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【霊告月記】第六十七回 大林宣彦映画ベスト5 きらめいて 煌めいて

2021年06月01日 10時00分00秒 | 霊告月記66~70

【霊告月記】第六十七回 大林宣彦映画ベスト5 きらめいて 煌めいて

    大林宣彦監督  1938-2020


大林宣彦映画のベスト5を選んでみた。この5本はどれもベスト1に選んでも良い傑作なので、本日の気分で順位を決めただけに過ぎない。明日になれば順位は入れ替わるかもしれない。いずれにせよ不動のベスト5本である。前置きはこれくらいにして、さっそく。


第五位 彼のオートバイ・彼女の島 (1986)

この映画は何年も前に見てつい最近見直したのだが、じつに清々しい映画だ。大林宣彦の映画はどれも青春へのレクイエムの要素をはらんでいる。その青春へのレクイエムのエッセンスを凝縮したような傑作である。主題歌をぜひ聴いてほしい。美しい声で歌われる美しい歌。青春へのノスタルジアに突き動かされる気がしないだろうか・・・

   

第四位 伝説の午後・いつか見たドラキュラ

大林宣彦の実験映画時代の代表作。個人映画作家としての大林宣彦の才能が開花した傑作。私は学生時代にこの映画をどこかの大学の学園祭で見たのだが、友人にこの映画を絶賛したことがあった。その友人は「そんなに映画が好きだったら映画監督になったらどうだ」と感想を漏らされたことがあった。大林のような才能はそう簡単に得られるものではない。3歳の時からカメラを持って遊んだ。3歳の時から映像作家だった稀な歴史を持つ大林宣彦でしか創れない特殊な映画である。ちなみに、この映画のタイトル「伝説の午後・いつか見たドラキュラ」がいたく気に入っていた私は「伝説の午後・いつか見たランボー」というエッセーを書いたが、それは私の処女作といっていい作品である。28歳の全力投球した記念碑なのです。

※参考☛ 永遠の詩人アルチュール・ランボー
    第二部「伝説の午後・いつか見たランボー」


第三位 ふたり

事故でなくなった姉がどじでかわいい妹を陰ながら見守るという話。少女を描く大林の視線は優しい。大林の故郷である尾道が背景に描かれてもいる。この映画を大林宣彦の最高傑作と信じる人も多い。

第二位 時をかける少女
いわずと知れた名作。この映画を観ずに映画ファンというなかれ。

第一位 廃市 

これこそ本物の映画だ。本物の映画という言い方は変かもしれない。映画というものは虚の世界の産物なのだから。しかし仮に本物の映画というものがもしあるとしたら、この「廃市」こそは本物の映画と言えるだろう。嘘偽りから遠くかけ離れたこの世で唯一の本物の映画。それがこの「廃市」であろう。大林宣彦監督のファンなら私のこういう評価にきっと賛同してくれると信じたい。
リンクを貼っておきますので、お暇ならご鑑賞して下さい。今すぐでなくともいいですから、いつかきっと。

映画「廃市」☛ Nobuhiko Obayashi - Haishi subs en     


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【霊告月記】第六十六回 蘇峰と蘆花  忍者になりたかった!

2021年05月01日 10時00分00秒 | 霊告月記66~70
【霊告月記】第六十六回 蘇峰と蘆花  忍者になりたかった!    

*子供の頃わたしは忍者になりたかった。そう、こんな忍者に☟


スランプに陥った。方向性が見えなくて困っている。確実に知っていることが何もない。何も新しいことを考える気が起きない。仕方がないので過去ログを探してアップすることにする。

フェイスブックでの子安宣邦氏の発言☛<
「謀叛論」の背景を知るために中野好夫の『蘆花徳冨健次郎』(全3部)を読み始めたが、これはすごい。本当の伝記というのはこういうものをいうのかもしれない。蘇峰・蘆花兄弟(賢兄愚弟)の相克・葛藤のうちに明治中期から後期にかけての国家も社会も精神も、そのすべてが映し出され、読み出されているようだ。なるほどこの高峻の蘇峰にして、蘆花のこの狂気がある>。この発言を受け、以下のような応答を行ったことがある。

◆徳富蘇峰と徳冨蘆花◆
「なるほどこの高峻の蘇峰にして、蘆花のこの狂気がある。」(子安宣邦)
先日の先生の市民講座での帰り道、本多さんと蘇峰・蘆花兄弟、この二人の不思議な関係について、語り合ったことでした。本多さんが、蘇峰と蘆花は兄弟なのにずいぶん違ってますね、どうしてでしょうかね、という感想を漏らされましたので、私なりの意見を述べたのでした。蘇峰と蘆花。この兄弟の対立と相克。ここには明治と大正、更には昭和の大敗北(敗戦)に至る、問題性のすべてが、その原型とでもいうべきものが潜在しているのではないか、という直感を申し述べたのでした。
蘇峰は単純化して言えば戦前の大日本帝国を代表する右翼思想家であり、これに対してこれまた単純化して言えば蘆花は人道的かつ平和主義的な戦前の諸思潮を吸収した大作家であった。だからこの兄弟は骨肉の相克・対立関係に入らざるをえなかった(少なくとも世間はそう見ていた)。
しかし、蘇峰から言うと、兄弟で喧嘩したことはない、少なくとも私から喧嘩を仕掛けたことは一度もない、という趣旨のことを述べています。蘆花は子供の時から親もあきれるほどわがままで反抗的であったそうです。蘇峰はそんな蘆花を心から愛し、私が責任もって育てますから、安心して下さい、と親に言って、その通り実行した。大学教育を受けさせ、文章も自分の経営する媒体に載せて、作家徳冨蘆花を誕生させた。
そんな蘇峰に蘆花は叛逆した。そして世間は判官びいきで蘆花に同情し、蘇峰を大悪人と評判した。蘇峰は、絶交を言い渡された蘆花のことを心配し、絶交されているのに、蘆花の自宅までたずねたこともあった。蘆花は、その時、蘇峰に門前払いを食らわせた。その時、蘇峰は、そうか弟もこの蘇峰を門前払いするほど偉くなったのかと喜んだそうです。それでもなお悲しみの心も湧いてどうしよもなかったと回想しています。
私はこの蘇峰の回想に、はじめて蘇峰という人間に共感を抱くことができた。蘇峰と蘆花、この兄弟の関係性は、1868から1945までの、日本近代史の問題性・悲劇性を象徴する、稀な、それこそ唯一と言えるほどの歴史的・思想的・芸術的な遺産ではないかと思えるのです。

★永遠の名作「風をあつめて」
  はっぴいえんど( 細野晴臣 大滝詠一 鈴木茂 松本隆)
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【霊告月記】第六十五回 ムイシュキン公爵とは誰か?

2021年04月01日 10時00分00秒 | 霊告月記61~65

【霊告月記】第六十五回 ムイシュキン公爵とは誰か?
     
ムイシュキン公爵(左)とナスターシャ・フィリッポヴナ(右)


前回の霊告月記で、橋川文三はムイシュキン公爵のような人であると書いたのだが、それではムイシュキン公爵とは誰か? ムイシュキン公爵とは、言うまでもなくドストエフスキーの小説『白痴』の主人公である。


ある研究会で橋川文三について語った後で、橋川文三は神経質な人ですかと聞かれたことがあった。橋川文三は神経質などころか、これほど寛容な人はいないと思っていたので、「橋川文三は寛容な人です」と答えたのだが、うまく伝わらなかったようなので、さらに「ムイシュキン公爵のような人です」と答えたことがあった。

この回答は我ながら名答だと思われたので、この直観をさらに詳しく確かめたいと思ってもう何度目になるだろうかたぶん五度目か六度目かの『白痴』再読を始めている。

『白痴』はドストエフスキーのなかで私がもっとも好きな小説である。尽きせぬ面白さと魅力を放つ『白痴』であるが、この小説をかくも私が好むのは、ナスターシャ・フィリッポヴナという絶世の美女がヒロインとして登場することにもよる。これほど神秘的で美しい女性に絶大な信頼を寄せられたのがムイシュキン公爵であった。

橋川文三=ムイシュキン説は、いま揺るがすことができない重要な仮説として私の内で発酵しつつある。


ナスターシャ・フィリッポヴナの魅力を完璧に再現した映画★ 

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【霊告月記】第六十四回 不思議の国の橋川文三

2021年03月01日 10時00分00秒 | 霊告月記61~65

【霊告月記】第六十四回 不思議の国の橋川文三

     傑作中の傑作  ドストエフスキーの『白痴』

橋川文三は不思議な人だった。彼は他者を批判することを一切しなかった。人を批判しないということが彼のレゾンデートルだったと断定してもいいくらいそのことは徹底していた。

しかしここに稀な例外がある。下記引用部分で橋川文三は三島由紀夫を批判している。
 ~~~私は『英霊の声』のもつ一種の迫力を否定しようとは思わない。しかし、この作品は作品としては必ずしも成功作とは思われない。むしろ不気味なメルヘンというように感じるが、それ以上のものとは思えない。それは、何よりも、ここに描き出された天皇と英霊の姿が、恐らくあの浄福の時代に現実にそうであった結びつきを絶たれ、すべてノスタルジアのもつあの美化作用にあまりにも浸透されているからである。あの時代のパトリオットは、いま、霊界において、決してこのような姿をしていないであろうというのは、ほとんど私の思想である。(橋川文三『三島由紀夫論集成』「中間者の眼」深夜叢書社)

橋川文三の三島由紀夫論は三島文学への共感的理解に満ちていた。その理解は三島自身を深く感動させたという事実がある。

橋川文三が批判したもう一人の対象として丸山眞男を挙げることができる。橋川文三の超国家主義に関する論は丸山の理論を正面切って批判した文章である。だが橋川文三にとって丸山眞男こそは師と仰ぐ人物であった。

つまり、橋川文三は、師と仰ぐ人、深く共感する人物に関しては、他者を批判しないというその根本的態度をはずすこともあったということである。
 
虚栄心からそしてただ虚栄心からのみ橋川文三を批判した二つのテキストを私は偶然の事情から知ることになったのだが、意志と知と洞察力においてはるかに勝る橋川文三に対して批判的言辞を弄したのは加藤周一と長谷川宏の二人であった。長谷川宏に関しては戦争体験論に関しての言及があるので、比較的まともなのだが、加藤周一という人間がかくも薄っぺらい言説を垂れ流していたとはオドロキであった。

たまたまヘーゲルを読んでいたら、次の一節が目に留まったので引用しておく。

「人間の虚栄心は、なにかを非難することで、簡単に満足させられる。非難されるものよりも自分のほうが意志と知と洞察力にすぐれている、と見えるからです」(長谷川宏訳・ヘーゲル『法哲学講義』作品社2000年)

橋川文三とはどんな人であったか、ひとことで答えよと言われたら、私はこう答えたい。「橋川文三は、ムイシュキン公爵のような人でした。ムイシュキン公爵とは、ドストエフスキーの『白痴』の主人公です。ドストエフスキーは、もし現代にイエス・キリストが蘇るとしたなら、ムイシュキン公爵のように、つまり痴愚のような人とみなされると考えて『白痴』を書いたのです」。

さて、この回答を聴いて、ドストエフスキーの『白痴』を読んだ人ならば橋川文三がどのような人であったか瞬時に覚るであろうし、読んでいない人、つまり文学に無縁な人は、この私の回答はちんぷんかんぷんと映るに違いない。それは仕方がないことだ。

】霊告【 橋川文三は20世紀の日本に降臨したムイシュキン公爵である。

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【霊告月記】第六十三回 独学者とは何か? 

2021年02月01日 10時00分00秒 | 霊告月記61~65

【霊告月記】第六十三回 独学者とは何か? 

      独学の天才・北一輝

◆独学者とは何か? 

私のブログ(goo)には、自己紹介のスペースがあって、そこで下のように書いています。

【自己紹介】
●『来たるべきアジア主義』 =当ブログのメイン・ディッシュ
●私は誰でしょう?
 ☛〈野戦攻城〉がモットーの独学者(autodidacte)です
●ちきゅう座会員
 
つまり私は自己紹介として〈野戦攻城〉がモットーの独学者(autodidacte)です 、と自分のことを規定しているわけである。しかし、そのように規定しながらも、独学者とは何か、独学の効用はあるのかないのか、独学という内実はなにか、そもそもその語句の意味するところは何か、等々について、いままで私はなにひとつ説明したことがない。

この自己紹介文を読んで、「ははあ、このブログの主宰者は、こういう人なのか。これで分かったぞ!」と思う人はまずひとりもいないだろう。であるからして、この際、私が定義するところの「独学者」の意味合いを開示しておきたいと思った。

◆独学者とは何か? 定義ならびに解説




 風になびく旗を見ながら、二人の僧が言い争っていた。
「これは旗が動いているのだ」
「いや違う。風が動いているのだ」
 そこに通りかかった慧能がいった。
「旗が動くのでも、風が動くのでもない。あなたたちの心が動いているのだ」

☛独学者とは、風になびく旗を見て、それは旗が動くのでも風が動くのでもない。それは人の心が動いているだけだと考えるような人のことである。

結論:独学者とは独覚者でもある。

三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)の内、中位の縁覚乗は師がなくして覚るゆえをもって独覚者とも呼称せられますから、独学者=独覚者という解釈も大いにありえます。

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