世界的にみて変革の時代だなぁとしばしば書いているわけだけど、日本の中もやっぱりそうなんだろうなと思う。
こんなニュースもその一端かも、など思う。
聖徳太子が「厩戸王」になりかけた、歴史教科書の不思議な改定基準
http://diamond.jp/articles/-/122340
この記事、書いてる人があまり歴史の知識がない方のようなので細部はあてにならないが、むかし習った歴史と最近教えられているもので異なっている点を手っ取り早くまとめているところは便利かも。
そして、全篇を貫くのこの感情も、皮肉な意味で重要。
うーん。一般人としては「学者がそう呼びたいのはわかるけど」という感想を口にしたくなる微妙な裁定にも見える。
学者さんが整理していった話よりも自分が習って自分が勝手に描いた像を壊されたくない、という態度であり、それを惜しげもなく披歴する。
私は、とても日本的だと思う。日本というのはこういう人たちの声が大きい国だとまず措定してみるのが歴史を知る上でもとても大切だとさえ思う。
それはそうなんですよ(事実問題)、しかしですね、なんでそんなこと言うんですか、みたいな展開。
逆にいえば、論理的、知識を整合的に書き連ねることにはおよそ縁遠い、不得手な民族であるということですね。で、そういうことを言い出すと、あなたって理屈っぽいとか言われるのね。いやこれは理屈の問題なのだがなど言ってもまったく通じない。理屈が通っていることを重視する人をとことん嫌う。
これは結局なんんだろうと考えてみるに、私が思うに日本の原理は徒党主義なんだろうな、という感じじゃないですかね。前に書いた安富氏の立場主義もだいたい同じことだろうと思う。何かが合ってる、正しい、合理的なんかてことはこの原理に比すれば相当にどうでもいい。と、こういう集団が歴史という、ある意味で過去の事実に対する裁断を下そうとした場合、それはもうなかなか大変なわけですよ。
「オバマは盗聴させたんだぜ」と東大話法と宗教支配
■ 「日本史」はそう年寄りではない
と、それはそれでそれこそ集合的に見た場合の日本人の精神風土分析として誰かのテーマにしてもらうことにして、とりあえず30年前、50年前に「常識」だと思っていたいわゆる歴史は意外とそうでもない、そんなことはよくあることだと知っておくのは誰にとっても重要だと思う。
で、そもそも根本として抑えておくべきなのは、現在私たちが教わる「日本史」は別に江戸時代の人も明治時代の人も同じラインで習っていたものではなくて、せいぜいが大正あたりからこっちで徐々に揃えられていったストーリーラインにすぎない、ということじゃないですかね。
ということは、明治から昭和にかけての時代背景にあった(というかその当時の政権が許容できる)ストーリーになってる、少なくとも踏み越えないようになってると一応ざっくり考えておくべきでしょう。
そして、そのストーリーラインを前提としてあらゆるものを見、各種の資料を読むようなんとなく義務付けられているので、なんだかずっと確定した歴史があるかのような感じで私たちは暮らしている、と。「昔からそうだ」とかすぐ言う大人には要注意よ、若い人。
どうしてこんなことができたのかというと、多くの人に発表機会がなかった、制限されていたからなんだと思うわけです。発表できるのはエライ大学のエライ学者さんとか、妙に人気のある作家だけで、そして、NHKというテレビ媒体の人気番組「その時歴史が動いた」だの大河ドラマ、NHKスペシャルだのが読解ライン、物語(ナラティブ)を設定してきた。疑問を持った人には、それに抗する権利はあっただろうが、異議を申し出たところで多勢に無勢だった。
そういう構造をまず前提として受け取っておくのは精神衛生上いいと思う。
■ 統制枠はないようで、しかし、ないのでもない
あと、最近新資料が発見され、実はこうでした、とかいう話も、話半分とか思ってみるのが吉だと思う。
どうしてかというと、発見されるのは本当に新資料の場合もあるけど、単に今まで顧みられていなかった、そこはまぁそれでいいかと研究者、発表者たちが放置してきただけ、という場合も結構な数あると思うから。
ふと頭をよぎるのは、北条早雲の来歴か。
この人はつい何十年か前まで、一介の素浪人と信じられていたらしいのだが(高齢者であればあるほどそうらしい)、「近年」資料が整理されわかったことによれば云々という触れ込みで90年代になって早雲の来歴が変わったことになっている。最終的には室町幕府の奉公衆伊勢氏の人だということがわかりました、と「その時歴史が動いた」がドラマっぽく伝えたのがファイナルみたいな感じだったんじゃないかと思う。
この成り行きは本当なのだろうかと私が思うのは、だって後北条氏の子孫って幕末まで旗本として生き延びているんだから、どこかで誰かが、ああそれって・・・素浪人ってことはないわけでございまして、と知っていた可能性は大だったのではなかろうか?
桜田門外の変で井伊直弼を襲撃した際には拳銃が大きな役割を果たし、その拳銃は水戸斉昭が与えたものだったらしいというのもここ最近NHKで見た。これも、何かとてもへんだと思う。今までみなさんなんで黙ってはったんですか、と。
本能寺の変も、通説は矛盾だらけであると多数の説が唱えられても唱えられても、繰り返し繰り返し明智光秀の怨恨説、野望説などが語られて来た。
そんなか、上杉氏に伝わる文書の中に、明智配下の人が越中まで来て上杉氏に加勢すべきであると言っているものがある、つまり明智、上杉ラインにはそう打ち明けてもいい何かがあったんだろう、とかいうのも10年ぐらい前にテレビで見たが、上杉家の文書は上杉さんちの蔵の中にあって誰も見ていないものというわけではなさそうだった。どうして研究者の方、あるいは関係者の方早くに言ってくれないんでしょう、と思ったものだった。
そういえば御子孫の方がお出しになった本がとても売れたという話ですね。未読ですが、買って読みたいと思ってます、今更ですが。
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫) | |
明智 憲三郎 | |
文芸社 |
そうそう聖徳太子についていえば、こんな本やそれを支持する人たちの存在もまた、逆に「断固聖徳太子を支持」というモードを反動として呼び込んでいるような気がする。
日本書紀の文章の音韻に注目してチャイニーズプロパーが書いたものと日本人が書いた部分を見分けて、そこからこの文書全体の成立事情を考えていかれたこの著作がもたらしたインパクトは、静かだが長く続いているんじゃないかとも思う。
日本書紀の謎を解く―述作者は誰か (中公新書) | |
森 博達 | |
中央公論新社 |
私はその前ずっと前の世代の方である岡田英弘先生が描いた世界に、最初読んだ時驚き、年月をかけてなるほどと思っていった口なので、森先生のお仕事に驚嘆し称賛しつつ、しかし根本的な驚きはありませんでした。
倭国―東アジア世界の中で (中公新書 (482)) | |
岡田 英弘 | |
中央公論新社 |
■ 無理やりマトメ
ぱっと思いついたままを書いたので全然まとまりはないんだけど、戦前から戦後の一時期までに作った日本史は、その時々に都合よくナラティブ管理されているので、そろそろ耐用年数が切れても別に不思議ではない。
また、明治維新以降1945年までの体制では、最終的に皇国史観に突っ込むような相当恣意的な「史観」なるものが拵えられ、それに合わないことを言うとお咎めがあったらヤダな、と誰しも思うような体制においてそれを維持したわけですね。
だから、「正史」にあわない資料は秘密にしたり、門外不出にしたりといった傾向は長年強くあったし、今もあると考えるべきでしょう。
ざっくりいえば、新しい資料や解釈が非常に出にくい状況にまだあると言ってもいいと思う。
■ オマケ
とことんまとまりのないことを書いているけど、多分、今後の方向性として、日本単独で見ないで、東アジア世界の動乱を誘引として変化、対応してきた日本、みたいな視点が重要になってくるんだろうと思う。7世紀の動乱だけじゃないですからね。
もう一つは、日本は少なくとも東西で分けて歴史を書いていった方がいいんじゃないだろうか。西南日本というのは要するに東シナ海文化圏に対応しながら生きて来たところで、東北日本はそれに対していえば目立つのは軍事貴族(中央の武士)だが、総じていえば開発農民の社会発展史みたいに考えていった方がずっと現在に繋がる実りのある歴史として認識できるように思う。
まったくの私見だが、西南日本のそれはどこまで行っても著しくシナっぽいが、東北日本のそれは結構世界的に汎用性のあるモデルを作れると思うな。鎌倉時代はもっと見直されるべき。
日本って古代シナの王朝のようになりたいという柱があるのに、正史を書ききれない国なんだと思います。なぜか。それは各々の家の歴史を「みんな」と共有するものだとはあまり思ってないから。お宝は私有の状態で擬似国民国家をやっているって感じ。