こそ実存主義の要をなすアイデアです。

映画「サルトルー自身を語る」の録音テープを文字起こしたものが書籍になって出ていますが、その中でサルトルの思想のエッセンスと思われる文言が引用されています。誰かの手によって次の文章が書き写されます。
根源的であるとは、必然性も弁明も理由もなくそこにあるということだ。それは実存する権利なしに実存するということだ」。

さらにサルトルの小説の代表作である『嘔吐』において、サルトルは主人公ロカンタンの口を借りこの偶然性の発見の瞬間すなわち実存主義の生誕の光景をみごとに語っています。

実存するものはすべて理由なく生まれ、弱さから生きのび、たまたま死んでいくのだ。大事なのは、偶然性ということだ。つまり実存は定義上、必然性ではないということ。実存するとは、そこにあるということだ。ただ単に。実存するものは出現し、邂逅させられるが、これを演繹することはできない。すべては無償なのだ、この庭も、この街も、わたし自身も、そういうことをふと理解してしまうと、胸がむかむかし、一切のものが漂い始めるのだ。わたしは、ベンチの上でぼおっとしていた、起源のないものどもの充満に茫然とし、圧倒されて、いたるところに孵化があり、開花があり、わたしの耳は実存でぶんぶんうなり、わたしの肉体自身、ひくひくと痙攣し、口を開き、宇宙のぶんぶんとしたざわめきに身を委ねていた。
(ジャン‐ポール・サルトル著『嘔吐』 鈴木道彦訳)

九鬼周造文庫には九鬼とサルトルの交渉を記録したノートも残されています。これら諸資料を踏まえ諸状況を勘案するならばサルトルの実存主義の生みの親は九鬼周造であったかもしれないという推測も成り立ちます。アメリカで九鬼とサルトルの関係を取り扱った書物も出されているそうです。

Q:九鬼周造文庫とは何ですか? その中のサルトルとの交渉を記録したノートとは?
A:死期を悟った九鬼はドイツ留学時代からの親友である天野貞祐に自分の原稿やノート・蔵書など一切を預けました。この資料を天野は甲南高校(後の甲南大学)に委託。甲南大学はこの資料を整理し九鬼周造文庫として管理運営しています。九鬼の原稿やノート等諸資料はネットで公開されています。語句検索「九鬼周造文庫」で検索可能です。サルトルの記録は「九鬼周造文庫 1.ノート 4.フランス留学中のノート サルトル氏」をご参照ください(但しフランス語)。

 サルトル『嘔吐』に出てくる曲「Some Of These Days」


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【霊告月記】第七十回 必殺の呪文「コロナ、来るな! 」

2021年09月01日 10時00分00秒 | 霊告月記66~70
【霊告月記】第七十回 必殺の呪文「コロナ、来るな!」

昨年の1月頃、コロナの蔓延が予測されるにあたって、必殺の呪文「コロナ、来るな!」唱えたのだが、私の霊能力が不足していたのかそれともまったくなかったのか知らないが、効果がまるでなかった。いまはコロナ禍で外出もままならず鬱屈の日々を過ごしております。新しい文章を書く気力も起こらないので以前フェイスブックに掲載したわりと評判が良かった記事を転載します。題して「兄と妹」。

◆兄と妹




私は自立心が強い性格だ。それはいちおう長所なのだろうけれども、言動が独断的に流れやすい。自立心の暴走を制御する心的装置が微弱なのが自分の弱点だと認識している。
 
男ばかりの四人兄弟の次男であり、両親とも心やさしく寛容な性格だったので、自分を縛るものは家族環境の中にはなにも存在しなかった。胎児・乳幼児・少年時代を通じて小皇帝として育った。その心性がいまに通じているわけだ。
 
だから、もし自分で好きな家族環境を選べるなら妹がほしかったと思う。妹がもしいたら自分の自立心を少しくらい損ねてもいいと思うだろう。もっと人間として幅のある性質を獲ち得たのではないかと思うのだ。
 
おそらく妹がいる男性はこんな省察を読んでも、何のことやら意味が分からない、妹がいるけどそれがどうしたと思うかもしれない。

しかし、それは妹がいることが自然状態になっているからで、もし妹がいなかったら、どれほど自分の人生が貧しいものになっただろうかを想像してみたことがないということに尽きるのではないか。
 
ま、そんなことはどうでもいい。兄と妹が並んで立っている一枚の写真からひきだした省察を述べてみただけだ。お兄ちゃんがいるから幸せ、妹がいるから兄としての幸福がある。そういう感情がこの写真のなかに鮮烈に流れている。

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【霊告月記】第六十九回  ジャン・ジャック・ルソー作曲「村の占い師」

2021年08月01日 10時00分00秒 | 霊告月記66~70

【霊告月記】第六十九回  ジャン・ジャック・ルソー作曲「村の占い師」

        

2年少し前の2019年1月の私のブログに「世界思想の獲得に向けて一路邁進!」という記事を投稿した。世界思想の獲得を目標とする以上、近代における全体的知識人の嚆矢としてのジャン・ジャック・ルソーの思想の理解は欠かせない。しかし高峰であるルソーを征服するには、登頂ルートの入念な準備が必要である。どこから登るべきか? 

全体的知識人という概念が成立するには、思想的完成度と共に、その前提的条件として、彼(や彼女)が、どのような文学的センスを有しているかどうか。そのセンスの内実が問われるであろう。ルソーの文学的センスをまずもって直観的に把握する必要がある。

ルソーという高峰に登るもっとも適切な入り口はどこからか? それは彼の処女作ともみなしてよい歌劇「村の占い師」を聴くことから始めるのが適切であろう。「村の占い師」から「社会契約論」へ。これが私の設定した高峰ルソーの正しい登頂ルートである。

それでは、皆さま。ジャン・ジャック・ルソー作曲「村の占い師」の貴重映像をお楽しみ下さい♬♬♬

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【霊告月記】第六十八回  向田邦子の恋文

2021年07月01日 10時00分00秒 | 霊告月記66~70

【霊告月記】第六十八回  向田邦子の恋文

    向田邦子 (1929-1981)           

衛星放送のスカパーで高倉健主演・向田邦子原作の映画「あ・うん」が放映されたので録画しておいて鑑賞した。「あ・うん」は映画賞を総なめにした傑作で何よりも原作のすばらしさが心に残った。向田邦子という人は人間としての気品が際立っていると感じられた。

ユーチューブで「向田邦子」と検索すると数多くのテレビドラマがヒットするのだが、その中で「没後20年 向田邦子が秘めたもの」というドキュメンタリーを見ることができる。向田邦子が家族にも秘した恋文をメインテーマにしたその番組を見て、向田邦子の才能の秘密が分かったような気がした。秘する恋。心の奥底で演じられたドラマを向田邦子はその人生の終局まで「沈黙」し、その沈黙をドラマのかたちでフィクションとして再現した。そこに人は究極のリアリティを感じるのである。

向田邦子原作のドラマを観るとき我々はいいようのないノスタルジア(郷愁)を覚える。ノスタルジアは一種の病気ではあるが避けようもない人間的な病気である。このようにして向田邦子に病みつきになってしまった今日この頃のわたしである。

さて、下はツールゲーネフの小説『初恋』からの引用だが、ノスタルジアとはいかなるものか。雄弁に語って飽きないと思う。人生の秘密を開示していると言えるのではあるまいか?

ああ、青春よ! 青春よ! お前はどんなことにも、かかずらわない。お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、ひとりめにしているかのようだ。憂愁ゆうしゅうでさえ、お前にとってはなぐさめだ。悲哀ひあいでさえ、お前には似つかわしい。お前は思い上がって傲慢ごうまんで、「われは、ひとり生きる――まあ見ているがいい!」などと言うけれど、その言葉のはしから、お前の日々はかけり去って、あとかたもなく帳じりもなく、消えていってしまうのだ。さながら、日なたのろうのように、雪のように。……ひょっとすると、お前の魅力みりょくの秘密はつまるところ、一切を成しうることにあるのではなくて、一切を成しうると考えることができるところに、あるのかもしれない。ありあまる力を、ほかにどうにも使いようがないので、ただ風のまにまにき散らしてしまうところに、あるのかもしれない。我々の一人々々が、大まじめで自分を放蕩者ほうとうものと思いんで、「ああ、もし無駄むだに時を浪費ろうひさえしなかったら、えらいことができたのになあ!」と、立派な口をきく資格があるものと、大まじめで信じているところに、あるのかもしれない。
 さて、わたしもそうだったのだ。……ほんのつかたち現われたわたしの初恋はつこいのまぼろしを、溜息ためいき一吐ひとつき、うら悲しい感触かんしょく一息吹ひといぶきをもって、見送るか見送らないかのあのころは、わたしはなんという希望に満ちていただろう! 何を待ちもうけていたことだろう! なんという豊かな未来を、心に描いていたことだろう!
 しかも、わたしの期待したことのなかで、いったい何が実現しただろうか? 今、わたしの人生に夕べのかげがすでにし始めた時になってみると、あのみるみるうちに過ぎてしまった朝まだきの春の雷雨らいうの思い出ほどに、すがすがしくもなつかしいものが、ほかに何か残っているだろうか?

ドキュメンタリー番組「没後20年 向田邦子が秘めたもの」

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