天皇である事の根拠は「血統」である。そしてその「血統」がユダヤ人で、且つ、ユダヤ十二支族(レビ族を含めると十三支族)の内の祭司を務めるレビ族であるという根拠がはっきりと解れば、天皇陛下が天皇として此の世に存する事は「運命」であり、日本国の為の祭司を務める事が創造主による「定め」・「任命」・「天命」・「使命」である事が解るのである。「天命」は此の世に於ける人の役割であり、特殊であり、独自性である。
そして神の定める運命・天命は「絶対」であり、故に天皇に「世俗的な」自由や人権等は無く、「超越者」であり創造主である唯一の神と「世俗」の国民との間に立つ「媒介者」としての役割を「義務」として此の世において果たす事が解るのである。天皇は超越次元と世俗次元との間に立って、「聖」と「俗」の両義性を持つ。そして「仲介者」として神と国民との「和解」の為に、天皇陛下は「犠牲」となられているのである。
人の理屈は何かと入り乱れてややこしいが、神の定める運命は単純でシンプルである。また、人間は科学的根拠によって物事の裏付けや処理、生産を行おうとするが、科学万能主義的な考えは人間の傲慢である。科学万能主義によって原発事故やAI(人工知能)の暴走、医療の生命倫理の破壊、核兵器等と、人間が逆にそれらに支配される様になるのである。非科学的なものを神話や空想等と言って馬鹿にするが、神は人間の作った科学を超える全能の力を有し、創造主に不可能な事は無い。因みに、サルやチンパンジーから人間に進化したというダーウィンの進化論はサタニズム(悪魔主義)であり、聖書を否定したものである。欧米のキリスト教界に於いてのリベラル派は、聖書に記載されている事も真実では無く単なる神話等といって侮っているのである。日本の古事記や日本書紀も一般的には単なる神話やおとぎ話の様に捉えられている傾向があるが、実はそれらが古代ユダヤ起源であると言われている。戦後の教育に於いて、日本の歴史を甘く軽く見る様にされているのである。
また、「男系男子」を永続的に守る事も創造主による「定め」と理解出来れば、その事を変えてはならない事が解るのである。後述するが、本来はユダヤ人であるとする定義も「男系」であった。
先天的な障がいを持って此の世に生まれて来られた障がい者の方々は、その障がいを持って此の世で生きる事が「運命」である。自分の意志・欲望によってその障がいを失くす事は出来ない。また、人は此の世に生まれてくる時には自分の意志で生まれて来た訳では無く、自分の親を選択する「権利」も与えられていなかった。その様に、創造主により各人に定められた「運命」の中には個人の「自由」や「権利」は存在せず、却って唯一の神への忠義等の「義務」と生を全うする等の「責任」が存在しているのである。例え寝たきりになろうとも、神に祈る事が出来、それによって奉仕する事が出来るのである。
運命が右方向であるのに、自分の立てた目標が左方向であれば、一生かけてもその目標に達して願いが叶う事は有り得ない。目標は個人の欲望が基となっている事が多い。人の欲望・希望と神の考え・計画は異なる。
「世俗化」とは民主的なイメージが有り聞こえは良いが、その実、神から離れる事である。神の律法や教え、定めから離れて、神を無視して人間の考え・欲望によって生活や政治等を行う事となる。それ故、「世俗化」は人間の傲慢に繋がる。
現在の日本国憲法は国民主権を謳っているが、その第一条に「天皇は、…(中略)…この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と在り、国民主権によって天皇の地位を左右出来る様に書かれているが、これは「共和制」を意味する。しかし政府見解においては「立憲君主制」である。因みに当時、占領国の憲法を変える国際法違反を犯して日本に現憲法を押し付けた占領軍GHQは社会主義者(或いは共産主義者)達であった為、またダグラス・マッカーサー最高司令官がフリーメーソンであった事からも、現憲法は「社会主義・フリーメーソン憲法」であると言う事が出来る。
世論をあてにしてはならない。世論に左右されると国は滅びる。世論は一貫性が無く常に変転するものである。世論はマスコミに煽動されやすい。世論の基本である国民一人ひとりの思考力・情報収集分析力・判断力の次元が総体的に低い。また国民が総体的に依存性が高く、自分で勉強する事が出来ない等と自立性が低い。
リベラル派は伝統を破壊しようとする。しかし、特に国体・国柄の内の一つである天皇の存在やその在り方世襲の伝統を保守する事は、日本国民の義務である。伝統は個性・アイデンティティである。歴史や文化をも含めてそれらを変えてしまう事で、日本国は日本という国ではなくなるのである。変えてはならない伝統とそうでないものとの見分け・区別が必要である。
>欧州の王家と日本の天皇・皇族は異なるものである。欧州に女王がいるからであるとか、先日の国連女子差別撤廃委員会から干渉されるが如くに指摘された非男女同権、またそれ故の時代錯誤等と揶揄されたりもするが、それらは間違いである。「男系男子」は日本の伝統・文化・アイデンティティとして、そして「神の定め」として、時が移ろうとも保守していかなければならないのである。因みに、英国の王家はユダヤ十二支族の内のダン族の末裔であり、レビ族の日本の皇族とは異なるのである。
後述するが、現イスラエル国はユダヤ人を増やす為にユダヤ人と定義する「男系」を変えて「女系」と定めている。国内に於いてパレスチナ人を排除する民族浄化政策と植民地拡大政策に於ける既成事実化を推し進める為にユダヤ人の人口を増やそうとしているものと思われる。この事は現在、皇位継承の危機感からリベラル派・左派が「女系天皇」、つまり「母系天皇」を認める様に変える事を主張している事と同じである。「男系」という「正統・直系」から「女系」という「異端・傍系」に変えてしまうものであり間違いである。同じ始祖アブラハムを持つが、ユダヤ人として直系のイサク―ヤコブの子孫から、傍系のアラブ人であるイシュマエルの子孫に変える様なものである。そして、現イスラエル国を支配する白人のアシュケナジー・ユダヤ人は「血統的」に全く関係の無い「宗教的」な「ユダヤ教徒カザール人」である為に、リベラル派として平気で「男系」等の伝統を破壊しているのである。そしてイスラエル国内では、二級・三級市民として置かれている「血統的」スファラディ―・ユダヤ人は却って「宗教的」アシュケナジー・ユダヤ人から差別されているのである。
先日、2016年8月8日に、天皇陛下がビデオメッセージにて御自身の生前退位についての「お気持ち」を述べられた。
「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切な事と考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たす・・・(中略)・・・天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務め」。
此の度の陛下の「お気持ち」の表明が問題提議をする様な形となり、それまで議論されてきた皇位継承問題から皇室典範改正論、憲法改正論、女性宮家・女系天皇・女性天皇容認論等が再びクローズアップされた。天皇の人権や人格を否定して皇室の伝統に縛る事を疑問視したり、陛下の表明からかわいそう等として、世論調査ではその様な一瞬の感情を基にした生前退位容認の支持率が高くなっている。
しかし、世論調査で答える国民は余り理解しておらず、知識が増える毎に考え方、価値観は変わる。その様な国民の一瞬の感情・ブームに流されてしまい皇室典範の内の必要で無い部分の改正を行う事で、日本の国柄・国体は崩れ、国が滅ぶ結果となる。
それ故、長い検討、議論が必要になることから、例外的に、今上天皇の存命中に、特別措置法によって対処する事を政府は現在検討し、それに向けた有識者会議の中には中東研究者も含まれている。
今上天皇まで125代続く中で、存命中に生前退位されたのは58例あるが、南北朝分裂の原因となった退位した上皇・法皇による院政と後を継いだ天皇との対立、権力闘争により意に反して退位、或いは意図的に譲位する事があった。
身体の不調等で国事行為を自ら行えない時等に、皇室典範の規定を基にして天皇の名で摂政を置く事は憲法第5条で認められ、第4条1項で国政に関わる事無く国事行為のみを行うことと制約されている。
女性天皇は8人10代存在されたが、全て生涯独身か未亡人で皇太子が幼い等の理由で例外・暫定的に皇位に就いていた。しかし女系天皇は存在せず、母系天皇として皇太子を産んで皇位を継がせたという事は無かった。故に、皇室典範が定める「男系男子」の皇位継承が守られて来た。
皇太子となるべく男子の子が存在しない場合への対応策として、旧皇族(旧宮家)からの養子制度の復活が提案されている。戦後、GHQによって11宮家が廃絶し3宮家のみが存続し、その後に4宮家が新設・復興されて追加されたが、断絶した宮家、男子の子が居られない宮家と、「男系男子」の皇位継承が危ぶまれている。宮家の最大の役割は、皇統断絶の危機に備える事と言う。しかし、一般市民となってから約70年経過し、財政上の問題もある。そして養子を禁止している皇室典範・第九条の改正が必要となる。
「万世一系」であるが、過去には南北朝時代が存在した。また、北朝系の皇位継承の後、明治天皇以降に南朝系へと皇位継承を移した事も在る。しかし「皇胤」は125代の間ずっと守られており、前述の養子制度復活やGHQによって廃止された旧宮家の復活も含めて天皇の「血統」は守られ続ける。天皇である事の根拠は「血統」である。
そして、天皇の「血統」はユダヤ人である。天皇は世襲(正統、直系)である。ユダヤ人である事の根拠となるのが、アブラハム―イサク―ヤコブの「血統」である。
天皇の事を「スメラミコト」とも読むが、古代メソポタミアのスメラ族(シュメール人)のミグト(天降る者)で、またスメ、スムは神、至上最高のものを意味する。そして、帝(御門、ミカド)は御ガドで、ヤコブ(イスラエル)の子孫であるユダヤ十二支族の内のガド族であり、ヤコブの子ガドの長男はZephon(ツェフォン、ゼポン、ツィフヨン)であり、「ニッポン」である。
一方、天皇はユダヤ十二支族(レビ族を含めて十三支族)の内のレビ族であるとも言う。それは、祭司の中でも最も高い地位に存する大祭司・祭祀王である天皇は、超越者であり創造主である唯一の神と世俗の国民との仲介・媒介者としての任務を果たされておられるが、そのレビ族を創造主が特別に仲介者としての祭司職に任命された事が聖書に記載されているのである。
レビ人のモーセは創造主からの「命令」に従う事で、ヘブライ人(ユダヤ人)の指導者としてエジプトを脱出して約束の地カナンへと民を率いたが、創造主はそのモーセの兄であるアロンとその男子の子孫に祭司職を任命した。
祭司をヘブライ語で「コヘン」と言うが、「コーヘン」と言う名前は男系であり、父親からその息子のみに受け継がれている。「コーヘン」を名のる者は皆同じ一つのDNAを持っている。そのDNAは男性のみが持っており(Y染色体)、コーヘンを父に持つ娘には受け継がれていない。ユダヤの祭司も古代から「男系男子」を一貫しているのである。
因みに、現在のイスラエルではユダヤ人の母親から生まれた子どもはユダヤ人となり、父親がユダヤ人であっても母親がユダヤ人では無い場合はその子どもはユダヤ人では無いと定められており、その古代ユダヤからのコヘン(祭司)の男系男子と矛盾している。これは、血統と全く関係の無い宗教的なアシュケナジー・ユダヤ人が支配する現イスラエル国の、植民地拡大政策における改変によるものと、私は思うのである。
血統的な本物のスファラディ―・ユダヤ人でありその指導者であったナイム・ギラディ氏は、「ユダヤ教徒カザール人、ユダヤ教徒ユダヤ人、、宗教を先にして何々人、これは正しい説明であると言える。ユダヤ教を信じているからユダヤ人というのは間違いである。もうひとつは混血しているではないかということである、混血していても自分の父親が異邦人と結婚していても自分はユダヤ人である。今のイスラエルにおいては、女の人がユダヤ人であればその子はユダヤ人である。しかし父親がユダヤ人であれば子どもはユダヤ人だというのが本当は正しいと思われる。」(2016/05(No.398)号・国際時事情報誌エノク「驚愕の告白、スファラディ・ユダヤ人……」(下記、著者:宇野正美氏)より)。
本来、ユダヤ人と定義する場合にも、「男系」であった事が解るのである。
一方、日本国内には差別が存在する。その差別の元は「」の身分であり、「」等と呼ばれた人達である。その両極端に置かれた、「」の身分にされた人達と天皇・皇族の身分・地位に置かれた人達の「血統」は実は同じなのである。
ユダヤのレビ族の祭司は牛を犠牲に捧げる事で、神を賛美し崇め、神に感謝し、民の安寧と罪の許しを請い祈った。牛は、罪の為の生贄、神と民との和解の為の生贄であった。また、牛を犠牲に捧げる事で、自らの罪と自らの力の足らざる事を覚えて神に謙遜となっていた。古代ユダヤにおいて牛は人間と神との仲介を果たしていたが、後にイエス・キリストは自らが十字架上で仲介者として犠牲になられた。イエス・キリストは神であるが、ユダ族のダビデの血統としての人間として此の世にお生まれになった。
の人々は元々、忠実に牛を犠牲に捧げる事を守って来たが、仏教が国教となってから殺生を穢れたものとする仏教の教えにより差別される様になり、その体制に従わず妥協せずに牛を犠牲にする儀式を守り続けた人々は、山奥に逃げ、川のはた等に住み、牛の屠畜や皮革加工に携わった。他にも、歌舞伎・能などの芸能や、京の庭師(造園)をはじめとする多くの技能職に職人として従事した。「犠牲」という字の部首は共に牛偏となっている。
古事記・日本書紀に於けるイザナギ・イザナミについてヘブル語解釈をすると、イザナギは「イザヤ・ナギード」で意味は「グループの長であるイザヤ」、イザナミは「イザヤ・ナオミ」で「イザヤと共に居るナオミ」となる。神社の神主の長である禰宜も、ナギードの転化したものである。イザヤは旧約聖書のイザヤ書を書いた預言者である。イザナギ・イザナミの子アマテラスの孫のニニギノミコトは初代神武天皇の先祖で、高天原から高千穂に降臨したが、高天原はアブラハムの子イサクの子のヤコブが長期間住んだ「タガーマ州ハラン」で、高千穂は「タカ・ツィヨーン」で意味はエルサレムの「シオンの丘」である。
西部邁氏著「わが憲法改正案 『大切な心』を忘れた日本人」の試案より、
「天皇は日本国民の伝統の象徴であり、したがって日本市民の統合の象徴である。
天皇は日本国の文化的代表であり、したがってそれに相応した文化的儀式を執り行う。
天皇の地位は日本国民の歴史的総意にもとづくものであり、したがって日本市民がその地位とその権能について決定を下すに当たっては年号を指定する義務をはじめとして日本の伝統からの制限を受ける。」
旧約聖書・出エジプト記28章41節
「これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。」
旧約聖書・出エジプト記29章9節
「アロンとその子らに飾り帯を締めさせ、ターバンを巻きつけさせる。永遠のおきてによって、祭司の職は彼らのものとなる。あなたは、アロンとその子らを祭司職に任命せよ。」
旧約聖書・レビ記1章5節
「その人は主の前で、その若い牛をほふり、祭司であるアロンの子らは、その血を持って行って、会見の天幕の入口にある祭壇の回りに、その血を注ぎかけなさい。」
旧約聖書・レビ記6章18節
「アロンの子らのうち、男子だけがそれを食べることができる。これは、主への火によるささげ物のうちから、あなたがたが代々受け取る永遠の分け前である。それに触れるものはみな、聖なるものとなる。』」
旧約聖書・民数記1章1~3節
「人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。
「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。
あなたとアロンはイスラエルにおいて、二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者たちを、その軍団ごとに数えなければならない。」
旧約聖書・民数記3章9~12節
「あなたは、レビ人をアロンとその子らにあてがいなさい。彼らはイスラエル人の中から、正式にアロンにあてがわれた者たちである。
あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づく者は殺される。』
主はモーセに告げて仰せられた。
『わたしは、イスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。』
旧約聖書・民数記18章1~2節
「そこで、主はアロンに言われた。『あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちと、あなたの父の家の者たちは、聖所にかかわる咎を負わなければならない。そしてあなたと、あなたとともにいるあなたの子たちが、あなたがたの祭司職にかかわる咎を負わなければならない。
しかし、あなたの父祖の部族であるレビ族のあなたの身内の者たちも、あなたに近づけよ。彼らがあなたに配属され、あかしの天幕の前で、あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちに仕えるためである。」
旧約聖書・民数記18章6~7節
「今ここに、わたしは、あなたがたの同族レビ人をイスラエル人の中から取り、会見の天幕の奉仕をするために、彼らを主にささげられたあなたがたへの贈り物とする。
あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、祭壇に関するすべてのことや、垂れ幕の内側のことについてのあなたがたの祭司職を守り、奉仕しなければならない。わたしはあなたがたの祭司職を賜物の奉仕として与える。ほかの者で近づく者は死ななければならない。」
旧約聖書・民数記18章20節
「主はまたアロンに仰せられた。『あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」
旧約聖書・民数記18章23節
「レビ人だけが会見の天幕の奉仕をすることができる。ほかの者は咎を負う。これは代々にわたる永遠のおきてである。かれらはイスラエル人の中にあって相続地を持ってはならない。」
旧約聖書・民数記25章10~13節
「主はモーセに告げて仰せられた。
『祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。わたしは、わたしのねたみによってイスラエル人を絶ち滅ぼすことはしなかった。
それゆえ、言え。『見よ、わたしは彼にわたしの平和の契約を与える。
これは、彼とその後の彼の子孫にとって、永遠にわたる祭司職の契約となる。それは彼がおのれの神のためにねたみを表わし、イスラエル人の贖いをしたからである。』』」
旧約聖書・ヨシュア記13章33節
「レビ部族には、モーセは相続地を与えなかった。主が彼らに約束されたとおりにイスラエルの神、主が彼らの相続地である。」
旧約聖書・ヨシュア記18章7節
「しかしレビ人には、あなたがたの中で割り当て地がない。主の祭司として仕えることが、その相続地だからである。また、ガドと、ルベンと、マナセの半部族とは、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、すでに彼らの相続地を受けている。それは、主のしもべモーセが、彼らに与えたものである。」
新約聖書・ペテロの手紙 第一2章9節
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」
本ブログ過去の関連記事
・2012/11/21付:「多民族国家の日本に古代ユダヤ人」
・2012/11/25付:「古事記・天孫降臨、イザヤ・ナギード(イザナギ)」
・2013/04/13付:「俗事における『無用性』は一時的なもの・・・信仰によって生き、永遠を求める」
・2013/07/08付:「日本人のルーツを取り戻す(4)・・・元々は多民族国家であった日本の中の一部に、アブラハム―イサク―ヤコブの血統のユダヤ人の子孫が・・・『日本人のルーツはユダヤ人だ―古代日本建国の真相』を読んで」
・2013/07/08付:「日本人のルーツを取り戻す(5)・・・天皇とは共に同じ民族ユダヤ人・・・『天皇家とユダヤ人』を読んで」
・2013/11/05付:「福島県民に対する『棄民政策』を阻止しようとした天皇への陳情の何が悪いのか・・・万世一系では無い天皇、そもそも天皇の権威とは一体何なのか」
・2015/01/01付:「出雲系と天孫系の融合、そして皇族の聖書・創造主への回帰か、それともグローバル化・フリーメーソン」
・2015/03/22付:「吉田松陰の楠木正成を通した南朝への想い・・・明治天皇すり替え」
・2016/04/17付:「国民主権は国を滅ぼす・・・裁判員裁判、選挙権、民主主義、人権、個人主義、低俗な世論に動揺する国家」
引用文献
・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
参考文献
・2016/01(No.394)号・国際時事情報誌エノク(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2016/09/01):「宇宙船地球号で第三次世界大戦が起きるのか ■日本最大の恥部、ユダヤ・レビ人祭司への差別」 ・・・・・・【下画像・①】
・2016/05(No.398)号・国際時事情報誌エノク(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2016/05/01):「驚愕の告白、スファラディ・ユダヤ人 ■テロの連鎖、その源流はパレスチナか」 ・・・・・・【下画像・②】
・「わが憲法改正案 『大切な心』を忘れた日本人」(著者:西部邁氏、出版社:ビジネス社、出版日:2004/4/20) ・・・・・・【下画像・③】
・「憲法の常識 常識の憲法」(著者:百地章氏、出版社:文藝春秋、出版日:2005/4/20) ・・・・・・【下画像・④】
・「驚くほど似ている 日本人とユダヤ人」(著者:エリ・コーヘン氏、訳者:青木偉作氏、出版社:中経出版、出版日:2008/02/06・・・単行本「大使が書いた日本人とユダヤ人」)(2006/08出版)の文庫化) ・・・・・・【下画像・⑤⑥】
・「天皇家とユダヤ人」(著者:篠原央憲氏、出版社:光風社出版、出版日:1982/01/10・・・1977/05出版の改訂) ・・・・・・【下画像・⑦】
・「日本人のルーツはユダヤ人だ―古代日本建国の真相」(著者:小谷部全一郎氏、出版社:たま出版、出版日:1991/11/20・・・1929年出版で現在絶版「日本及日本国民の起源」上・下巻を編集) ・・・・・・【下画像・⑧】
・2016/08/09付・神戸新聞朝刊:「生前退位強い思い 天皇陛下『お気持ち』 「象徴の務め」今後を危惧」
・2016/09/03付・神戸新聞朝刊:「総論・各論 8月 天皇陛下の生前退位 問われる国民主権の成熟度」
そして神の定める運命・天命は「絶対」であり、故に天皇に「世俗的な」自由や人権等は無く、「超越者」であり創造主である唯一の神と「世俗」の国民との間に立つ「媒介者」としての役割を「義務」として此の世において果たす事が解るのである。天皇は超越次元と世俗次元との間に立って、「聖」と「俗」の両義性を持つ。そして「仲介者」として神と国民との「和解」の為に、天皇陛下は「犠牲」となられているのである。
人の理屈は何かと入り乱れてややこしいが、神の定める運命は単純でシンプルである。また、人間は科学的根拠によって物事の裏付けや処理、生産を行おうとするが、科学万能主義的な考えは人間の傲慢である。科学万能主義によって原発事故やAI(人工知能)の暴走、医療の生命倫理の破壊、核兵器等と、人間が逆にそれらに支配される様になるのである。非科学的なものを神話や空想等と言って馬鹿にするが、神は人間の作った科学を超える全能の力を有し、創造主に不可能な事は無い。因みに、サルやチンパンジーから人間に進化したというダーウィンの進化論はサタニズム(悪魔主義)であり、聖書を否定したものである。欧米のキリスト教界に於いてのリベラル派は、聖書に記載されている事も真実では無く単なる神話等といって侮っているのである。日本の古事記や日本書紀も一般的には単なる神話やおとぎ話の様に捉えられている傾向があるが、実はそれらが古代ユダヤ起源であると言われている。戦後の教育に於いて、日本の歴史を甘く軽く見る様にされているのである。
また、「男系男子」を永続的に守る事も創造主による「定め」と理解出来れば、その事を変えてはならない事が解るのである。後述するが、本来はユダヤ人であるとする定義も「男系」であった。
先天的な障がいを持って此の世に生まれて来られた障がい者の方々は、その障がいを持って此の世で生きる事が「運命」である。自分の意志・欲望によってその障がいを失くす事は出来ない。また、人は此の世に生まれてくる時には自分の意志で生まれて来た訳では無く、自分の親を選択する「権利」も与えられていなかった。その様に、創造主により各人に定められた「運命」の中には個人の「自由」や「権利」は存在せず、却って唯一の神への忠義等の「義務」と生を全うする等の「責任」が存在しているのである。例え寝たきりになろうとも、神に祈る事が出来、それによって奉仕する事が出来るのである。
運命が右方向であるのに、自分の立てた目標が左方向であれば、一生かけてもその目標に達して願いが叶う事は有り得ない。目標は個人の欲望が基となっている事が多い。人の欲望・希望と神の考え・計画は異なる。
「世俗化」とは民主的なイメージが有り聞こえは良いが、その実、神から離れる事である。神の律法や教え、定めから離れて、神を無視して人間の考え・欲望によって生活や政治等を行う事となる。それ故、「世俗化」は人間の傲慢に繋がる。
現在の日本国憲法は国民主権を謳っているが、その第一条に「天皇は、…(中略)…この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と在り、国民主権によって天皇の地位を左右出来る様に書かれているが、これは「共和制」を意味する。しかし政府見解においては「立憲君主制」である。因みに当時、占領国の憲法を変える国際法違反を犯して日本に現憲法を押し付けた占領軍GHQは社会主義者(或いは共産主義者)達であった為、またダグラス・マッカーサー最高司令官がフリーメーソンであった事からも、現憲法は「社会主義・フリーメーソン憲法」であると言う事が出来る。
世論をあてにしてはならない。世論に左右されると国は滅びる。世論は一貫性が無く常に変転するものである。世論はマスコミに煽動されやすい。世論の基本である国民一人ひとりの思考力・情報収集分析力・判断力の次元が総体的に低い。また国民が総体的に依存性が高く、自分で勉強する事が出来ない等と自立性が低い。
リベラル派は伝統を破壊しようとする。しかし、特に国体・国柄の内の一つである天皇の存在やその在り方世襲の伝統を保守する事は、日本国民の義務である。伝統は個性・アイデンティティである。歴史や文化をも含めてそれらを変えてしまう事で、日本国は日本という国ではなくなるのである。変えてはならない伝統とそうでないものとの見分け・区別が必要である。
>欧州の王家と日本の天皇・皇族は異なるものである。欧州に女王がいるからであるとか、先日の国連女子差別撤廃委員会から干渉されるが如くに指摘された非男女同権、またそれ故の時代錯誤等と揶揄されたりもするが、それらは間違いである。「男系男子」は日本の伝統・文化・アイデンティティとして、そして「神の定め」として、時が移ろうとも保守していかなければならないのである。因みに、英国の王家はユダヤ十二支族の内のダン族の末裔であり、レビ族の日本の皇族とは異なるのである。
後述するが、現イスラエル国はユダヤ人を増やす為にユダヤ人と定義する「男系」を変えて「女系」と定めている。国内に於いてパレスチナ人を排除する民族浄化政策と植民地拡大政策に於ける既成事実化を推し進める為にユダヤ人の人口を増やそうとしているものと思われる。この事は現在、皇位継承の危機感からリベラル派・左派が「女系天皇」、つまり「母系天皇」を認める様に変える事を主張している事と同じである。「男系」という「正統・直系」から「女系」という「異端・傍系」に変えてしまうものであり間違いである。同じ始祖アブラハムを持つが、ユダヤ人として直系のイサク―ヤコブの子孫から、傍系のアラブ人であるイシュマエルの子孫に変える様なものである。そして、現イスラエル国を支配する白人のアシュケナジー・ユダヤ人は「血統的」に全く関係の無い「宗教的」な「ユダヤ教徒カザール人」である為に、リベラル派として平気で「男系」等の伝統を破壊しているのである。そしてイスラエル国内では、二級・三級市民として置かれている「血統的」スファラディ―・ユダヤ人は却って「宗教的」アシュケナジー・ユダヤ人から差別されているのである。
先日、2016年8月8日に、天皇陛下がビデオメッセージにて御自身の生前退位についての「お気持ち」を述べられた。
「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切な事と考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たす・・・(中略)・・・天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務め」。
此の度の陛下の「お気持ち」の表明が問題提議をする様な形となり、それまで議論されてきた皇位継承問題から皇室典範改正論、憲法改正論、女性宮家・女系天皇・女性天皇容認論等が再びクローズアップされた。天皇の人権や人格を否定して皇室の伝統に縛る事を疑問視したり、陛下の表明からかわいそう等として、世論調査ではその様な一瞬の感情を基にした生前退位容認の支持率が高くなっている。
しかし、世論調査で答える国民は余り理解しておらず、知識が増える毎に考え方、価値観は変わる。その様な国民の一瞬の感情・ブームに流されてしまい皇室典範の内の必要で無い部分の改正を行う事で、日本の国柄・国体は崩れ、国が滅ぶ結果となる。
それ故、長い検討、議論が必要になることから、例外的に、今上天皇の存命中に、特別措置法によって対処する事を政府は現在検討し、それに向けた有識者会議の中には中東研究者も含まれている。
今上天皇まで125代続く中で、存命中に生前退位されたのは58例あるが、南北朝分裂の原因となった退位した上皇・法皇による院政と後を継いだ天皇との対立、権力闘争により意に反して退位、或いは意図的に譲位する事があった。
身体の不調等で国事行為を自ら行えない時等に、皇室典範の規定を基にして天皇の名で摂政を置く事は憲法第5条で認められ、第4条1項で国政に関わる事無く国事行為のみを行うことと制約されている。
女性天皇は8人10代存在されたが、全て生涯独身か未亡人で皇太子が幼い等の理由で例外・暫定的に皇位に就いていた。しかし女系天皇は存在せず、母系天皇として皇太子を産んで皇位を継がせたという事は無かった。故に、皇室典範が定める「男系男子」の皇位継承が守られて来た。
皇太子となるべく男子の子が存在しない場合への対応策として、旧皇族(旧宮家)からの養子制度の復活が提案されている。戦後、GHQによって11宮家が廃絶し3宮家のみが存続し、その後に4宮家が新設・復興されて追加されたが、断絶した宮家、男子の子が居られない宮家と、「男系男子」の皇位継承が危ぶまれている。宮家の最大の役割は、皇統断絶の危機に備える事と言う。しかし、一般市民となってから約70年経過し、財政上の問題もある。そして養子を禁止している皇室典範・第九条の改正が必要となる。
「万世一系」であるが、過去には南北朝時代が存在した。また、北朝系の皇位継承の後、明治天皇以降に南朝系へと皇位継承を移した事も在る。しかし「皇胤」は125代の間ずっと守られており、前述の養子制度復活やGHQによって廃止された旧宮家の復活も含めて天皇の「血統」は守られ続ける。天皇である事の根拠は「血統」である。
そして、天皇の「血統」はユダヤ人である。天皇は世襲(正統、直系)である。ユダヤ人である事の根拠となるのが、アブラハム―イサク―ヤコブの「血統」である。
天皇の事を「スメラミコト」とも読むが、古代メソポタミアのスメラ族(シュメール人)のミグト(天降る者)で、またスメ、スムは神、至上最高のものを意味する。そして、帝(御門、ミカド)は御ガドで、ヤコブ(イスラエル)の子孫であるユダヤ十二支族の内のガド族であり、ヤコブの子ガドの長男はZephon(ツェフォン、ゼポン、ツィフヨン)であり、「ニッポン」である。
一方、天皇はユダヤ十二支族(レビ族を含めて十三支族)の内のレビ族であるとも言う。それは、祭司の中でも最も高い地位に存する大祭司・祭祀王である天皇は、超越者であり創造主である唯一の神と世俗の国民との仲介・媒介者としての任務を果たされておられるが、そのレビ族を創造主が特別に仲介者としての祭司職に任命された事が聖書に記載されているのである。
レビ人のモーセは創造主からの「命令」に従う事で、ヘブライ人(ユダヤ人)の指導者としてエジプトを脱出して約束の地カナンへと民を率いたが、創造主はそのモーセの兄であるアロンとその男子の子孫に祭司職を任命した。
祭司をヘブライ語で「コヘン」と言うが、「コーヘン」と言う名前は男系であり、父親からその息子のみに受け継がれている。「コーヘン」を名のる者は皆同じ一つのDNAを持っている。そのDNAは男性のみが持っており(Y染色体)、コーヘンを父に持つ娘には受け継がれていない。ユダヤの祭司も古代から「男系男子」を一貫しているのである。
因みに、現在のイスラエルではユダヤ人の母親から生まれた子どもはユダヤ人となり、父親がユダヤ人であっても母親がユダヤ人では無い場合はその子どもはユダヤ人では無いと定められており、その古代ユダヤからのコヘン(祭司)の男系男子と矛盾している。これは、血統と全く関係の無い宗教的なアシュケナジー・ユダヤ人が支配する現イスラエル国の、植民地拡大政策における改変によるものと、私は思うのである。
血統的な本物のスファラディ―・ユダヤ人でありその指導者であったナイム・ギラディ氏は、「ユダヤ教徒カザール人、ユダヤ教徒ユダヤ人、、宗教を先にして何々人、これは正しい説明であると言える。ユダヤ教を信じているからユダヤ人というのは間違いである。もうひとつは混血しているではないかということである、混血していても自分の父親が異邦人と結婚していても自分はユダヤ人である。今のイスラエルにおいては、女の人がユダヤ人であればその子はユダヤ人である。しかし父親がユダヤ人であれば子どもはユダヤ人だというのが本当は正しいと思われる。」(2016/05(No.398)号・国際時事情報誌エノク「驚愕の告白、スファラディ・ユダヤ人……」(下記、著者:宇野正美氏)より)。
本来、ユダヤ人と定義する場合にも、「男系」であった事が解るのである。
一方、日本国内には差別が存在する。その差別の元は「」の身分であり、「」等と呼ばれた人達である。その両極端に置かれた、「」の身分にされた人達と天皇・皇族の身分・地位に置かれた人達の「血統」は実は同じなのである。
ユダヤのレビ族の祭司は牛を犠牲に捧げる事で、神を賛美し崇め、神に感謝し、民の安寧と罪の許しを請い祈った。牛は、罪の為の生贄、神と民との和解の為の生贄であった。また、牛を犠牲に捧げる事で、自らの罪と自らの力の足らざる事を覚えて神に謙遜となっていた。古代ユダヤにおいて牛は人間と神との仲介を果たしていたが、後にイエス・キリストは自らが十字架上で仲介者として犠牲になられた。イエス・キリストは神であるが、ユダ族のダビデの血統としての人間として此の世にお生まれになった。
の人々は元々、忠実に牛を犠牲に捧げる事を守って来たが、仏教が国教となってから殺生を穢れたものとする仏教の教えにより差別される様になり、その体制に従わず妥協せずに牛を犠牲にする儀式を守り続けた人々は、山奥に逃げ、川のはた等に住み、牛の屠畜や皮革加工に携わった。他にも、歌舞伎・能などの芸能や、京の庭師(造園)をはじめとする多くの技能職に職人として従事した。「犠牲」という字の部首は共に牛偏となっている。
古事記・日本書紀に於けるイザナギ・イザナミについてヘブル語解釈をすると、イザナギは「イザヤ・ナギード」で意味は「グループの長であるイザヤ」、イザナミは「イザヤ・ナオミ」で「イザヤと共に居るナオミ」となる。神社の神主の長である禰宜も、ナギードの転化したものである。イザヤは旧約聖書のイザヤ書を書いた預言者である。イザナギ・イザナミの子アマテラスの孫のニニギノミコトは初代神武天皇の先祖で、高天原から高千穂に降臨したが、高天原はアブラハムの子イサクの子のヤコブが長期間住んだ「タガーマ州ハラン」で、高千穂は「タカ・ツィヨーン」で意味はエルサレムの「シオンの丘」である。
西部邁氏著「わが憲法改正案 『大切な心』を忘れた日本人」の試案より、
「天皇は日本国民の伝統の象徴であり、したがって日本市民の統合の象徴である。
天皇は日本国の文化的代表であり、したがってそれに相応した文化的儀式を執り行う。
天皇の地位は日本国民の歴史的総意にもとづくものであり、したがって日本市民がその地位とその権能について決定を下すに当たっては年号を指定する義務をはじめとして日本の伝統からの制限を受ける。」
旧約聖書・出エジプト記28章41節
「これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。」
旧約聖書・出エジプト記29章9節
「アロンとその子らに飾り帯を締めさせ、ターバンを巻きつけさせる。永遠のおきてによって、祭司の職は彼らのものとなる。あなたは、アロンとその子らを祭司職に任命せよ。」
旧約聖書・レビ記1章5節
「その人は主の前で、その若い牛をほふり、祭司であるアロンの子らは、その血を持って行って、会見の天幕の入口にある祭壇の回りに、その血を注ぎかけなさい。」
旧約聖書・レビ記6章18節
「アロンの子らのうち、男子だけがそれを食べることができる。これは、主への火によるささげ物のうちから、あなたがたが代々受け取る永遠の分け前である。それに触れるものはみな、聖なるものとなる。』」
旧約聖書・民数記1章1~3節
「人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、主はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。
「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。
あなたとアロンはイスラエルにおいて、二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者たちを、その軍団ごとに数えなければならない。」
旧約聖書・民数記3章9~12節
「あなたは、レビ人をアロンとその子らにあてがいなさい。彼らはイスラエル人の中から、正式にアロンにあてがわれた者たちである。
あなたは、アロンとその子らを任命して、その祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づく者は殺される。』
主はモーセに告げて仰せられた。
『わたしは、イスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人はわたしのものである。』
旧約聖書・民数記18章1~2節
「そこで、主はアロンに言われた。『あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちと、あなたの父の家の者たちは、聖所にかかわる咎を負わなければならない。そしてあなたと、あなたとともにいるあなたの子たちが、あなたがたの祭司職にかかわる咎を負わなければならない。
しかし、あなたの父祖の部族であるレビ族のあなたの身内の者たちも、あなたに近づけよ。彼らがあなたに配属され、あかしの天幕の前で、あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちに仕えるためである。」
旧約聖書・民数記18章6~7節
「今ここに、わたしは、あなたがたの同族レビ人をイスラエル人の中から取り、会見の天幕の奉仕をするために、彼らを主にささげられたあなたがたへの贈り物とする。
あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、祭壇に関するすべてのことや、垂れ幕の内側のことについてのあなたがたの祭司職を守り、奉仕しなければならない。わたしはあなたがたの祭司職を賜物の奉仕として与える。ほかの者で近づく者は死ななければならない。」
旧約聖書・民数記18章20節
「主はまたアロンに仰せられた。『あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」
旧約聖書・民数記18章23節
「レビ人だけが会見の天幕の奉仕をすることができる。ほかの者は咎を負う。これは代々にわたる永遠のおきてである。かれらはイスラエル人の中にあって相続地を持ってはならない。」
旧約聖書・民数記25章10~13節
「主はモーセに告げて仰せられた。
『祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。わたしは、わたしのねたみによってイスラエル人を絶ち滅ぼすことはしなかった。
それゆえ、言え。『見よ、わたしは彼にわたしの平和の契約を与える。
これは、彼とその後の彼の子孫にとって、永遠にわたる祭司職の契約となる。それは彼がおのれの神のためにねたみを表わし、イスラエル人の贖いをしたからである。』』」
旧約聖書・ヨシュア記13章33節
「レビ部族には、モーセは相続地を与えなかった。主が彼らに約束されたとおりにイスラエルの神、主が彼らの相続地である。」
旧約聖書・ヨシュア記18章7節
「しかしレビ人には、あなたがたの中で割り当て地がない。主の祭司として仕えることが、その相続地だからである。また、ガドと、ルベンと、マナセの半部族とは、ヨルダン川の向こう側、東のほうで、すでに彼らの相続地を受けている。それは、主のしもべモーセが、彼らに与えたものである。」
新約聖書・ペテロの手紙 第一2章9節
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」
本ブログ過去の関連記事
・2012/11/21付:「多民族国家の日本に古代ユダヤ人」
・2012/11/25付:「古事記・天孫降臨、イザヤ・ナギード(イザナギ)」
・2013/04/13付:「俗事における『無用性』は一時的なもの・・・信仰によって生き、永遠を求める」
・2013/07/08付:「日本人のルーツを取り戻す(4)・・・元々は多民族国家であった日本の中の一部に、アブラハム―イサク―ヤコブの血統のユダヤ人の子孫が・・・『日本人のルーツはユダヤ人だ―古代日本建国の真相』を読んで」
・2013/07/08付:「日本人のルーツを取り戻す(5)・・・天皇とは共に同じ民族ユダヤ人・・・『天皇家とユダヤ人』を読んで」
・2013/11/05付:「福島県民に対する『棄民政策』を阻止しようとした天皇への陳情の何が悪いのか・・・万世一系では無い天皇、そもそも天皇の権威とは一体何なのか」
・2015/01/01付:「出雲系と天孫系の融合、そして皇族の聖書・創造主への回帰か、それともグローバル化・フリーメーソン」
・2015/03/22付:「吉田松陰の楠木正成を通した南朝への想い・・・明治天皇すり替え」
・2016/04/17付:「国民主権は国を滅ぼす・・・裁判員裁判、選挙権、民主主義、人権、個人主義、低俗な世論に動揺する国家」
引用文献
・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
参考文献
・2016/01(No.394)号・国際時事情報誌エノク(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2016/09/01):「宇宙船地球号で第三次世界大戦が起きるのか ■日本最大の恥部、ユダヤ・レビ人祭司への差別」 ・・・・・・【下画像・①】
・2016/05(No.398)号・国際時事情報誌エノク(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2016/05/01):「驚愕の告白、スファラディ・ユダヤ人 ■テロの連鎖、その源流はパレスチナか」 ・・・・・・【下画像・②】
・「わが憲法改正案 『大切な心』を忘れた日本人」(著者:西部邁氏、出版社:ビジネス社、出版日:2004/4/20) ・・・・・・【下画像・③】
・「憲法の常識 常識の憲法」(著者:百地章氏、出版社:文藝春秋、出版日:2005/4/20) ・・・・・・【下画像・④】
・「驚くほど似ている 日本人とユダヤ人」(著者:エリ・コーヘン氏、訳者:青木偉作氏、出版社:中経出版、出版日:2008/02/06・・・単行本「大使が書いた日本人とユダヤ人」)(2006/08出版)の文庫化) ・・・・・・【下画像・⑤⑥】
・「天皇家とユダヤ人」(著者:篠原央憲氏、出版社:光風社出版、出版日:1982/01/10・・・1977/05出版の改訂) ・・・・・・【下画像・⑦】
・「日本人のルーツはユダヤ人だ―古代日本建国の真相」(著者:小谷部全一郎氏、出版社:たま出版、出版日:1991/11/20・・・1929年出版で現在絶版「日本及日本国民の起源」上・下巻を編集) ・・・・・・【下画像・⑧】
・2016/08/09付・神戸新聞朝刊:「生前退位強い思い 天皇陛下『お気持ち』 「象徴の務め」今後を危惧」
・2016/09/03付・神戸新聞朝刊:「総論・各論 8月 天皇陛下の生前退位 問われる国民主権の成熟度」
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