昨今、新聞等に於いて、「自分の言葉で述べよう」等との呼びかけが聞こえる。
確かに、捻くれ者でへそ曲がり、天の邪鬼な私も一見すると共感する響きの有る言葉である。
世間一般的には大抵、周囲の顔色や反応を伺いながらの発言が多い。みんなが言っている事だからとか、テレビや新聞等のマスコミが言っている事だからとか、社会的に高いステータスを持つ有名人が言っている事だからとか、大学教授、医者、先生、多様な資格、学歴等の肩書きを有する者の言っている事だからと安易に受け入れ、同調し、付和雷同している傾向が世間の中では強い。また、その様な雰囲気・空気の中で、それが圧力となって、例え違うのではないかと疑問を抱いても、その疑問を投げかけたり、反対・反論したり、異なる発言をする事によって、解雇等の仲間はずれにされたり、いじめられたり、バッシングや嘲笑を受けたり、批判される事を恐れて、表面には出さずに建前として周囲に合わせながら、折り合いを付けながら黙っている者も多い。国・地方・地域・会社・組織・団体・学校等のそれぞれの枠組みの中で、周囲と異なる事を恐れながら生きている者が多い。
その空気や雰囲気、流行、傾向、常識、慣例を打ち破って、独りで、勇気を持って、真実・事実を述べると言う意味に於いては、「自分の言葉で述べる」という事は正しい。
しかし一方では、「自分の言葉で述べる」事によって、「捏造」する事にもなるのである。
マスコミは「自分の言葉で述べる」事によって「フェイクニュース」、嘘の情報を世間一般に伝えている。歴史、特に近現代史については、「一次資料」を「そのまま引用」せずに、その一次資料に自分の言葉を挟んだり、加工したり、書き換えたり、すり替えたりして「編集」して、「二次資料」、「三次資料」……と、逐次曲げながら資料を「捏造」していったものを世間一般に公表して伝えているのである。
そして、マスコミが世間一般大衆に「自分の言葉で述べよう」と促しているのは、元の情報を加工・編集する事で、より一層の贋物化、まがい物化を謀り、根本であり大元の一次資料が何処へ消えたか解らないように、どれが本物か解らない様にと葬り去ろうとしている事が伺えるのである。これには、日本を悪者として留めておきたい白人の欧米の意向が働いているせいでもある。大東亜戦争中とそれ以前からの、欧米の自分達の悪事を隠す為もある。
また、宗教界についても「自分の言葉で述べてきた」事が見える。仏教の根本は、釈迦の在世時の言葉である。釈迦は在世時に経典などは書き遺していない。釈迦の弟子達によってその言葉が経典として書かれた。しかしその後、仏教がインドから遠い地の日本に伝わる過程において多くが書き換えられ、日本に伝えられた後も、その時の政治や権力、俗世間におもねり、迎合し、それら相手の都合・感情に合わせて更なる書き換え・加工・編集された。それ故に、日本の仏教は釈迦の教えからは大きくかけ離れてしまっているのである。仏教に於いての「一次資料」は釈迦の言葉である。
キリスト教界に於いても同様の事が言える。聖書は今から3,500年前(B.C.1,500年)から1,900年前(A.D.100年)の間に書き重ねられられ、旧約聖書39簡、新約聖書27簡の合計66書簡が収められている。聖書の御言葉は、預言者が神である創造主から預かった言葉を書き留めたものである。預言書だけでは無く、歴史書、福音書、律法、詩書、書簡(パウロ書簡、公同書簡)が収められている。父である創造主と子のイエス・キリスト、聖霊の三位一体の唯一の神の言葉と行い、神の選民のヘブライ人(ユダヤ人)の歴史等、「一次資料」として記されている。その後、その一次資料に忠実に、文字の大きさや濃さ形までをも変えない「写本」として、現在まで「一次資料」そのままの「聖書」を遺して来たのである。故に、聖書は「一次資料」そのものであるので、真実・事実なのである。
しかし、キリスト教界は、その「聖書」をそのまま引用せずに書いてある通りに行う事をしなかったり、また全てを引用せずに都合の良い部分だけを取り上げて世間一般に流布し、逆に都合の悪い事は隠している。12月25日はイエス・キリストの誕生日では無く、ミトラ教の祭日である。単なる人間でしかないマリアの像を作って拝むのは、律法で禁止されている偶像崇拝である。人間が聖人を定める権利は全く無い。神の下に人間は平等である事に反して法王・枢機卿等の階級制度が存在している。壮大で華美な教会の存在、懺悔室でただの人間でしか無い神父が恣意的に罪を赦す……等と、聖書の記述とは反対・矛盾した事を行っている。また、「平和」や「愛」等と世間受けする耳あたりの良い言葉ばかりを並べて教会の生き残りを図り、逆に、「世の終末」「世界最終戦争」、終末における大地震や隕石落下等の「異常気象」が起こるという神からの「預言」を隠している。世間一般から嫌われる事を恐れているからである。そして、世間受けする様な内容だけを記した「逐次資料」を、カトリックやプロテスタントをはじめとした諸教派の宗教組織・団体・教会、ミッションスクール、法王、枢機卿、神父、牧師、長老、信徒……等が世間一般に配布しているのである。世間の「希望的観測」に沿わないからと世間一般に嫌われようが、神からの「預言」は人間の「運命」であり神の人間に対する「絶対命令」なのである。
「一次資料」はそのまま引用する事が正しいのである。イエス・キリストについての「一次資料」は「聖書」である。その一次資料に対して「自分の言葉で述べ」て編集・加工する事は、「捏造」となる。
本ブログ過去の関連記事
・2017/01/30付:「徳島・阿波に存在した邪馬臺国(=やまと国、俗称:邪馬台国)は後に奈良・大和国へ移った・・・『一次資料』に忠実な古代史や近現代史の検証により真実が見えてくる。そして主キリストについての一次資料は『聖書』」
・2017/02/06付:「元々が民主主義国家であったシリアのアサド大統領は決して独裁者ではない・・・化学兵器使用のISISと外資系反体制派外国人テロ組織を支援する西側欧米、日本も同様にして支那事変中に捏造プロパガンダされていた」
・2012/11/21付:「ノストラダムスは呪い士(偽預言者)」
・2012/12/07付:「終末期、にせキリスト、にせ預言者達の出現」
・2013/05/03付:「聖書は直接自分で読む・・・聖書のみに忠実に。映画や小説、人の解釈に惑わされないこと。」
・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(1)・・・クリスマス、誰が勝手に12月25日と定めたのか」
・2014/01/19付:「『宗教組織』による『創作』(2)・・・人間マリアの『偶像』と、『懺悔室』の傲慢」
・2014/04/29付:「人間が勝手に認める『聖人化』・・・神の下の平等に反する階級制度」
・2015/01/02付:「プロテスタント教会は抗議せず世間や権力に迎合している・・・『平和』や『愛』の言葉による麻痺」
・2016/04/17付:「『無教会主義』の内村鑑三氏は『自立』『独立』を勧めた・・・『単独者』として絶対者・創造主を仰ぐ」
・2016/07/21付:「クリスチャン内村鑑三・新渡戸稲造は愛国者であった・・・『三つのJ』、武士道精神、契約の民の末裔、歴史修正の必要性、慰霊・慰謝の靖国公式参拝の正当性」
・2016/12/25付:「12月25日はミトラ教の祭日・・・聖書が真実、イエス・キリストの降誕は羊飼いが野宿出来る暖かい時期、清貧を表すパレスチナとシリアのホームレスの方々は雪の降る中で寒さに凍える。」
・2015/11/22付:「世界的伝道者ビリー・グラハム氏はフリーメーソン・・・偽キリスト、偽預言者、エホバの証人、モルモン教」
確かに、捻くれ者でへそ曲がり、天の邪鬼な私も一見すると共感する響きの有る言葉である。
世間一般的には大抵、周囲の顔色や反応を伺いながらの発言が多い。みんなが言っている事だからとか、テレビや新聞等のマスコミが言っている事だからとか、社会的に高いステータスを持つ有名人が言っている事だからとか、大学教授、医者、先生、多様な資格、学歴等の肩書きを有する者の言っている事だからと安易に受け入れ、同調し、付和雷同している傾向が世間の中では強い。また、その様な雰囲気・空気の中で、それが圧力となって、例え違うのではないかと疑問を抱いても、その疑問を投げかけたり、反対・反論したり、異なる発言をする事によって、解雇等の仲間はずれにされたり、いじめられたり、バッシングや嘲笑を受けたり、批判される事を恐れて、表面には出さずに建前として周囲に合わせながら、折り合いを付けながら黙っている者も多い。国・地方・地域・会社・組織・団体・学校等のそれぞれの枠組みの中で、周囲と異なる事を恐れながら生きている者が多い。
その空気や雰囲気、流行、傾向、常識、慣例を打ち破って、独りで、勇気を持って、真実・事実を述べると言う意味に於いては、「自分の言葉で述べる」という事は正しい。
しかし一方では、「自分の言葉で述べる」事によって、「捏造」する事にもなるのである。
マスコミは「自分の言葉で述べる」事によって「フェイクニュース」、嘘の情報を世間一般に伝えている。歴史、特に近現代史については、「一次資料」を「そのまま引用」せずに、その一次資料に自分の言葉を挟んだり、加工したり、書き換えたり、すり替えたりして「編集」して、「二次資料」、「三次資料」……と、逐次曲げながら資料を「捏造」していったものを世間一般に公表して伝えているのである。
そして、マスコミが世間一般大衆に「自分の言葉で述べよう」と促しているのは、元の情報を加工・編集する事で、より一層の贋物化、まがい物化を謀り、根本であり大元の一次資料が何処へ消えたか解らないように、どれが本物か解らない様にと葬り去ろうとしている事が伺えるのである。これには、日本を悪者として留めておきたい白人の欧米の意向が働いているせいでもある。大東亜戦争中とそれ以前からの、欧米の自分達の悪事を隠す為もある。
また、宗教界についても「自分の言葉で述べてきた」事が見える。仏教の根本は、釈迦の在世時の言葉である。釈迦は在世時に経典などは書き遺していない。釈迦の弟子達によってその言葉が経典として書かれた。しかしその後、仏教がインドから遠い地の日本に伝わる過程において多くが書き換えられ、日本に伝えられた後も、その時の政治や権力、俗世間におもねり、迎合し、それら相手の都合・感情に合わせて更なる書き換え・加工・編集された。それ故に、日本の仏教は釈迦の教えからは大きくかけ離れてしまっているのである。仏教に於いての「一次資料」は釈迦の言葉である。
キリスト教界に於いても同様の事が言える。聖書は今から3,500年前(B.C.1,500年)から1,900年前(A.D.100年)の間に書き重ねられられ、旧約聖書39簡、新約聖書27簡の合計66書簡が収められている。聖書の御言葉は、預言者が神である創造主から預かった言葉を書き留めたものである。預言書だけでは無く、歴史書、福音書、律法、詩書、書簡(パウロ書簡、公同書簡)が収められている。父である創造主と子のイエス・キリスト、聖霊の三位一体の唯一の神の言葉と行い、神の選民のヘブライ人(ユダヤ人)の歴史等、「一次資料」として記されている。その後、その一次資料に忠実に、文字の大きさや濃さ形までをも変えない「写本」として、現在まで「一次資料」そのままの「聖書」を遺して来たのである。故に、聖書は「一次資料」そのものであるので、真実・事実なのである。
しかし、キリスト教界は、その「聖書」をそのまま引用せずに書いてある通りに行う事をしなかったり、また全てを引用せずに都合の良い部分だけを取り上げて世間一般に流布し、逆に都合の悪い事は隠している。12月25日はイエス・キリストの誕生日では無く、ミトラ教の祭日である。単なる人間でしかないマリアの像を作って拝むのは、律法で禁止されている偶像崇拝である。人間が聖人を定める権利は全く無い。神の下に人間は平等である事に反して法王・枢機卿等の階級制度が存在している。壮大で華美な教会の存在、懺悔室でただの人間でしか無い神父が恣意的に罪を赦す……等と、聖書の記述とは反対・矛盾した事を行っている。また、「平和」や「愛」等と世間受けする耳あたりの良い言葉ばかりを並べて教会の生き残りを図り、逆に、「世の終末」「世界最終戦争」、終末における大地震や隕石落下等の「異常気象」が起こるという神からの「預言」を隠している。世間一般から嫌われる事を恐れているからである。そして、世間受けする様な内容だけを記した「逐次資料」を、カトリックやプロテスタントをはじめとした諸教派の宗教組織・団体・教会、ミッションスクール、法王、枢機卿、神父、牧師、長老、信徒……等が世間一般に配布しているのである。世間の「希望的観測」に沿わないからと世間一般に嫌われようが、神からの「預言」は人間の「運命」であり神の人間に対する「絶対命令」なのである。
「一次資料」はそのまま引用する事が正しいのである。イエス・キリストについての「一次資料」は「聖書」である。その一次資料に対して「自分の言葉で述べ」て編集・加工する事は、「捏造」となる。
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・2017/02/06付:「元々が民主主義国家であったシリアのアサド大統領は決して独裁者ではない・・・化学兵器使用のISISと外資系反体制派外国人テロ組織を支援する西側欧米、日本も同様にして支那事変中に捏造プロパガンダされていた」
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