古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第十七章 潮岬会合 その四十三

2013年04月22日 06時53分48秒 | 古文書の初歩

潮岬会合「組中定書」第一ページ、上の画像の三~五行目

解読 一 みうが嶋 山崎嶋 まき崎嶋

    右三ヶ嶋ニ而泊り浦より長嶋迄之漁舩ゑど

    網遣せ申間鋪候。其上者上浦之漁舩嶋脇

読み 一つ みょうが嶋 山崎嶋 まき崎嶋

    右三ヶ嶋にて、泊り浦より長嶋迄の漁船ゑど

    網遣わせ申す間じく候。其の上はかみ浦の漁船、嶋脇

解説 「みうが嶋」・・・実際は「苗我嶋」『みょうがしま』。この島は大島に近く、現在「くしもと大橋」の西端橋脚の据えられている島。 「山崎嶋」・・・不明。 「まき崎嶋」・・・串本町出雲の最南端にある「巻崎」の事と推定。 「泊浦より長嶋迄」・・・三重県側のいわゆる下浦(上浦に対する)の浦々と思われます。 「ゑど」・・・「ど」は変体仮名の「登」に濁点。餌所のイワシを略して「ゑど」と言います。 要約・・・右の三島では、下浦の船に餌のイワシを捕る網は使わせない。

訂正 四月二十日の其の四十一で「植木小右衛門」は周参見代官所の奉行と書きましたが、串本町史によりますと、紀州が浅野藩の時代の浦奉行(又は舩奉行)と推定され、その時代には、未だ周参見代官所は無かったのではないかと書いています。