【霊告月記】第七十二回 九鬼周造の偶然論
九鬼は何度も偶然性について書いたり語ったりしています。帰国後すぐに大谷大学で偶然性について講演したのを手始めに、大学での講座での講義録が残っていますし、博士論文も偶然性をテーマにしています。そして集大成的な『偶然性の問題』を著しました。九鬼の「短歌ノート」にはこの書にことよせて三首の歌が残されています。
『偶然性の問題』を著して
●わくら葉のものの「はずみ」をかたくなの論理に問ひて一巻をなす
●偶然論ものしおはりて妻にいふいのち死ぬとも悔ひ心なし
●一巻にわが半生はこもれども繙く人の幾たりあらむ
『偶然性の問題』はここで九鬼が言う通り極めて抽象的で形而上的な議論が展開されておりとても難しいのですが、九鬼が一般向けに語ったラジオ講演「偶然と運命」は比較的分かりやすい内容です。「偶然と運命」は昭和十二年一月二十三日午後六時二十五分から三十分間行ったラジオ講演です。
九鬼によれば偶然性には三つの性質があります。第一に何か有ることも無いこともできるやうなものが偶然である。第二に何かと何かとが遇ふことが偶然である。第三に何か稀れにしかないことが偶然である。さうして人間の生存に至大な意味を有つてくる偶然を特に運命と呼ぶ、と九鬼は言っています。第一の性質の例。サイコロを墨壺に落としてから振れば必然的に黒の面が出る。白が出るのは不可能です。六の面を持つサイコロを振って、三の面が出たら、それは有ることも無いこともできるものがたまたま出たのであって、それが偶然です。第二に何かと何かとが遇ふということが偶然の持つ性質です。たとえば病人の見舞に行くとして、その病人に遇ふことは偶然ではない。わざわざ遇ひに行つたのですから偶然ではない。然しそこへ見舞に来合はせた誰それに、思ひがけず遇ふことは偶然です。その人に遇ふといふことには何等の必然性がない。遇つたとすればそれは偶然です。すなはち必ず遇ふにきまつていない、遇ふことも遇はないこともできるやうな遇ひ方をするのが偶然です。第三の性質の例。「わくらば」という万葉時代からある古い言葉があります。「わくら葉」は「病葉」と書く場合もあれば、「邂逅」と書いて「わくらば」と読ませるケースもあります。夏の青葉にまじって赤や黄に変色しているめったにない葉を「わくら葉」というのですが、めったにない稀なケースなので「病葉」とか「邂逅」とか表記されるわけです。偶然といふことは稀れな場合に特に浮き出て来て目にとまる。稀れな場合といふのは可能性の少ない場合です。可能的ではあるけれども不可能に近いやうなことが、どうかした「はずみ」で実現された場合に偶然が特に鋭く目立つて来て認識され易い。さて、人間の生存に至大な意味を有ってくる偶然を特に運命と呼ぶわけですが、運命について九鬼はこんな例をもって説明しています。引用です。
「私共はアメリ力人でもフランス人でもエチオピア人でも印度人でも支那人でもその他のどこの国の者でもあり得たと考えられるのであります。我々が日本人であるといふことは我々の運命であります。蟲にも生れず鳥にも生れず獣にも生れず人間に生れたといふことも我々の運命であります。人間に生れるといふ賽ころの目がヒョッコリ出たのであります。日本人に生れるといふ賓ころの目がヒョッコリ出たのであります。三つ口に生れついた者、せむしに生れついた者にとつてはさういふ賽の目が出たのであります。
ニイチェの 『ツァラトゥストラ』 の中にかういふ話があります。 ツァラトゥストラが或日、大きい橋を渡つてゐいたところが、片輪だの乞食だのがとりまいて来た。その中にひとりせむしがゐてツァラトゥストラに向つて、だいぶ大勢の人があなたの教えを信じるやうになつては来たが、また皆とは行かない。それにはーつ大切なことがある。それは先づ私共のやうな片輪までも説きふせなくてはだめだと云つたのであります。それに封してツァラトウストラは 「意志が救ひを齎す」 といふことを教えたのであります。せむしに生れついたのは運命であるが意志がその運命から救ひ出すのであります。「せむしに生れることを自分は欲する」 といふ形で 「意志が引返して意志する」 といふことが自らを救ふ道であることを教えたのであります。このツァラトウストラの教えは偶然なり運命なりにいはば活を入れる秘訣であります。人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それが人生の第一歩でなければならないと私は考へるのであります」。
このラジオ講演には後日譚がありまして、九鬼は短歌ノートにその際のできごとを短歌連作に残しています。九鬼の繊細な心が感じ取れると共に九鬼の文学的表現力も明かしてくれる印象深い歌です。
・ラヂオにてわが講演を聞きしとか訪ひ来し乙女子未知の乙女子
・うるはしき見目の乙女よ「運命」といふ題の話の何に感ぜし
・貧しくて女学校へも行かざりし運命をなげく十九の乙女
・昼も夜も刺繍をさして世過ぎする雇ひ女なりとみづからをいふ
・勉強がしたかりしとて聲くもらす乙女の前にわれ力なし
・面曾が叶ひし上は他に望みあるにあらずと立ち去らむとす
・人間の生きの苦しみしみじみとわれに思はせて乙女は去りぬ
★偶然 -- 蔡琴 演唱 徐志摩 詩詞
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