橋川文三ゼミの第一回目の時の話だが、先生は、「この際、書物の読み方について述べておきましょう」と仰った。
私は加藤周一の『読書術』という本を読んでいたので、〈精読が大事である。しかし乱読も必要である。速読術というのもあって、キーワードを押さえる。ま、そういう話だろう〉と思った。
しかし、先生の話はそういうのとはまるで違っていた。
「本の読み方には、詩的・直観的に全体をパッとつかまえる方法と、論理的・分析的に順序を立てて辿っていく方法とふたつある。まず、詩的・直観的に全体をパッとつかまえる方法は、間違えたり勘違いすることが非常に多いので危うい。次に、論理的・分析的に順序を立てて辿っていく方法は、細部のつながりが正確というメリットはあるものの、前提が間違っていると全然逆の結論に到着することもあり、これも問題が多い」と、どっちもダメと、ぴしゃりと言い切られたのだ。ではどういうふうに読めばいいのか。私は、興味深く、次の言葉を待った。
「どちらも問題が多い方法ではあるが、このふたつを慎重に組み合わせて書物を読んでいくと、真理に接近することは、必ずしも不可能ではない」と、先生は結ばれたのである。
〈真理に接近することは、必ずしも不可能ではない〉。この言い方に私は感動を覚えた。この橋川氏の読書術に関する話は、加藤周一の教養主義的な読書術とは、まったく次元の違うものと私には受取れた。それは真理の内発性という根本的な問題に関わる。橋川文三が本物の知識人であることは、この読書術に関する話を聞いただけで、その時、私には確信できたのである。
橋川文三は、『柳田國男ーその人間と思想ー』の中で、魯迅ならびに柳田を「アジアの暗黒星雲」に喩えている。読んだ時に、そこの部分が印象鮮明で、きっとこれには何か意味があるのだろうという直観があり、そこが私は前から気に懸かっていた。
ところが、筑摩書房の『アジア主義(竹内好編)』を読んでいたら、堀田善衛が『三酔人経綸問答』を論じた文章の中に、次の一節があるのを見つけて、長い間の疑問が氷解したのである。
「南海先生は、なぜ、―私は宇宙の本質は暗黒星雲だなどと言おうとするのではないが―暗黒星雲のように、実質として存在しながら、自ら光を発することなく、特異な、つらい「傍観者」として存在してきたか。簡単に言えば、ついて行ききれなかったからである。何について行ききれなかったか。洋学紳士の自由平等、民主化徹底、軍備撤廃、世界政府論にも、また豪傑君の、侵伐、帝国主義膨張政策にも本心からついて行けなかった」
(堀田善衛「日本の知識人」より)
つまり、橋川氏は、魯迅や柳田を、実質として存在しながら、自ら光を発することなく、特異な、つらい「傍観者」として存在してきたという評価を下すことによって、暗黒星雲に喩えたということである。一語の選択にも苦心を払った橋川文三の才能を惜しむ気持ちが深まると共に、南海先生の本質は、橋川文三の立ち位置にも通じるところがあると思った。
「いま そこを動くな/いま そこを動くと/永遠に迷ったまま墓場にいくのだ」
これは土方巽の言葉である。私も今はただここに佇むしかない。アジアの暗黒星雲こそ我等が住処なのだ。
★土方巽 Hijikata Tatsumi - 肉体の叛乱