ウクライナ危機について、ヘンリー・キッシンジャーがワシントン・ポスト紙に意見を出していた。
How the Ukraine crisis ends
By Henry A. Kissinger, Thursday, March 6, 7:58 AM
http://www.washingtonpost.com/opinions/henry-kissinger-to-settle-the-ukraine-crisis-start-at-the-end/2014/03/05/46dad868-a496-11e3-8466-d34c451760b9_story.html
重要な提言部分はこのへんか。
- ウクライナは、経済的、政治的な協力関係を結ぶのか、自分で選択する権利がある。
- ウクライナをNATOに入れるべきではない。
- ウクライナは自国民が表明した意志に見合う政府を自由に作るべき。ウクライナのリーダーたちが賢ければ自国内の各層の和解政策を取るだろう。国際社会はフィンランドの例を参考にするよう圧力をかける。フィンランドは紛れもなく独立に非常に拘って欧米と組んでいるが、ロシアに対する敵対を組織的にするようなことは避けている。
ここで大きいのは、NATOに入れるな、という提言。
ただし、この見返りという意味なんだろうと思うが、クリミアのステータスについては、あくまでウクライナの一部としろ、ただしクリミアの自治権は強めてもいい、といっている。
要するに、1994年のブタペスト条約の真意みたいなものだと思う。NATOの東方拡大をいたずらにやってきたアメリカのクリントン政権以降の政権に苦情を申し述べているともいえるように思う。また、プーチンを悪魔化するというのは政策ではない、と苦言も呈している。
全体として、ロシアとウクライナの特殊な関係を手短だがポイントを押さえて言及している。こういうのをアメリカ人一般に知らせる一助となればということもこの文章の趣旨の一つなのだろう。
ウクライナというのは14世紀以降外国の支配をずっと受けてき場所で、そもそもソ連があって区切りができてウクライナになっただけなんだから、国としてはまだ23年しかやったことがない若い国。だからリーダーたちは経験が足と指摘。
クリミアは、1954年にフルシチョフがウクライナにあげちゃうまでロシアだったし、セバストポールがいかにロシアにとって重要なものなのかも語っている。
中ごろにあるパラグラスは、ロシア人だったらなんだか涙が出ちゃうようなものになっているので訳出してみる。
欧米は、ロシアにとってウクライナは単なる外国にはなれないんだといことを理解しなければならない。ロシアの歴史はキエフルーシに始まる。ロシアの宗教はここから始まったのだ。ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、彼らの歴史はそれ以前から密接に絡み合っている。ロシアの飛躍にとって最も重要な戦いの一つ、1709年のポルタヴァの戦いはウクライナの地で戦われたものだ。黒海艦隊は、ロシアが地中海に力を投影する手段であり、現在長期賃借契約でクリミアのセバストポリを基地としている。アレクサンダー・ソルジェニーツィンやヨシフ・ブロツキーのような異端派でさえも、クリミアはロシア史の一部であり、事実ロシアなのだと主張する。
という具合。(ポルタヴァの戦いの位置。★のついているところ。クリックで拡大)
民族の歴史ってこういうもので、政治も人々の暮らしも理解も言語もその上にあるものだろう?ということだと思う。私はロシア人ではないが、歴史を大事にする人を愛しているのでこういう文章を読むと大変うれしい。
それも、この殺伐とした政治の世界でこんな文を読むとは、といったところ。
■ 歴史を切り離さないロシア
想像するに、キッシンジャーは、プーチンの本気、ロシア人の民族としての本気を見たんだろうなと思う。これは感傷ではない。民族の本質に行き当たればそれだけ抵抗は強いのだという諦めであり事実の計算だ。
政変の後、プーチンがクリミアを確保する際、ロシア人とウクライナ人は戦わないという覚悟を示すために、さっさと軍を投入してウクライナ側から武器を奪って、できるだけ投降させて戦わずに抑えて交渉に持ち込むという手段に出たことを、無血でやりたいんだ、俺らは他人ではないんだからという表れと思ったのではないかと思ったりもする。
ロシアにはウクライナに対するattachment(愛着)が見えるのに、欧米にはinterest(利益)しか頭にない、というのも今回見せた手際の差だと思う。
欧米側は、暴動を、控えめにいっても誘発する側にいた。なだめるどころかエスカレーションを米国の著名な政治家が煽った。これは内戦を誘発することをなんとも思ってないという意味だ。欧米にとってウクライナ人とロシア人がここで戦うことはむしろ望ましいことなのかもしれない。今後の長い憎しみ合いにつながるのだから。
■ 歴史がわからないアメリカ人
しかし、しかし、しかし、大半のアメリカ人はこれを、プーチンびいきだとか、キッシンジャーは所詮ヨーロッパ人だとかなんとか酸っぱいことを言って鼻であしらうと思う。断言してもいい。
アメリカだって、いつもこんなではなかった。しかし、ここ最近はもう全然お話にならない、歴史がない、ではなくて、さらに進化して歴史と人間という関係に見当がつかない人々の国になっている。だから、他国の人々の歴史的背景なんかには全く興味がない。どれが真実かにも興味がない。興味があるのは、どうやったら自分たちが勝てるか、勢力を拡大できるか、だけ!
勢力の拡大というと軍事っぽく聞こえるが、マーケットの拡大も基本発想は同じだ。ようするに、dominance(優位性、支配権)を取りたい。
私はアメリカに住んでいたこともあったのだが、人々はまぁ普通にいい人が多い国だと思う。付き合いやすい。しかし、メディア報道とかいわゆる知識人、なかんずく学校関係者は、なんか、とても異質な人々だと思ってる。日一言でいって、自分たちがいい加減につくった「自由と民主主義」という場当たりのスローガンをマジで達成可能な普遍的ななにものかだと思っているのだ。私の理解では、歴史上、こんなに人間性を失った国があったんだろうか、という感じがしばしばする。
さらに、自分たちの国の内部ならまだしも、他国をコマのように使って優位性を保つことに本気で熱中しているから始末が悪い。その手段として、歴史だろうが事象だろうが使えるなら使うという態度がとても顕著になった。昔はまだ隠しておくべきとか一時しのぎだという判断があったと思うのだが・・・。ようするに発想が広告屋的。
私たちがさんざんやられている南京だの慰安婦だのというのもそれだと思う。あれは1990年代の民主党政権による諸国民を憎み合わせる政策の一環だろうと私は最近確信するようになった。ヨーロッパの小国での憎しみ誘発事例があまりにも似てるし時期があうから。クリントン政権というのは、グローバリズムを煽って世界が平和になったみたいなことを盛んに売り込んだのでみんな目くらましをされていたが、実にあざとい政権だった。
そういうわけで、キッシンジャーは食えないじいさん過ぎて到底好きにも尊敬する気にもなれないが、今のアメリカの政治家やらアドバイザーから見たらずいぶんとクラッシックで、ずいぶんと知的な人と言える。そしてこれからのアメリカにはこういう人はいなくなる。みんな大会社の広報官みたいな科白を吐く、ただのその場しのぎの人々が世界を握る。それがどんなに大変なことか、今回のクーデータ騒ぎでしみじみ思った。日本の保守派は早くこれを理解しないとならない。アメリカは、歴史社会を有する諸国民にとって、あまりにも異質なんです。
考えてみれば、冷戦思考から目覚めるのが一番遅かったのは日本の保守派だったのだなぁとあらためて思う今日この頃。世界は、ポスト・冷戦の次のフェーズにさしかかっている。そのフェーズを動かしたくなくてアメリカが無理をするだろう。それが怖い。